鉛筆どころか先生の心までへし折れるんじゃないかと心配になった
「予約、いつにします?」
「来週の木曜日でお願いします」
行きつけの美容院での、何気ないやり取り。
デジタルの時代とは言われても、美容師さんにはアナログの人が多いらしい。
カレンダーをめくりながら、そこに手書きで予約を書き込んでいく。
ふと、ボールペンを握る美容師さんの手が気になった。
親指で筆記用具を押さえつける持ち方で、なんだか書きにくそうに見えるのだ。
私も昔はこの持ち方をしていて、さんざん苦しんだ過去がある。
親指で押さえつけてしまっている人、けっこう多い
今や書類の多くは電子化され、手書きする機会というのは少なくなった。
だからこそ、人としての温もりを感じる手書きの文字が添えられていると、読み手としては、なんだか孤独感が癒されるのだ。
手書きする機会が減ったので、書く人がどんな持ち方をして書いているのかを見ることは少ない。
ただそれでも、正しいとされている持ち方で書いているという人を見ることはあまりない。親指で押さえつける持ち方で書いている人を見かけることの方が、圧倒的に多かった。
みんな学校で習うはずなのに、どうしてできていない人が多いんだろう?
私の場合は、何度も正しい持ち方にチャレンジしたものの、結局できなかった。
ペン先がぐらついてしまい、思うように動きをコントロールできない。
仕方なしに親指で押さえつけて、ペン先がフラフラしないようにする。
こんな具合だ。
言われた通りにやっていればちゃんとできるはずなのに、なぜできないのかは、当時は知る由もなかった。
実は、持ち方だけでなく、書く時の姿勢も直さなければいけなかったのだ。
親指で押さえつけるのは悪い持ち方なので、当然いろいろと問題も出てくる。
・強く押さえつけるので、筆圧も強くなり、鉛筆の芯が折れやすくなる(シャーペンは特に折れやすい)
・ペン先が固定されやすいので、可動域が狭くなり、字が小さくなったり、角ばった字になりやすい
・長時間書いてると手が痛くなりやすく、ペンだこもできやすい
・字を書くスピードが遅くなりがち
ざっと箇条書きしてみると、こんなところだろう。
何をどのように直せばちゃんときれいに字が書けるようになるのかは一人ひとり異なるため、さすがに先生が一人でクラス全員を細かく見るのは難しい。
普段あまり字を書かない人は、「文章書くにしても、今の時代ほとんどパソコンだし、無理に持ち方を直さなくてもいいのでは?」と思うかもしれない。
だが、当時の私には、そういうわけにもいかない事情があったのだ。
頼むから、キーボード使わせてくれ!
一番のきっかけは、税理士試験を受けたことだった。
ひたすら計算ばかりさせる簿記論の科目は問題がないが、他の科目では長い文章を記述させる問題がある。
その分量というのが半端ではなく、手を休めずに書いていかないと、解答欄を全部埋めることなど到底できないほどの量なのだ。
学校に通って勉強していた時も、他の受験生は記述式の問題を解答し終えている段階で、書くスピードが遅い私は半分くらいしか書けていない。
どう考えても、圧倒的に不利だった。
焦って力が入り過ぎてしまい、ボールペンがへし折れてしまうこともあった。
税理士試験では解答用紙への記入はボールペンを使わないといけないが、安物のボールペンは、イライラしながら力が入り過ぎてしまうと、簡単にパキパキとへし折れた。
「キーボードさえ使えれば・・・」
そう思ったことも、一度や二度ではなかった。
だが仮にパソコン上での試験が検討されたとしても、タイピングが苦手な受験生が不利になるという理由で却下されるかもしれない。
結局、キーボードに執着するのは、ただの無駄あがきだ。
困り果てたので、講師の先生に相談しに行った。
「先生、どうしても書くスピードが遅くて不利になってしまうんですが・・・」
「それやったら、なるべく字を小さく書くようにしてスピード上げよう!」
(・・・うん、もうそれ、すでにやってる。)
その後も食らい下がるも、これだと思えるようなアドバイスは出てこなかった。
相談しても無駄だなと悟った。
自分でなんとか正しい持ち方をできるようになって、書くスピードをアップさせた方がいいんじゃないか。
頼りなかった講師を前に、そう感じた。
