これまで引越しを何度もしてきたし、隣人が変わった経験もある。 同じ部屋でも心地よく暮らせることもあるし、いろんなことに耐えられなくて引っ越したこともある。 引越しの一番の要因は音だ。 隣の部屋の場合もあるし、下の階の場合もある。 ①ワンルームなのにカップルで住もうとする ちょっと家賃が高い広めのワンルームなら困った人はあまり住んでいないだろうと思っていると、これ、間違い。 広めだからルームシェアして安く住もうとする住民が厄介だ。 そもそもワンルームなので壁がそんなに厚くな
春の訪れも近い麗かな日差しの中で穏やかな朝を迎えた。 その頃遠い空の下で、命の危機を感じながら過ごしているひとびとがいるという事実は今に始まったことではない。 思想の違い、宗教の違い、さらなる力への欲望、それらは時に当たり前の生活より重要とされ、ただ毎日生きるという小さな幸せを求めるひとびとのそんなささいな願いさえ打ち砕いていく。 悲しみ怯えるひとびとのために、私は何ができるだろう。 そして、もし、自分の大切なひとびとがそんな恐怖にさらされたとき、私には何ができるだろう。
コロナが長くなって、仕事もご飯も家で済ます生活を送っていると、なんだか世の中に取り残されてしまったような妙に不安定な気持ちになります。 ネットの中をのぞきこんでも、妙に短い動画や、前奏のない音楽、展開の早いドラマ…全てダイジェストのようで気が急きます。 話は変わりますが、デザインを行う際余白が重要な意味を持ちます。 全てが詰まった状態では肝心なものが目に入らなかったり、理解しづらかったりするので、重要なものの周りはあえて広めに余白を作ります。 「生きる」ことにも余白が必要
朝一番に見たFacebookで、恩師の訃報を知りました。 マメで、高齢なのに頻繁にSNSをアップするような人だったのに、コロナでホームステイが叫ばれ始めた頃にパタリと更新がとまり、それからずっと体調が気になっていました。 コロナが落ち着いたら訪ねよう、なんて思っていたけれど間に合いませんでした。 ふわふわとした仕事っぷりだった私に、どんな仕事でも前向きに楽しむことを教えてくれた人でした。 「やったらよろしい」 その一言に何度も背中を押されました。 ありがとうございます。
心が苦しくなったときにふと口ずさむ言葉がある 照る日 曇る日 雨降る日 月は東に 日は西に 人生にはいろんな日があって、お天気のように変わっていく けれど月も太陽も無関係に空を巡り、好む好まないにかかわらず時は過ぎていく 今日、本当に辛くて心が潰れそうに泣き叫んでも 疲れて眠って朝になって、新しい1日が始まれば何かは変わる そうやってスイッチを切り替えて、少しだけ元気になる
リモートワークって言葉だけだと素敵な感じですが、家庭環境によって問題もいろいろあるな、と思う今日この頃です。 A氏の場合押し潰されそうな満員電車で1時間以上かけて通勤していた一人暮らしのA氏は、リモートワークが始まった当初は通勤の負担がなくなって喜んでいました。 終日自宅にいると隣の物音がどんどん気になっていき、防音対策の効いたマンションへ転居を検討しています。 終日家にいるというのも考えものですね。 B女史の場合二人の娘を持つB女史。娘が幼い上に保育園も学校も感染者が発
知り合いが急に発熱して、その後熱は引いたが頭痛と微熱が続いている。 いつもであれば「夏風邪」の一言で片付けられるが、このご時世それでは片付かない。 新型コロナウイルスの軽症時と風邪はさほど症状に違いがないからだ。 新型コロナウイルスには特効薬がまだない。 軽症で終わる人と重症化する人の明確な症状の違いもわからない。 そして、医療体制はすでに逼迫した状態だ。 ---若いから重症化しない その認識は正しくない。 重症化する率が低いということであって、自分が重症化しないとい
私は平凡な人間だ。 普通の田舎に生まれ、小中高を公立校で過ごし、家から一番近い大学で特筆することもない成績で卒業した。 運だけはよいらしく、浪人も留年も無職もないが、田んぼの間の農道を歩くようなそんなドラマにもならないような平穏な毎日だ。 なので、「スポットライト」など無縁だ。 卑下しているわけではない。 平凡は見方を変えれば幸せの山はないが不幸の谷もないので、一定して落ち着いたいい日々だ。 もともと人に注目されるのは苦手だ。 注目はろくなことがない。 そもそも人の評価な
