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「あなたは大人しくて、じーっと周りを見ている子。」その真意は何だったか?

「え、そんなことありえるんですか?」

「そんな激ムズ案件、どうやってまとめたのですか?」


ランチ中に不動産関係の仕事仲間から言われた言葉です。


実は先月、一般的に見るとなかなか難解な(風に見える)案件を僕の方でサポートさせてもらい、無事に決済までこぎつけたケースをシェアしました。


先程の言葉は、それを聞いた仕事仲間の反応です。


当の依頼主も半分以上あきらめていて、「二束三文でも処分できたら最高!」位に思っていた案件を、なんとか頑張って投資額の6割方回収することに成功したのです。


だから、めちゃくちゃ驚かれましたし、それ以上に感謝されました!


ただ、僕の感覚では、

「簡単ではないけれども、まずは〇〇に行って、〇〇と話をして、〇〇と〇〇の状況を確認し、関係者を把握、その上で関係者へのコンタクトに成功すれば、交渉して、少し様子を見れば、運が良ければなんとかなるのではないか?」


そんな風に考えていて、実際にその通りに話が進んだという淡々とした感じなのです。

*伏せ字ばかりですみません。


確かに、依頼を受けた時点では情報がとても少なく、事前の現地調査が必要で、しかも依頼主が購入した当初の関係者とは全く連絡が取れない状況という環境下でしたので、その調査の手間を考えるとやはり難解な案件と言えるかもしれません。


タイの案件ですし。

(基本的にタイ語でその辺の地道な調査を行う必要あり。)


だけれども、僕はそのような調査をすることに対して、あまり苦に感じず、特に努力もなくなんとなくこなせてしまうのです。


これって、言い換えると、


「自分の才能や得意は自分ではわかりにくい」


って言うことですよね。


人から見ると「ものすごく難解な案件だからお断りする。」を「〇〇して〇〇すれば、状況次第ではなんとかなるかもしれない。」と考えて行動することができる、その違いです。


改めて考えてみると、かなり大きな違いですよね。


人によって当たり前って異なることは、頭では理解しているつもりでも、実際に腹に落ちている人って少ないと思うのです。


僕もその一人でした。


自分の才能、得意は人に言われて初めて気づく。


しかも、何度も何度も言われないと分からない。


そして、自分で人生振り返って、上手く行ったパターンを分析してみて、ようやく見えてくる。


そんなものなのかもしれません。


今では、いろんな先生や先輩からの学び、人生経験豊かな知人友人達との交流の中で、自分の得意の枠がようやく出来つつあるという状態にはなってきました。


では、どうして僕はこの自分の特性についてもっと早く理解し、積極的に活用することができなかったのでしょうか?


これはある幼少期の経験に遡ります。


幼少期の原体験


小学生の頃に母親に言われた言葉があります。


「あなたは大人しくて、じーっと周りを見ている子。」


たしかに僕は物心ついて自我がはっきりしてきた小学生3年生の頃から、引っ込み思案で、クラスのリーダー的男子の言いなりになってたし、女の子に話しかけることは、かなりハードルが高く、おとなしい部類の子供だったと思います。


だから、僕はずっと、


「僕はおとなしくて、あまり自己主張せず、周りとの調和を好み、じーっと何かを観察していて、周りから見て、何を考えているか分からない人」


みたいなセルフイメージを持っており、つまりそれは短所だと思っていました。


そしてそれをずっと大学に入る頃まで引きずっていました。


だけどそのセルフイメージは僕の勘違いから生まれたことだったことが今なら分かります。


お母さんや先生、当時の友人たちに言われたり、思われていたこと、


「あなたは大人しくて、じーっと周りを見ている子。(だから、価値がない。)」

(カッコ内は当時の僕の意見)


それは、事実(ファクト)ではなかったということです。


小学3年生当時は自分で自分の価値に気付くことが出来なかったわけですが、46歳の今の自分が、小学3年生の自分に声をかけてあげるなら、こうなるでしょう。


「あなたはじーっと周りを観察して、みんなの意見をよく聞いて、みんなのバランスをとっていたね。目立たなくてもいつも最後はあなたがまとめてくれていたね。」


短所だと思っていたことが、ちょっと視点を変えるだけで、一気に社会において価値の高い、「特技」に変わる瞬間です。


実際、社会では、そうやって冷静に状況分析をして、周りのバランスを取ることに注力して問題解決をできる人材が求められているし、


特に海外では言葉や文化が違うもの通し、勘違いやミスコミュニケーションはしょっちゅう起こるし、いわゆる常識も異なるわけで、調和を生み出せるスキルはめちゃくちゃ重宝されます。


そこまでの内容を小学校3年生の自分に伝えるかどうかは別として、とにかくその性格自体があなた(小学3年生の自分)の唯一無二の才能だと言うことを伝えてあげたいです。


母親も先生も同級生たちも決してネガティブな意味で「あなたはおとなしい」と言っていたわけではないと思います。


だけれども、背景や周辺知識、経験の乏しい小学3年生ではそこまでの想像力はなく、周辺からの言葉や非言語の雰囲気が、自己肯定感を下げる方向に働いていたのではと今なら理解できます。


だからこそ、特に幼少期の子供への向き合い方は大切なのです。


もしも子供の頃から親や先生が「その子の才能」について理解をし、それに対しての適切なアプローチができるならば、その子供の自己肯定感は爆上がりすることでしょう。


「自分には価値がある。」


そういった承認の原体験の積み重ねが、自己肯定感を育て、根拠のない自信に繋がっていきます。


そうしたら周りの目や声などは気にならなくなるでしょう。


もし僕がこのことに小学生の時に気づいてしまったならば、今やもう新興国のマーケット獲得ために奔走する多国籍企業の地域統括部長か、各国の重要案件を調整する凄腕外交官にでもなっていたかもしれません。(笑)


と、ちょっと長くなってきましたので、また続きは次回にシェアさせていただきますね。


次回は、もう少し詳しく子供の才能の見つけ方や、自己肯定感、自己重要感を高めるための接し方について紹介出来たらと思います。


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