禁止されなかったもの
何度もしつこいが、母はとにかく異常なまでに、自身の趣味嗜好を押し付ける人だった。厳しめの親にゲームや漫画を禁止されている子供は私の周りにもいたし、アニメは良いけどお笑い番組は禁止なんて家庭もあった。なんせ昭和の話なので、親たちも今みたいに子供の意思を尊重していない。理不尽な大人がたくさんいたし、学校の教師だって今なら大問題な発言や行動をする嫌なやつばかりだった。
でも、うちの母はやっぱりちょっと異常だったと思う。彼女は全てにおいて、自分と私の好みが分かれると嫌がる人で、それは食べ物なんかに対してもそうだった。私は好き嫌いなどワガママを言える立場ではなく、出されたものは食べる子供だっだが、甘い卵味が苦手だった。卵焼きやプリンなどだ。そういう率直な“好み“に対しても、母は嫌がるのだ。自分が美味しいと思っているものを否定された、と感じるのだろう。だから否定してくる私は“馬鹿な子“と言うことなのだ。
母はとにかく好き嫌いが激しくて、嫌いなメーカーなどもたくさんあり、1人で不買い運動をしているような人だった。お中元やお歳暮で自分の嫌いなお店の商品などが送られてきたりすると「この人、趣味悪いわね」とか、食品なんかだと「きっと不味いわよ」とか言わずにはいられない。そして実際に、私もそれらをあまり美味しくないと感じると母は喜んだ。でも私が美味しいと感じてしまうと、「あら、嫌だ!変な子ね!」とか言う人だった。
まあ色々と異常な母だったわけだが、実は、唯一禁止されていないものがあった。それは海外のドラマや映画だ。テレビをかなり禁止されていた私だが、小さい頃からNHKで放映されていた海外ドラマはよく観ていた。「大草原の小さな家」、「頑固じいさん孫3人」、「ジェシカおばさんの事件簿」、「名探偵ポワロ」などが大好きで欠かさず観ていた。
民放嫌いの母だったが、日曜洋画劇場なんかは積極的に観せてくれたし、それこそ洋画なら母の趣味じゃなくても特段制限はなかった。母は「サウンド・オブ・ミュージック」のようなわかりやすい名作は大好きだったが、別に映画好きでもなく、私に映画好きになって欲しいと思っている様子もなかった。いつも感情を丸出しにする母なのに、映画や海外ドラマに関しては、「ふーん、こういうのが好きなのね。」みたいな緩い雰囲気だったのだ。
そもそも当時子供だった私が観たいと思う映画は、スピルバーグ作品のような映画で、そこには激しいロマンスや暴力やホラーが無かったからかもしれない。でも母の性格上、子供に害があるとか無いとかではなくて、自分の好き嫌いで物事を禁止するので、海外映画やドラマならOKという考え方は今考えても本当に不思議だ。
映画館にもそれなりに連れて行ってもらった。小さい頃、皆と同じようにドラえもんの映画が観たかった時は、絶対にダメ!と怒られたけど、ディズニー映画やサンタクロース(1985)、ホームアローン(1990)などの洋画は観たいと言うと連れて行ってくれた。(ただし、映画館でポップコーンやジュースを買ってもらえたことは一度もない)。日本のアイドルや音楽はダメなのに、映画音楽だとCDを買ってくれたりもした。「スタンド・バイ・ミー」のサントラを買ってもらった記憶がある。今思えば、「スタンド・バイ・ミー」の少年たちは、母が絶対に嫌うタイプの少年たちのはずなのにだ!
結局母は、欧米が好きだったんだろうと思う。私は自分が海外に長いこと住んでいたからこそ、特定の人種を優越するような考え方が大嫌いで、母が欧米を贔屓にするような態度も嫌いだ。でもあの時、映画をも禁止されていたら、その後訪れる思春期に、私は本当に潰れていたはずだ。小学校時代はなんとか乗り切った私だったが、中学生くらいからは本格的に拗らせた。暗黒時代の始まりだ。辛かった時、私は母が唯一禁止しなかった海外ドラマと映画に何度も何度も助けられることとなる。