娘が脱毛症になり、世界が変わった
次女が汎発性脱毛症を発症したときのこと
次女は3歳で幼稚園に入園しました。
入園して1か月が経った頃、風呂上りに次女の髪をとかしていると、
「あれ?この子こんなに髪の毛薄かったかな?」と、ふと思いました。
夫が「気のせいだろう」と言うので、私も何でもないと思いたくて、見て見ぬふりをしていました。
数週間後、幼稚園の先生から「次女ちゃんの抜けた髪がバサッと床に落ちていたり、給食の中に髪が混じっていることがあります。」
と言われました。
私は「やっぱり気のせいじゃなかった」とようやく焦り出しました。
(次女が自分で髪を抜く行為は見られませんでした)
何かおかしいと思い始めてから、2か月が経とうとしていました。
まず近所の皮膚科に行きました。軽いステロイドのローションを処方され「1か月後に来てください」とだけ言われました。
1か月も待っていられないと思い、すぐ市内の総合病院の小児科に行きました。
小児科の医師は「このような症状を見たことがない、とりあえず採血を」
と、血液検査の結果を1週間待つことになりました。
その間に自分でネット検索し、円形脱毛症の類である「汎発性脱毛症」を知りました。
髪、眉毛、まつ毛、産毛など全ての体毛が抜ける
円形脱毛症の中でも、汎発性脱毛症は重症
再発を繰り返す度に脱毛は進行、発毛は難しくなる
治療法が確立していない
結果を待つ1週間が、気の遠くなるほど長く感じました。
髪が全部抜けてしまったら、私は娘をかわいいと思えなくなるんじゃないか、周りからどんな目で見られるのか、きっと将来いじめられる、娘が可哀想…と不幸な未来しか想像できませんでした。
結局、血液検査で異常は見つからず、2週間後に大学病院を受診することになりました。
「どうか違う病気であってくれ」
その思いも空しく髪は抜け続け、眉毛やまつ毛までなくなりました。
進行していく症状を見せつけられ、毎日泣いていました。
夜中に何度も目が覚め「本当は悪夢を見ているんじゃないか」と思い、朝起きては「まだ髪はあるか」と確認していました。
「何もなかったころに戻りたい」
私は現実を受け入れることができませんでした。
次女は発達がゆっくりで、嫌なことがあったら泣きますが、何がイヤなのかを言葉で伝えられません。
「ねこ」などの単語をいくつか言うくらいで、それも多くはありません。
幼稚園で困っていても、どう助けを求めたらいいか分からない様子でした。
たとえば登園後の準備の時、何もせずに立ち尽くしているなどです。
幼稚園に入園してから脱毛がはじまったので、
「幼稚園でものすごいストレスがかかっているんじゃないか」
と、病気は先生や園のせいだと思いました。
幼稚園に入れたことを後悔し、もう幼稚園に連れていきたくない、あと1年家で過ごせばいいと思いました。(私の市では3年保育が始まったばかりでした)
何かに怒りをぶつけなければ、この状況をやり過ごせませんでした。
心の中は真っ黒でした。
治療のこと
やはり大学病院で「汎発性脱毛症」と診断されました。
私は髪がなくなっていく娘の姿を見たくなかったので、一日でも早く治療して欲しいと焦っていました。
ネットで調べると「局所免疫療法」が一番効果的に思えました。
家から車で1時間ほどのS病院を、大学病院から紹介してもらい、治療を受けることになりました。
S病院の医師は「こんなに小さい子供の脱毛症は初めて見た。局所免疫療法を3歳の子供にするのは危険だから出来ない。薬剤のついた手で目や口をさわるかもしれないから」
の一点張りでした。
私は、次女よりもっと小さい子供でも局所免疫療法をしている情報をネットで得ていたので、この説明に納得できませんでした。
すぐに他の病院ででも局所免疫療法を始めたくて、夫に訴えました。
夫は
「とりあえず、S先生のやり方に従おう」
という返答でした。
「命にかかわる病気じゃないんだから」
「もっと他に大変な人はいる」
と言う夫に、
「どうしてもっと必死になってくれないんだ」
「次女の病気が悲しくないのか」
と、失望しました。
また、最初に夫の「脱毛は気のせい」発言をうのみにせず、もっと早く行動していればと後悔しました。
次女を病院に連れていくのも、ネットで調べるのも私です。
