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記憶のはなし
私は幼い頃の記憶が非常に鮮明だ。写真などから辿ることができる記憶もあると思うが、写真が一枚もないのに覚えている場面が多くある。それらは、私の脳内に焼きつけられている写真やビデオのようなものだ。いつも母との苦い記憶を書いているが、別に悪い記憶ばかりではない。日常の何気ない一コマ。母が作ったご飯とか、近所の風景とか、電車の中からの景色とか、お友達の家で遊んでいる姿とか、その時に着ていた服や誰かのさりげない発言などをよく覚えているのだ。
私の一番古い記憶は1歳半の時だ。母と長い坂を降りていた。坂の下の右側に白い家が見えてきて、母が「ここだわ」と言って道を渡った。比較的新しいその家は、誰かの新居だったのだろう。その家には女の人が1人しかいなかったのに、玄関の横に折り畳んだ緑の乳母車*(当時の私はベビーカーを乳母車と呼んでいた)が立てかけてあった。この光景を鮮明に覚えていて、あれは誰の家だったのか、誰の乳母車だったのか、ずっと不思議だった。
幼稚園の時に母に確かめようとしたが、うまく説明できず伝わらなかった。しばらく諦めていたのだが、小学校に入ったころに、もう一度確認してみた。母には全く記憶がなく「夢で見たんじゃない?」と言われた。いや、私はあの場所に行ったことがある。納得がいかない。私は、その後も何年にもわたり、何度も母に聞き続けた。今思えば、母は私のこういう所に対し、常にイラついていたのかもしれない。
ある時、母が急に何かを思い出した。「そういえばあなたが1歳くらいのころ、お邪魔したお友達のお家かも」と。でも1回しか行ったことがないし、よく覚えていないという。数ヶ月後、母はその友達と電話する機会があり聞いてみたそうだ。「坂道の下に住んでた?白い家だった?緑の乳母車があった?」と。母の友達は、よく覚えているね!とびっくりしたそうだ。緑の乳母車については、彼女自身もその存在すら忘れていた、と。なんでそんな事を覚えているのかと聞かれた母は、実は私が覚えていたことを伝えると、とんでもなくびっくりされたそうだ。
そりゃそうだ、私たちがこの家に遊びに行った時、私はまだ1歳半で、単語を発する程度の幼児だったのだから。そしてこの電話の時、私はすでに10歳だった。因みに緑の乳母車は、彼女のお子さんたちが赤ちゃんの頃使っていたもので、処分するつもりで、外に放置されていたというわけだった。当時、私たちが訪れたのは彼らが学校に行っている平日の昼間だったので、家にはその女性一人しかいなかった。私は、やっと納得した。この話はただの一例で、私にはこういう記憶が他にもたくさんある。
2024年現在、小学生の私の子供たちは2、3歳くらいの出来事についても割と覚えている。ただそれは大量にある自分たちの写真や動画を私のスマホやiPadでしょっちゅう見ているからだと思う。私たち大人だって、今はさまざまな連絡ツールやSNSを振り返るだけで、数年前、誰と会って、どんな食事をしたかくらいなら簡単に辿れるようになっているはずだ。昔は、今ほど写真を撮ることもなかったし、インターネットなんてなかった時代なのに、よくもまあ色々覚えているものだと自分に感心する。
私は、大人しかいない環境で育ったので、いつも1人で周りの大人たちを観察していた。話の内容は理解できなくても、彼らの表情や動作を見てその場の雰囲気を理解した。その場の様子、家や店内のインテリア、さらに、その時の空気や風の匂い、温度といった体感的なことまでもよく覚えている。
だからこそ、苦い記憶だって鮮明なのだ。英語で、butterflies in my stomach* という表現がある。お腹の中に蝶々がいるような、なんとも不快な気持ちを表す言葉だ。(*恋愛においてのドキドキみたいな表現として使う時もある)私は子供時代のbutterflies in my stomachまでも、よく覚えている。普段は蓋をしている嫌な記憶の瓶をうっかり開けてしまったものなら、過去の記憶と共に蝶々たちが私のお腹へ舞い戻り暴れ出す。
この記憶力の良さを学業に向けていたら、私はとても賢くなっていたかもしれない。でも私の記憶力はどうでも良いことでいつも容量がいっぱいで、学業に使うべき思考力も、日常の引っかかりや、観察している周りの人々の人間模様などを考えるために使ってしまうような、残念な子供だった。
でもだからこそ、独特な視点を大切にできる大人へと成長できたような気もする。私は別に個性的でも、日常で鋭い意見を発する尖った人間でもない。みなさんの近所に住む、平凡な主婦のような人間だ。でも内面は結構変わっていて、そんな自分が好きだったりする。私の母や祖母は、人と違うことが良いといつも主張していた。でも彼らの言う「人と違う」の意味は、とても上から目線だった。本当の意味で「人と違う人」は、他人に寛容なものだと思う。寛容で穏やかな人ほど強い個性を秘めていることもあるんじゃないかと思っているし、そんな人でありたいと思っている。