変な持ち方をしているのに、時間内にちゃんと書ききれるという受験生も中にはいる。でも、自分には無理だった。
社会人にもなって、今から習字を習いに行くのか。
明らかに場違いな感じになってしまう気もしていた。
でも、合格のためには、避けては通れない。
字の見た目しか直してもらえない
実際に習字教室に行ってみると、やはり浮いた存在になってしまっていた。
来ているのは小中学生で、女の子が多い。
社会人もいるが、たいてい女性。
私のような社会人の男性は、あきらかに場違いな感じに見えた。
単にきれいな字が書けるだけじゃなくて、速く書けるようにしたいとお願いをして、字の崩し方なども教えてもらっていた。
しかし、それでも満足に書ける状態にはならなかった。
トメやハネなどの字の形はちゃんと直してくれるものの、書くスピードを上げていくと、やはり汚い字になってしまう。
「速く書ける人と自分と、何が違うんだろう?」
そう考えたときに気づいたのが、書く時の姿勢とペンの持ち方だった。
だが、学校や習字の先生で、持ち方や姿勢を丁寧に指導してくれる人というのは少ない。
持ち方や姿勢を直すよりも、紙の上に書かれた字を直す方が楽なのだろう。
教えてもらえないものは仕方がない。
しぶしぶ自分で参考になりそうな本はないかと探し回り、運よく持ち方を解説してくれている本を見つけた。
「これで本当にうまく書けるようになるのかな?」
半信半疑だったものの、必死に持ち方や姿勢を意識していると、少しずつ正しい持ち方ができるようになっていった。
そのことを習字の先生に話してみると、
「へぇ~、そうなんや。勉強になるわ~」
とそっけない反応だった。
こっちが生徒として習いに来ているのに、なんで自分が教える状態になっているのかとイライラしてしまった。
それと同時に先生のこの反応は、この先生には持ち方や姿勢を指導できる力が十分ではないことを物語っていた。
ちゃんと向き合ってくれる先生がいた
「持ち方や姿勢くらい、ちゃんと面倒見てくれたっていいじゃないか」
自力でなんとか問題解決して、そう感じていた。
せっかくだから、この体験をブログの記事にしてやろう。
そう思って記事を作っていると、興味深い本を見つけた。
まさにタイトルにもある通り、書く時の姿勢や持ち方を扱った本だ。
こちらの本を読む前に、すでに別の本を読んで無事に書けるようになっていたので、私は読むことは無かった。
それでも、ブログ読者の参考にはなるだろうと記事中で紹介していたら、著者の方からコメントが届いた。
著者の方は小学校の教員をされていたことがあるらしく、児童の姿勢や持ち方の悪さが気になっていたとのことだった。
「ちゃんと気づいて、なんとかしようとしてくれてる人もいるんだな」
そう思うと、安心感やうれしさがあった。
そんなに力を入れ過ぎたら、折れてしまう
ちゃんと向き合ってくれる先生がいて良かったと思った一方で、ちょっと心配になる先生もいた。
その人は、関東地方の小学校の先生で、Twitterでつながっていた相手だった。
その先生のツイートで、気になる内容のものがあった。
「うちの子は座るときの姿勢が悪いんで、先生の方から言って直してあげてほしい」
保護者から、そう言われたそうだ。
それだけなら、まだいい方だろう。
「子どものお箸の持ち方が悪いんで、直してあげてほしい」
次から次へと言われると、たまったものではない。
鉛筆の持ち方や書く時の姿勢くらいだったら、国語の授業で対応できるかもしれない。
でも、「それって学校の勉強以前の問題なんじゃないの?」ということまで先生が対応していたら、身が持たないだろう。
一人ひとりに合ったやり方で指導していたら、すぐに時間が足りなくなる。
あまりにも負荷がかかり過ぎると、心も折れてしまう。
この先生も、お箸の持ち方を指導してほしいと頼まれて、
「さすがに心が折れそうになりました」
とつぶやいていた。
ただでさえ授業で教えないといけない内容が増えてきているのに、家庭教育崩壊のシワ寄せもきてしまう。
鉛筆の持ち方や書く時の姿勢くらい学校で教えて欲しいと思っていた私も、本当にそれでいいんだろうかと何とも言えない気持ちになった。
しばらくして気がつけば、この先生のTwitterのアカウントが消えていた。