自分から何もしない夫に、結局他人事と思っていると、今も感じています。
髪がまた生えだした
S病院で、最強ランクのステロイドローションを頭皮に塗る治療が始まりました。
薬を毎日朝と夜に塗り始めて3週間が経ったころ、まつ毛が生えてきていることに気付きました。
ほとんど無くなっていた左目のまつ毛がほんの少しだけれど、生えてきていたのです。
局所免疫療法以外の治療は効果がないと思いこんでいたので、「本当に生えてきているの?」と信じられない気持ちでした。
頭髪の薄くなっていた場所にも、産毛が生えてきました。
「ぬか喜びになるんじゃないか」とどこかで恐れつつ、ホッとした気持ちもありました。
ちょうど夏休みを挟んでいたので、誰にも気づかれないまま、脱毛が目立たなくなればいいと思っていました。
再発への恐れ
5月に発症し7月に治療開始してから、バサバサと髪が抜けることはなくなりました。
徐々に地肌に産毛が生えてきました。
しかし、元々あった長い髪はじわじわと抜けているようでした。
10月ごろには、生えてきた髪と入れ替わるように、肩まであったおかっぱヘアが男の子のような短髪になりました。
久しぶりに会った友人やいとこに「あれ?髪の毛めちゃくちゃ短くなってるね」と驚かれました。
仲の良い友人には、病気の事を伝えましたが、夫のいとこには説明しませんでした。
かわいそうがられたり、病気に対して興味本位に聞かれるのが嫌でした。
S医師は、脱毛が治まったと思ったようで、地元のC病院に転院するように言われました。
私の住んでいる田舎の医師なんかが、本当にちゃんと脱毛症を診れるのか?と疑いました。
そしてまだ脱毛は続いている、きっとまた抜け出すと不安でした。
最初にC病院を受診した時、脱毛症の経過と治療内容を写真つきで短くまとめ、提出しました。
しかしC医師は、まともに見てくれませんでした。
「髪は抜けてません、副作用が心配だから弱いステロイドに変えていきます」と言われました。
私はC医師に不信感でいっぱいでした。
そして「薬を弱くしたらまた抜け出すんじゃないか」と治療方針に納得できませんでした。
再発の不安で常に怯えていました。
自分のなかに黒い塊がいすわっているような感覚でした。
何か楽しいイベントがあってもその塊のせいで、心から楽しめませんでした。
しかし、このまま病気に振り回されたくないという思いもありました。
この病気とどう付き合っていくか
結果的に、発症して1年半の間、2度再発しました。
1度目は5月の発症から8か月後でした。
また髪が抜けだした時「やっぱりダメだった」、どうして自分たちだけがこんなに苦しまなければならないんだと思いました。
ただ、最初の時とは落ち込み度が少しマシになっていました。
それはI病院に転院したことで、治療に対しての不信感がなくなったことが大きいです。
I医師は、「この年齢のお子さんにやれることを全てやっていきましょう」と言ってくださいました。
いつも体をこちらに向けて、目を見て質問にきちんと答えてくれます。
脱毛症のように、治るのか治らないのか分からない病気は、医師との信頼関係が、治療に大きく左右すると感じました。
それにはこちらの話を聞いてもらえたことが大きかったです。
正直こんな病気になってほしくなかったです。
次女には他の人たちみたいに、普通で幸せな人生を送ってほしかった。
でも私の考える普通で幸せって何だろう?
いままでちゃんと考えてこなかったことに気付きました。
今でも不安はあるし、再発の度に悲しく、落ち込みます。
けれど自分を立て直していくスピードはだんだん早くなっています。
それは、自分の感情をコントロールしたいと思い、その方法を学び、行動するようになったからでした。
また私を支えてくれた方たちとの、ありがたい出会いのおかげでした。
次女はこの病気と一生付き合っていきます。
私は次女の苦難を代わってあげることは出来ませんが、サポートすることは出来ます。
相談先をもつこと、環境を整える事、準備できることはたくさんあります。
このブログもその一つです。
同じ疾患をもつ方、親御さんと繋がりたくて始めました。
読んでくださりありがとうございます。お気軽にご意見、ご感想などいただけますと励みになります。