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性悪説と性善説

前回は、この世は地球刑務所仮説で看守が地位や収入が高く、看守は本来不要である(マニュアル、自学自習など)という結論、看守の性悪説、まで書いた。
ここまで書いて言えることはこの世の成功者は性悪説で動いているが、看守自体が本来マニュアルで代替できる不用品である。
性善説について考えてみる。性善説だと刑法などは生まれなかったとある。(法家思想が性悪説で生まれたため)つまり、あらゆる法律などは性悪説を制限するためにあり、性善説の世界では何も決まりごとがないこととなる。人間が法律を(ここでは法律が無かった場合に)犯すときはどのような時か?大体はお金目当ての詐欺や着服などで、政治家の失脚や社内政治などでも法律を犯しても捕まらないという条件付きで犯している。つまり、金、地位、名声が絡むと法律が必要になる。ということである。
金、地位、名声を望まなければ人間は善である、何故なら法律を破る動機は金、地位、名声によるものだからである。
学校でのいじめは犯罪であるが逮捕されないこれは、地位や名声のために行われていることであり、性悪説そのものである。
会社での出世競争は金、地位、名声の際たる例であり、出世のためなら汚いことも厭わない人がいるため、出世競争は熾烈であり、憎まれっ子が世に憚ることになる。
マイルドヤンキーが他の価値観の人間を否定するのも地位や名声のためである。
男性も女性も地位や名声を求める本質的な理由は恋愛にある、ということを前提に話を進める。
男性の女性から求められる能力というのは金、地位、名声によるものが大きい。つまり、女性が男性に求めているものを男性が求めた結果、いじめなり犯罪なりが生まれるきっかけになることがある。性悪説の決まり事が必要になる。
本来恋愛とは子供をつくる(囚人をつくる)前段階のものであり、この世に囚人を作ることは悪いことであるから性悪説になるということである。
恋愛、金、地位、名誉を気にしなければ、人間は性善説で生きられるのかもしれない。


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