子供の早期英語教育について
先日、松井博さんがVoicyで子供の英語教育についてお話しされており、とても共感した。
この件については、野本響子さんとも一緒に対談されており、早期英語教育についてのご意見はもちろん、子育てについても共鳴することばかりで、多くの方に聞いていただきたい内容だと思った。
お二人の配信や対談については、ぜひ聞いていただければと思うが、私も早期英語教育については思うことがある。今まで散々、親は自分の価値観を子供に押し付けるべきではないとか書いてきたが、実は私も第一子の時に少しこれをやってしまったことを懺悔したい。
私は、10代後半から12年間オーストラリアで暮らしていたため、英語には親しみがある。日本に帰国してもう15年が経つが、今でも外国人との交流は多い。夫は留学経験はないが、大人になってから本格的に英語を勉強した人でTOEICは960点くらい。仕事でも英語を使うため、平均的な日本人より話せる方だと思う。
そういうわけで、私たち夫婦は英語と全く無縁というわけではない。だから、第一子の長女が生まれたとき、この子には当然、英語が話せる大人になってほしいと考えた。ただ、日本で日本人夫婦の元に生まれた子供に、日本語をおろそかにしてまで英語を強制するのは違うと感じたし、押し付けることで英語嫌いになる最悪のパターンは避けたかった。
そこで私は、映像と音楽に限り、英語オンリーにしてみたのだ。赤ちゃんが文句を言わないのを良いことに、海外の友人が送ってくれた子供向けDVDやCDをせっせと流し、Disneyなど元が英語のものは全て英語で見せた。そのうち長女は、数を英語で数えるようになったり、自ら英単語を発するようになった。単語だけ言えたところで全く意味がないだろ!というツッコミはさておき、自分の1歳児がネイティブ並の発音で英単語を口にする姿は可愛くて可愛くて仕方なかった。
当たり前だが、テレビや音楽を英語にしただけで英語が話せるようになるわけがない。でも世の中には日本語以外の言語があることを、できるだけ小さい頃に気づいてほしかった。英語が話せる云々ではなく、モノリンガル、モノカルチャーの日本で育つことへの「私の」恐怖心を「私が」解消したかった。娘はまだ赤ちゃんで何も不自由に感じていなかったのに、「私が」勝手に不安だったのだ。これは今思えば過干渉型、毒親思考以外の何物でもない。
長女は3歳くらいまでは、私の思惑通り、英語をすんなり受け入れていた。英語のテレビ番組を喜んで見ていたし、どこまで理解していたかどうかは怪しいが、ちゃんと笑うべきタイミングで笑ったりしていた。でも幼稚園に入ったころから、それらを拒否するようになってしまったのだ。「みんなが観ているプリキュアっていうのが見たいの!」とか、「みんなが観ているソフィアやFrozenは日本語を話すんだって!」とか言い出した。私の敗北だ。エンタメだけは英語を強制したい気持ちはあった。でもここで、かつての私の母のように、自分の趣味嗜好で何かを禁止したり強制したら親子関係が終わると思った。それどころかプリキュアを禁止して、ソフィアやアナ雪を無理やり英語で見せたら、長女は絶対に英語が嫌いになると思った。
でも当時の私は往生際が悪かった。「へぇ、ママ知らなかったな。(←大嘘)うちのテレビで映るかわからないけど探してみても良いよ」とだけ伝えた。字も読めない幼児が観たいテレビ番組を見つけられるわけがない。意地悪だが協力をしないことで、諦めてくれないかな、と考えたのだ。酷い母親だ。だが、長女は賢かった。夫がテレビ画面から番組表をみている姿を見て、自分も同じように番組表を操作しだした。一つ一つ片っ端から文字を確認して、「ここに多分プリキュアって書いてある!◯曜日の◯チャンネル◯時からだって!」と探し当てた。その上、夕方の再放送まで見つけだして、毎日観るようになってしまった。。。こうして、私の浅はかな早期英語教育の押し付けはあっという間に崩れたのだ。
長女は、日本語に飢えていたのだろうか?自分の観たいテレビ番組を探すために、テレビの番組表をずっと見ていた彼女はどんどん字が読めるようになった。幼稚園児がここまでできるのかと感心したし、親の押し付けは心底ムダだと確信した。それからは、テレビも映画も音楽も娘が観たい、聞きたいという物だけを見せることにした。子供は言語化できなくても、親の腹の内をよーくわかっている。子供が不満に思うことを誘導してはいけないと思った。
あれから8年くらい経つ。長女は数年前からハリー・ポッターにハマっている。本はもちろん、映画も繰り返し観ている。ソフィアを日本語で観たいと言い出してから、海外アニメも、洋画も吹替オンリーになってしまっていた長女だが、気がついたらハリー・ポッターの映画は字幕で観ていた。それどころか、YouTubeなどで英語オンリーのハリー・ポッター関連の動画などが出てくる度に、英語がわかれば良いな、と思ったりするそうだ。私はこの子が赤ちゃんの時、必死に日本語吹替を隠していた。初めに日本語で見せたら、日本語でしか観なくなるかもしれないと思ったし、正直それが嫌だった。長女は今、誰から誘導されたわけでも強制されたわけでもない、自分で見つけた「好き」がある。そして、それがさらに発展していく様子を私は感じている。だから私が過去にしてきたことは、本当に余計なことだったと思うのだ。
子供への種まきは決して悪いことではない。いけないのは、下心のある種まきだ。長女がプリキュアを観たいと言い出した時、私は内心、とてもイラっとした。下心を邪魔されたからだろう。幸いにも、自分の母という反面教師がいたことで、邪念をぐっと抑えることができた。母のような母親にならないように、と。でも、第一子の母親としての私はまだまだ未熟だと思っている。下の子供たちに対しては、変な下心が最初からほぼないのに、上の子には私の未熟さが出てしまうことが今でも時々ある。初めての子育て、初めて通る道。よからぬ感情がふつふつと湧き上がってきてしまった時、私は必ず自分のインナーチャイルドを呼び起こす。母からされて嫌だったことを自分の子供にしないように。それにしても毒母の疑いをかけられている私の母が、実は私の迷走や暴走のストッパーになっているかもしれないなんて、なんだか皮肉な話である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?