中学の卒業文集に私は大それた野望を書き込んだ。 ---いつか世に名が知れた人物になります。 書いた当時はそんな大それたこととも思っておらず、ただ、自分の書いた文章を世に送り出したい、そんなことを思っていた。そう、物書きになりたかった。 SFと少女小説が好きで、お小遣いがあれば単行本を買い漁り、目が悪くなるのを百も承知で布団に転がりながら黙々と読み耽った。星新一、かんべむさし、新井素子、氷室冴子...、単行本が待ちきれず季刊コバルトを予約購入した。 今でも実家の本棚は当時の
小学校3年の遠足は、私にとって楽しいことを全て押しのけてどこか切なく胸がちくりと痛くなるものになった。 遠足の行き先は、県南で人気の海水浴場のある町だった。 天気もよく、まだ初夏だったと思う。 住んでいた町からそこまではバスで1時間程度。 四方を山で囲まれた小さな町でくらす小学生に、海はまぶしくてワクワクする場所に思えた。 海水浴場で思い思いに過ごし、最後に集合写真を撮ることになった。 当時の私は、転校生だったので周りに溶け込むのに必死だった。 すごく仲の良い子もいなか
大学の頃、ちょっとだけ好きだった先輩が教えてくれたカーペンターズ。 憂鬱な日にはいつもこの曲が頭に浮かぶ。 Rainy Days And Mondays 雨の日と月曜日はいつも私を憂鬱にする...。 最近、立て続けに不幸なニュースが世の中に駆け巡り、メディアが原因についてああだこうだと語っている。 全て本当に聞こえるし、全て嘘に聞こえる。 心が弱かった 真面目すぎた 家庭環境に問題があった ... 本当はどれでもなくて、ある意味「魔が刺した」ということかもしれない。
コロナの蔓延と共に世界はとてもおっかなびっくりで窮屈になってしまった。 いつも何かを恐れびくびくし、何かを楽しむことに罪悪感を抱くような、そんな日常が続くことに誰しもが疲れている。 以前は良かった、と後ろ向きに考えるのは容易い。そして過ぎた日々は美しい。 いつもより人の多い電車で少し大きな声で会話する人に、このご時世非常識と眉を潜めながら、ふと思った。 どんな日本だったら胸を張って幸せないい国と言えるんだろう 電車の中で無表情で会話のない国? 天気のいい公園でマス
縛られずに仕事したい、とか聞くが個人的にはある程度縛られていたい。(仕事に関してのみ) 例えば、 どこで仕事してもOK とか言うと聞こえがいいが、どこでも仕事ができる=どこでも仕事しないといけない、となる場合も多々ある。 特に会社側が場所や時間の制限を加えていないということは、制限内に収まった仕事ではないと考えた方がよい。 会社は慈善事業ではないので、当然報酬分、いやそれ以上能力を発揮してほしいと考えている。 能力の発揮は、時間の場合もあるし発想の場合もあるし技術力の場合も
おばあちゃんによく似てるねぇ まだ小学生だというのにおばあちゃんに似ていると言われて複雑な思いがした。 妙に落ち着いて子供らしくない態度のせいもあったかもしれない。 顔は父に似ていると思う。 女の子はお父さんに似るとよく言われるが、私も類に漏れずそうだ。 新しいことが好きで飽きっぽいところも似ている。手を出した習いものが多数あるが、長続きしたものは数えるほどしかない。 最近、言い訳が母に似てきたと思う。 特に自分が悪くないと思っていることに対して過剰に反応するあたり、苦
文系だの理系だのと言われるが、それでいうと私は一応理系だ。 ただ、かなり微妙な、ある意味文系で、ある意味理系と言える。 教育学部で専攻が数学 無事卒業したので使いもしない教員免状を持っている。 (今は更新が必要になったので、実質もう効力はないと思うが。) 私は数学が好きだ。 数学と言っても色々な分野があるので、全部好きかと言われるとそういうわけではない。 実際、大学時代に単位を落としそうになった分野もある。 さらに言うと、中学1年までは数学が大の苦手だった。 なぜ、数
たまに、病気なんじゃないか、と思うほど心配になることがある。 家を出てちょっと歩いたあたりで 鍵かけたっけ、とか エアコン切ったっけ、とか 換気扇止めたっけ、とか 急に気になりだして無性にうちに戻りたくなる。 ヒーターとかホットカーペットが気になりだすともうだめ。 会社を早退したこともある。 気になっているときは、だいたい忘れていない。 本当に忘れていることは心配になることすらない。 わかってはいるのだけれど、気になったらもうどうにもならず、最近では家から100メートル以