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おかしな子

母は、テレビや芸能人、流行り物が大嫌いだった。だからテレビ番組はほとんど禁止されていた。ドラえもんですら「アニメなんて幼児が観るものなのよ!あなたは赤ちゃんじゃないでしょ?!」と叱られた。

当時の子供たちがみんな観ていたと思われるとんねるずや山田邦子の番組なんてもってのほか。アイドルが大嫌いだった母は、ミュージックステーションなどの音楽番組ですら嫌悪していた。80年代はアイドル全盛期だったはずだが、母は彼らを一纏めに嫌っており、「あんな馬鹿みたいな人たちの音楽は音楽ではない!」と怒り心頭だった。

母は自分が嫌いなものを片っ端から徹底的に禁止した。それだけでも鬱陶しいのに、自分の良いと思う物に関しては絶対的に押し付ける人だった。たとえば、童謡コンサート、少年少女の合唱団、そしてクラシックの音楽会などによく連れて行かれた。母の友人にはバイオリンやピアノの先生が何人かいて、その方たちのコンサートやその教え子たちの発表会などへも頻繁に同行させられた。全く興味のないクラシックをお行儀良く延々と聴かなければならなかった。聴いている時にグダグダするなんてことは絶対に許されなかったので、全く気が抜けなかった。

そんな調子で毎回うんざりしていた私だったが、小澤征爾さんの子供向けコンサートに一度連れて行かれたことがある。今思えば、滅多にない貴重な機会だったと思うが、小学生の私は毎度毎度の母の押し付けにうんざりしており、全く楽しめなかった。相変わらずお行儀はよくできていたはずだが、コンサート自体に感動する様子を見せなかったことに対し、帰り道ずっと怒られた。

「小澤征爾さんを誰だと思っているの?!今日来ていた他の子供たちはみんな感動して喜んでいたのに、あなたはその良さがわからないわけ?!本当、おかしな子ね!いつもいつも貴重な体験をさせてあげてるのに、あなたは全然喜ばないし感謝しないんだから!」

母は私のことをいつもおかしな子と言った。私は自分がおかしいとは思えなかったが、勉強が苦手だったので、やっぱり馬鹿なんだろうなと思わざるを得なかった。一人っ子というのはただでさえマイペースで情報に疎くなりやすい傾向があると思う。私の場合、情報も遮断されていたし、兄弟どころか親族にも子供たちがいなかったこともあり、かなり浮世離れした生活を送っていた。今思えば、母も最初から私を支配するつもりはなかったかもしれない。しかし、このような環境で過ごしていると、母にも一般的な親子の様子や当時の子供の生活情報が入ってこなかったのも事実だ。自分が絶対に正しいと思い込む母と何も知らない私は、支配する側とされる側という立場になってしまった。勉強はできなくても、私は大変お利口な子供だったので、周りから見たら理想的な親子に見えたはずだ。誰も母に苦言を呈する者はいなかった。戸惑いを感じながらも、私はいつも母の言葉を受け入れるしかなかった。

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