子育てを通じて自分を「満たす」ということについて
息子と丸3日間一緒に過ごして、ベタベタする程仲良くもしたし、
(一緒にドッチボールやゲームでたくさん遊んだり。)
あまりにしつこくて押しのけたりもしたり、それでも一日の最初と最後には笑って「おやすみ&おはよう」を言える関係でいることがなんとかできています。
息子との二人きりの3日間を終えて、再び自分の幼少期の事を思い出しました。
下記は以前息子が7歳の時に書き止めていたメモなのですが、全くその時と同じことを昨日も思い出したので、恥ずかしながら少しシェアできたらともいます。
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僕の幼少時代の事。
プラントエンジニアだった父親は、海外駐在で家をあける事が多く、父に会えるのは年に1,2回という幼少期を過ごしていました。
一度戻ってくれば数週間から数ヶ月一緒にいるけれども、それが終われば、また海外へ行ってしまうという感じ。
僕自身は、父親が家にいるときにはたくさん遊んでもらったと思っていたし、運動会や、入学式など重要なイベントなどに合わせて帰ってきてくれていたし、帰ってくる度に海外の珍しいお土産などをもらったりして、良い思い出だと思っていました。
父親から小言を言われたことも、怒鳴られた記憶もなく、喧嘩したこともないし、とても良い関係だったと思います。
だけれども、今40過ぎた「僕」が表面でみた「7歳の僕」ではなく、本当に7歳の時の自分に戻った気持ちで、自身の心の中を探っていくと、、、、
実は父親との関係に寂しさを感じていたのではないか?
お祭りや学校行事などで友達の家族を見て、自分のお父さんがこの場にいな
いことを寂しく感じていたのではないか?
たまにしか会えないのだから、お父さんを怒らせないように遠慮して、本気でぶつかっていかなかった?
もう過ぎたことなので真実はわからないのですが、7歳の自分になりきっていると不思議と涙が出てきました。
無意識レベルでそういった7歳当時の心の寂しさを、いつからか心の奥に押し込んでしまっていたのではないか?
大学卒業してタイに移住したのも、そんな幼少の原体験があったために、海外で活躍していた父親の姿を追いかけたかったから?
近づきたいと思ったから?
それとも反発心からかもしれないと。
そんな仮説が浮かんできた時、現在の自分の中でいろんなことが繋がってきました。
今の自分(いろんな鎧を纏った)が感じる当時の想いと、7歳の時の自分(裸)が感じた想いはイコールではない。
遊んでとせがんでくる息子を見て、自分の心の奥底に隠されていた7歳の自分を、息子の中に感じられた瞬間でした。
そしてこの気持ちを味わいながら、思い切り息子に甘えること。一緒に遊ぶこと。
おそらくこれが「自分を満たす」ということなのではないかと思いました。
今の私が満たされていない欲求を、子育てを通じて”満たす” (もちろん子供も満たす。)
だから、子育ては自分育てと言われるのかもしれません。
一つ一つ丁寧に”満たす”を息子と一緒にやっていきたいと思っています!
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子供と話していたり、遊んだり、子供が何かをやっていることを見ていると、笑顔になるような微笑ましいこともあるけれども、腹が立ち、大声で「何度も同じことを言わせないで!」みたいな感じで叱ってしまうことも在ると思います。
叱ってしまう前に自制してとどまれれば良いですけど、そうできるのは本当に稀。
気づいたときには、「ああ、またやってしまった。」と後悔してしまうこと、多いのではないでしょうか?
僕もしょっちゅうです。
その度に、息子は呆れているかも知れないけれども、心から、「さっきはごめんなさい」と謝るようにしています。
7歳の時の自分はあまり父親に怒られた経験もなかったけれども、怒られた後には、怒りっぱなしではなくて、優しく声をかけて欲しいと思っていたはずだから。
感情を出すことは別に悪いことではない。
出してばかりは考えものですけどね。(苦笑)
大事なのは、自分事として息子と向き合えるかということだと思います。
それが結果として、自分自身を満たすことになるのではと。