如何に色んな経験をするか。それが自分の人生を生きていく力になる。(追記)
先日、一緒にタイ法人を運営している日本側のビジネスパートナーが来タイしていた折のこと。
客先を訪問する道中、彼とは様々な話をするのですが、最近の話題の中心は、「子育て」についてとなっています。
彼には3人の娘さん(9,7,4歳)がいて、色々と悩みも多いようです。
僕の方は息子(9歳)ですので、まだ分かりやすい部分もありますが、女の子の場合は、父親からしてみるとかなり複雑のようでした。
「口ばっかり達者で、プライド高いし、生意気でどのように接したらいいかわからない!」
そう言って嘆いていました。
そもそも子育てに悩まない親っているのでしょうかね。
子育ては本当に悩ましいですが、悩み抜いて、試行錯誤しながら、それでも上手くいかなくて、悩んで、、、。
そんなことの繰り返しです。
氣学や占星術などの先人の叡智を使わせて頂き、人の生まれ持った個性を知ることで、かなりその辺りも色々と分かってくるのですが、それについては今回の主題からは外れるので触れません。
そんな、子育てに悩むパートナーの何か役に立てばと思い、自身の少ない経験からながらも様々な話をしている内に、
「子どもにとって理想の学校はどんなところか?」
という話題になりました。
パートナーの悩みどころは、今後娘さん達が通うことになる小中学校についてのようでした。
僕自身、かつては平均よりもちょっと高所得の親御さんの子供たちが通う、しっかりとお勉強もスポーツも礼儀作法などもバランスよく伝えてくれるような学校がいいなと思っていました。
私立有名進学校のようないわゆる「お受験校」ではなくて、文武両道程々な学校と言う感じ。
親御さんも向いている方向が似通っていて、お付き合いがし易いですし、そういう親御さんのご子息なので、比較的お行儀がよく、(家庭でそれなりに躾がなされている)、問題行動をおこす子供も少なく、子供同士も平和で仲良く、のびのびと学校生活を送ることができる、
そんな風に考えていたからです。
そういった環境だからこそ、勉強の方も周りに引っ張られる形で自然とするようになるのではないか?と。
しかしながら色々と調べてみると、実際にそういう学校は少ない(存在しない)と言うこともわかってきました。
理想と現実は異なります。
実際は、勉強が好きで、得意な子どもに、運動系の部活動を強制して、成績がガタ落ちとなったり、逆にスポーツで大変優秀な成績を残している子供の大切な試合前の練習時間を必要以上に奪って、強制的に学業の勉強をさせ、スポーツの成績がガタ落ち、という現実があるようです。
スローガンは崇高でも、実際に、子供の個性に応じて、バランス良くその長所を伸ばすような教育はまだまだ日本の公教育では非常に少ないように思います。
このような環境では結局、「文も武も育たない」という事になりかねません。
では、どういう環境なら良いのか?
僕がパートナーに話したのは、以下です。
まず前提として、これから子どもたちが生きていく時代について知らなくてはなりません。
今は、先が見えない時代です。
変化のスピードがものすごく早く、AIやテクノロジーの進歩も日進月歩となっています。
そんな時代で活躍するためには、時代を作り出す側、最先端を走っていく人になるか、変化を恐れず、状況に合わせて、自分で常に変化をしていける人間である必要があると思っています。
このような時代を生きる息子たちにとって、今僕が良いのではと考えている「環境」は何かと言うと、
(あくまで「学校」というシステムに乗っていくと言う前提で)
「自然環境の良いエリアにある公立の学校に通うこと」
です。
これには、「ばらつき、ランダム性を高めていく」という意味があります。
もう少し噛み砕いて説明します。
例えば、公立の学校には様々な背景をもった子供がいます。
貧しい家庭の子もいるし、逆にお金持ちの子供もいる。
(お年玉の話などになると、そのあたりは如実)
親御さんにちょっと(かなり?)問題がある家庭の子供もいるし、シングルマザーや、ファザーの家庭もあります。
勉強ができる子、出来ない子、スポーツできる子、出来ない子、発達障害や知的障害がある子、とんでもない不良少年がいたりもします。
クラスメートの振れ幅が半端ないのです。(良い意味でも悪い意味でもばらついている)
そんな環境の中で、揉まれることで、社会の構造や問題を知り、学ぶことが出来ますし、
その経験からバランス感覚や、高度な対人コミュニケーション能力が養われていきます。
様々な考えに触れるチャンスで溢れていて、社会における疑似体験を学校生活を通じて積むことができ、社会的な経験値を劇的に高めることができるのではと考えています。
もちろんそこには家庭におけるご両親の適切なサポートがあることが必要条件となります。
(互いによくよく話し合える、向かい合えるという密な信頼関係が必須)
僕自身も小中高と公立学校の出身です。
自身の事を思い返してみると、小中学生当時は分からなかったことも沢山ありました。
転校生の意味もあまり良く分かりませんでした。
(そもそもどうして転校するのか、ましてや、来たばかりなのに、2,3ヶ月ですぐに転校するとか意味が分かりませんでした。)
同和について道徳で話を聞いてもピンと来なかったし、
(おそらくそういう子もいたんだと思う。)
なぜあの子は問題行動を取るのか、暴力的なのか、自閉症的で、殆ど人と会話をしないのか、いじめるのか、いじめられるのか、はたまた空気を読めないのか、、、、。
そういう社会の問題や、人間関係、家庭問題他の所々事情を子供自身が疑問に思い、好奇心持って考えたり、そこに対して親が適切にフィードバックを与え、結果として子供が様々なランダム性をもった事柄を数多く経験していける可能性の高い環境であるということ、
そう言うものが学びの環境として良いのではと考えています。
「如何に色んな経験をするか。それが自分の人生を生きていく力になる。」
単純にいうと、そういう事かもしれません。
もちろん最高なんて存在しないと思いますし、子供にとってみると、そんなの嫌だとなって、受け入れてもらえない可能性も十分にあります。
なのであくまでも机上での空想に過ぎないのですが、子供がどんな環境にいようとも、とにかくそういった(ランダム性を高めていける環境を作る)意識で、接していきたい、そんな事を僕自身は考えています。
その様にパートナーに伝えたところ、彼もそれは一理あると一旦受け入れてくれましたが、
「だけれども、それってあなたの言う通り、親子間が風通し良くて、比較的なんでも話せる関係性であることが前提になりますよね。」
と難しそうな顔をしていました。
ごもっとも、彼の言う通りなのですが、
環境と言うものは、学校や塾、部活などだけで完結することは絶対になく、家庭も含めたものです。
「社会=学校」ではなくて、親が積極的に社会と子供が「交わる」部分を伝えていくことが大切ではないかと思いました。
つまるところ、親子の関係というところに帰結するというお話でした。
では、どうすれば親子関係をよくできるのか?
また振り出しに戻りました。
子育ての悩みはつきませんね。(苦笑)