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「もしかして自分はアダルトチルドレンなのでは?」社会に出てから気づく人々
アダルトチルドレン——本来であれば子どもにとって安全基地であるはずの家庭が、親の依存症などによってその役目を果たせなくなり、そうした家庭の中で育ったために、心に傷を負っている人。
多くの人にとっては、自分には当てはまらないと思えるかもしれない。
「うちの家庭は、ごく普通でしたよ」と。
だが、程度の差はあれ、日本の家庭は子どもにとって安全基地としての機能を十分果たせていない部分もある。日本の家庭の8割は機能不全家庭だとする研究者だっている。
身近なところにアダルトチルドレンの人が大勢いたり、
自分自身がアダルトチルドレンであったとしても不思議ではない。
記事制作の仕事をしていて、ふと
「日本の職場には、アダルトチルドレンの人が大勢いるのかもしれない」
と感じたので、私が感じたことや
私自身がアダルトチルドレンであることに気づくまでをまとめてみた。
職場でよく見かけるタイプの人への違和感
ちょっと自己紹介も兼ねて、
私が普段どんなことをしているのかを書いておきたい。
私は人事系のコンテンツ制作に強いライターとしても活動しており、
研修サービスを提供する大手企業が運営するメディアに掲載される記事を書いている。
去年の年末から制作依頼があったのが、
自分のキャリアを自分でどうやって築いていくのか
といったテーマのものだった。
終身雇用制度のあった昔であれば、転職となると一大事だ。
それが最近では、転職するのはもう当たり前。
下手をすると、まるで近くのコンビニに買物に行くくらいの感覚で
人が辞めていく。
人事担当者にとっては、頭の痛い問題だ。
「大変な時代になったもんだよなぁ」と思いながら、
記事を書くための情報集めをしていると、
とある大手企業の人事最高責任者のインタビュー記事が目に留まった。
その企業というのが、ITの大手で率先して人事制度の改革を行い、
数多くの成功を収めて注目されているところだった。
インタビュー記事の中で、フィードバックの在り方についての受け答えが、
私の中で引っかかるものがあった。
「上司のフィードバック力というのも大事ですが、
部下の側のフィードバックを受ける能力というのも大事だと思うんです」
インタビューの内容を要約すると、こんな感じだ。
確かに、上司ばかりがコーチングスキルを磨いても、
部下の側に問題があって上手くいかないケースというのもある。
上司が部下の作った書類の誤字・脱字といったようなちょっとしたミスを指摘すると、まるで何か重大なミスをしたかのように受け止めてしまう人もいる。
上司にしてみれば、「ちょっと直してほしいだけなんだけどなぁ」と責める気など全くないことがほとんどなのだが、過剰に反応されてしまうと間違いの指摘もやりづらくなってしまう。
他にも、職場でよくありがちなものとしては、
辛くても誰にも相談せずに仕事を抱え込んでしまい、
やがて限界に達してメンタルヘルス不調になってしまうケースや
やりたいことがなく漠然とした不安を抱えているケースもある。
そうしたケースの多くは、
個人の性格の問題として片づけられてしまうことも多い。
日本人は、真面目で几帳面な人が多いと言われている。
だが、そうした性格の問題で片づけてしまうには、
ちょっと引っかかる部分があった。
いくら真面目とはいえ、潰れてしまうまで背負い込むのは、
さすがにやっていることが常軌を逸する部分もあるのではないか。
もしかしてこれって「アダルトチルドレン」なのでは?
