In altre parole (2)
Jhumpa LahiriのIn altre parole(Guanda, 168ページ)で,もう一つ書いておきたいことがありました。
この本にはエッセイの他に短編が二つ収録されています。ジュンパ・ラヒリがイタリア語で初めて創作した短編。これまで作品に自分を書いたことはなかったそうですが、この二つの短編は彼女自身を描いたものだそうです。
その一つ、Lo scambio(取り違え)。主人公の女性は翻訳家で、生まれ故郷の街、友人や恋人を捨てて、黒のセーター一つだけを携えて、言葉のわからない国にやってきました。それがどこの国かは明示されていませんが、お腹が空いたらベンチに座って何かを食べた(Quando aveva fame, mangiava qualcosa seduta su una panchina)という描写や、突然の雨に降られて雨宿りに入った建物の奥へ進むと中庭に抜けて、そこは天井のない四隅を囲まれた一室のよう(Oltre il portone si doveva attraversare un cortile in cui la pioggia era confinata, comme se piovesse in una stanza senza soffitto.)という表現を見ると、ローマのどこかに引っ越してきたのかな、と想像します。
さて、突然の雨に降られた日、主人公は洋服の試着販売会をしている一室を訪れます。そこでは黒い服ばかり売られていました。彼女も展示されている服を試着しますが、特に欲しいものは見つからず何も買わずに帰ることにします。が、自分が着ていた黒いセーターが見つかりません。スタッフが一生懸命探してくれて黒いセーターを見つけてくれるのですが、どうも彼女が元々着ていたものとは違うみたい。これは私のではない、誰かが私のを間違えて着て帰ってしまったんだと強弁します。でもそれらしい服はなく、仕方なく誰がか間違って置いていったセーターを着て帰ることにします。
そして、翌日。目が覚めると、部屋の角の椅子に昨日着て帰った黒いセーターが目に入ります。下の引用部分がそのシーンです。
これって、彼女がお店で自分のものではないと主張しつつも仕方なく着て帰ったセーターは、実は彼女が元々持っていたセーターってことなのでしょうか?物質的には同じものでも、前日に袖を通したときには嫌悪感を抱いたセーターが、一夜明けて愛着のあるものと感じられるようになったと、そういうことなのかな?だとすると、この黒いセーターは「英語」のメタファーなのかな。イタリア語という新しい言葉を学びそれまで使っていた英語との断絶を試みたものの、やっぱり英語は親しみを感じる存在であり、拒絶するまでではなく受け入れられるようになったというような。
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