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Hotel K5に見る歴史のつなぎ方

以前に目黒のレストランKabiを訪れた際に、新しいお店を準備されていると伺いました。それがこの2月に日本橋兜町にオープンしたCAVEMANです。併設するHotel K5のメインダイニングも担うとのことで、早速、足を運んでみると、そこは単なる複合施設ではなく、歴史を未来につなぐ重要な拠点だったのです。

 長らく日本を代表する金融街だった日本橋兜町。古くは明治時代に始まり、1980年代には米ウォールストリートや英シティと肩を並べるほどの活気に溢れていたと言うけれど、今やCOREDOを中心とした日本橋の街外れになってしまったイメージだ。衰退の背景にはテクノロジーの発展がある。

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 1980年代当時から今も変わらず、この地には東京証券取引所が鎮座する。かつて、その周囲に集まっていた証券会社各社は、取引の電子化が進むにつれ、オフィスをより東京の中心へと移していくことになる。物理的な「場」であった立会場が、1999年に閉鎖されたことが大きな変化点になったようだ。取引所の裏手に佇む「K5」は、この歴史の延長線上に生まれてきた。

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 日本で最初の銀行である第一国立銀行の本店別館として、1923年に竣工された建物は郵船兜町ビル、兜町第5平和ビルと、時代時代でその役割に応じて名前を変えながら、実に93年もの年月を重ねてきた。そして今回、大規模なリノベーションによって、また新たな役割を担おうとしているのだ。引き継がれた「K」と「5」の二文字には、歴史をつなごうとする意志が表れている。

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 立役者は東京証券取引所の建物も所有する平和不動産。東証の前身である日本証券取引所がGHQの要請により解散になった際に、その施設を継承するために発足した同社は、兜町一帯に土地を持ち、行政と一体となって、この地の再開発を進めている。今回のリノベーションもこのプロジェクトの一環として行われたものだ。再開発計画によると、将来の兜町は金融投資の文脈から、インキュベーションの場になることを目指している。その時にK5が担う役割は、非公式に人と人とをつなぐことだろう。

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 K5はマイクロ・コンプレックスと呼ばれ、ホテルを核に、ダイニングレストラン、ビアレストラン、カフェ、バーが併設されている。この複合によって朝から夜まで開かれている空間は平日も休日も人が集いやすく、たまたま訪れた日の賑わいからは、既にその機能を果たしているようにも見える。ダイニングレストラン「CAVEMAN」とカフェ「SWITCH COFFEE」の間の仕切りは生い茂る植物によって緩やかに、ホテルのロビーも兼ねるような空間作りが特徴的だ。

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 もちろんただオープンなだけでは対話や思考は熟成されず、そのための機能としてか、バー「Ao」は他の施設とは別にクローズドな空間として提供されている。漢字表記の「青淵」は言わずもがな、渋沢栄一氏の雅名に由来する。氏は第一国立銀行の頭取を務め、邸宅を構えていたほど兜町に由縁があるのだ。

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 そして全ての施設に、オリジナリティと妥協のないクオリティが通奏する。目黒の名店「Kabi」の新店舗として「CAVEMAN」が日本由来の発酵や熟成を北欧の発想で再考すれば、「HOTEL K5」ではストックホルムのデザイン集団クラーソン・コイヴィスト・ルーネ(Claesson Koivisto Rune)が彼らなりの視点で日本建築を解釈する。K5のコンセプトを体現するようなこれらの融合が、上辺だけでは無く、本質として根付いていることを外に示しているのだ。

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 太平洋戦争の戦火をも逃れた建物は、欧米列強に屈さぬ強さと硬さをもって造られている。その中に、いかにも日本らしい木や紙の柔らかさを持ち込むとどうなるのか。そこにはおそらく、自然との向き合い方が日本と近い北欧の思想を持ち込むことによって、調和がもたらされるのだろう。高い天井と硬いコンクリートで覆われたホテルの部屋は、事前の心配をよそに、暖かく、静かだった。

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 部屋のレコードプレーヤーにセットされていた坂本龍一の『BTTB』を掛けてみると、高い位置で鳴るJBLのおかげもあってか、ピアノの残響が驚くほど心地よい。棚に置かれていたBill Evan Trioの『at Shelly’s Manne-Hole』もよく馴染む。なるほど、この独特の音響効果を活かして、例えば地下にはライブスペースがあっても面白かったのかもしれない。人は音に集まり、交流を得る。実際、横浜ではビルボードが、1926年に建造された生糸の倉庫を復元して、ライブハウスの開業を準備している。(2/27追記:その後、地下のビアレストラン「B」では、DJやライブイベントが不定期で開催されている。)

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 日本橋兜町は古くからの金融街だ。ここではモノではなく、信用が価値を持つ。今後、街の再開発が進むことによって、より多くの感性豊かで多様な人々が訪れることになるだろうけれど、おそらくその価値観は変わらない。だからこそ、ハブとしてのK5が求められたのだ。そして、この機能が築93年の歴史的建造物の中に実装されたことは、日本文化にとって大きな意味を持つだろう。銅張りのホテルの部屋扉を経年変化させながら、この場所で新たな歴史が刻まれていくのだ。

つながりと隔たりをテーマとした拙著『さよならセキュリティ』では、「7章 内と外 ー境界」において、やわらかい建築や、つながる空間としてのホテルについて触れております。是非、お手にとっていただけますと幸いです。



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