そう考えれば、フィードバックを受けるのが苦手で、すぐに落ち込んでしまったり、問題を相談できずに背負い込み過ぎてしまいメンタルダウンしてしまう人が出てくる理由も、うまく説明できる気がした。
自分には関係ないと思っていた
多くの人は、「アダルトチルドレン」という言葉を知らないだろうし、
知っていたとしても、親がアルコールやギャンブルの依存症でなければ
「自分は当てはまらないから、関係ない」と思ってしまうのではないか。
過去の私自身が、そうだった。
私が育った家庭は、何か問題を抱えているようには見えない
ごく一般的な家庭だった。
たった一つのことを除いては——。
その一つというのが、
うちの親は両方とも、とある宗教の幹部ということだった。
お酒でも、ギャンブルでもない、
宗教に依存していたのだ。
そんな家庭に生まれ育ったわけだから、
私がアダルトチルドレンになったのも、当然の結果だったのだろう。
教団の会合には、強制参加が当たり前。
祈ることや教団の出版物を買うことも強要される。
断れば、幸せになれなくなるという心理的な脅しがある。
もちろん、そうしたことを言ってくる周囲の信者にしてみれば、
マインド・コントロールされているわけだから、
脅しているという自覚は無い。
あくまで親切心で言ってあげているという感覚だろう。
正しいとされる教団の教えを広め、
世界平和に貢献しなければならないと教えられたせいか、
私は禁欲的で完璧主義の傾向が強かった。
そうしたストイックなところがあったものだから、
当然のごとく友達も彼女もいなかった。
いっしょにいても堅苦しいだけになりがちだから、
これも当然と言えば当然の結果だったのだろう。
そんな私に、自分がアダルトチルドレンであることに気づくきっかけをくれたのが、京都府立大学の横道誠先生だった。
自助会を多く主催されている横道先生は、
教団は違っても、私と同じ宗教2世だ。
そして、発達障害の当事者という点も共通している。
そんな横道先生は、アダルトチルドレンの自助会もやっており、
発達障害の自助会の方にも、アダルトチルドレンですという人が
参加していることがある。
私自身も、他のアダルトチルドレンの人の話を聞いたり、
横道先生がアダルトチルドレンの自助会をやっているのを見て、
「もしかして自分も・・・」
と感じることがあった。
実際にアダルトチルドレンの特徴をネットで調べてみると、
驚くほど自分と重なる部分がある。
「性格の問題というよりも、アダルトチルドレンだったのか・・・」
学校にいた時には、私は模範的な真面目な生徒として見られていた。
そうした姿はアダルトチルドレンによる偽りの姿であって、
本当の自分ではない。
こうしたきっかけがあって気づかせてもらえなかったら、
きっと「生まれ持った性格だから」とずっと思っていたかもしれない。
多くの人にとってアダルトチルドレンは身近な問題
記事制作の仕事をしていて私が気づいたように、
アダルトチルドレンの人というのは、思いのほか周囲にたくさんいる。
最近では、自分の発言や行動によって周囲からペナルティを受けたり、
不当な評価を受けたりする心配が無い心理的安全性が高い組織は生産性が高いとして、人事の分野ではこの「心理的安全性」というワードが注目を集めた。
これとは逆に、心理的安全性が低い環境で育ったのが、
いわばアダルトチルドレンというわけだ。
真面目で献身的な一方で、
ストレスを抱え込みやすく、メンタルダウンのリスクは高くなりがち。
周囲に対して遠慮がちで、自分の意見を言いづらい。
ちょっとした指摘でも、人格否定だと受け取ってしまう。
過剰に責任を感じてしまい、「すみません」が多い。
昔の私も、まさにそんな感じだった。
私のように親が宗教に依存していた家庭で育ったというケースでなくても、
アダルトチルドレンになってしまうことは十分あり得る。
宗教とまではいかないまでも日本は同調圧力が強く、
「いい子でいなさい」「人に迷惑をかけてはいけません」
と言われて育った人も多いのではないだろうか。
多くの人にとって、アダルトチルドレンの問題は無関係なものではない。
社会に出ても自分がアダルトチルドレンであることになかなか気づくことができず、仕事が上手くいかずにメンタルダウンして精神科や心療内科を訪れ、カウンセリングを受ける中でやっと気づくことだってある。
かく言う私も、自助会に行くようになってからやっと気づけた。
今の私は、アダルトチルドレンの自助会の立ち上げに向けて準備中だが、
そうした自助会の場を作っても、人が集まらなければ意味が無い。
私でも最近まで気づくことができなかったくらいだから、
啓発の活動も必要になってくるだろう。
もしかしたら企業向けにアダルトチルドレンの研修なんかも考えてみてもいいのでは、と感じている。