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『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』と『NARUTO』

なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか ~バーンアウト文化を終わらせるためにできること~(ジョナサン・マレシック著・吉嶺英美訳)

この本は、バーンアウト(仕事をする気力がなくなってしまう)について体験・事例・論文をまとめ、打開の提案をしています。
日本だけでなくアメリカでも起きているバーンアウトには、以下3大特徴があります。スペクトラム状で、一部当てはまる人もいれば、すべて、という方もいます。

・情緒的消耗感
  疲労困憊し、やる気がなくなってしまう
・脱人格化
  同僚や客に対して冷笑的になる
・個人的達成感の低下
  自分の今の仕事に価値を感じなくなる

原因は、現代の労働が、過去の作業中心の労働から、自発的な感情労働を含む、自身の全人格・全時間を売り物とする物になったこと。
それを実現するため、文化として、仕事ができることが人間の価値のすべて、と、半ば洗脳に近い文化が作られたことです。
仕事で自己実現、は教義のような物で、現実と理想のギャップが埋まることがないです。いくら仕事をしても、ゴールすることはなく、定年までクソゲーは続きます。
仕事教の教義に”殉教”する=バーンアウト、なのです。

自分の周りでバーンアウトは起きているか?

自分はIT起業で働いていますが、周囲でもバーンアウトは起きていると思います。
自分の価値を周囲に認めてもらうためか、そのように求められるのか、長時間労働をして、次第に表情が硬くなり、何人も辞めていきました(心身を壊した人もいます)。
社員が欠落、優先度の低いチームから機能が徐々に低下します。アウトプットは無理やり現場で保証しますが、どこかで限界が来そうです。
特にひどいのは、採用とインフラのチームが自身の責務を放棄したことです。統括はアプリのチームに、その2機能を兼務することを求めます。それに対し、責任感のある人・管理職は全人格的に労働、求めに応じます。しかし十分な時間とスキルがなく、当然結果は芳しくないです。叱責され、状況は改善せず、互いに冷笑的な関係が完成しました。

・情緒的消耗感
  ⇒覇気と表情が失われ、生返事になる。品質を担保できなくなる。
・脱人格化
  ⇒仕事を”熱心”にしない同僚・部下を、まともな環境を作れない
   管理職を、互いに攻撃する。客を無能と軽蔑する。
   ”今だけここだけ自分だけ”、が良ければいい、後のことは知らない。
   リーダーがこれになると、チームごと責務を放棄することも発生。
・個人的達成感の低下
  ⇒こんなことをやって意味があるのか、しょうもない物を作った。
   愚痴が増える。

日本でバーンアウトに対抗する労働者達

本の中には出てきませんが、バーンアウトに対抗するためかどうか、新しい働き方をする人たちもいるようです。
・静かな退職
なるべく仕事をしない、責任を負わない、作業だけ。
やる気を出さず、最小限の労力で、なるべく定時で帰り、リモートワークにする。

・中間管理職への昇進拒否
中間管理職は残業代が出ず、しかし責任を果たすために長時間労働を求められ、誰もがそれになることを嫌がります。
部下にも客にも上司にも感情労働を求められ、もっともきつい立場かもしれません。罰ゲームとも言われており、昇進自体を拒否する方も増えているそうです。

・持続可能なのか?
しかし、バーンアウトするようなトータルワーク(なんでも自発的に工夫して残業含めて仕事する)を前提とした産業構造を変えることは、ボトムアップではできません。
どこかで解雇か(労働法自体の改正)、トータルワークを冷徹に迫る仕組みが現れるように思います。

仕事をしないことを選択するコミュニティ

・修道院の働き方
本の中には、修道院の事例が出てきます。
彼らの日常で最も重要なのは、神様への祈りの時間でした。
一方で、お金は食事等、生きるために必要です。一時期、WEBページの作成代行を仕事にしていたそうです。これが儲かりすぎて、修道士の中に、WEBページ作成にのめりこみすぎて、祈りをおろそかにする人たちが出てきました。
結果、修道院は祈りのために、WEB作成の仕事を止めることにしました。
どうしても仕事をしたい人は、修道院をやめてしまったそうです。
”仕事をしたい・仕事を通じて自分の価値を示したい”、という欲求はこのように、あまりに強い物で、本当に求めていた生き方を忘れてしまうほど、強烈な洗脳なのです。

・著者の提案
著者は、互いにバーンアウトさせない、しない働き方をしよう/互いの人格を尊重しよう/ベーシックインカム、等、様々な提案をしています。

NARUTOで表現されたバーンアウト

この本を読んでいて、漫画 『NARUTO -ナルト-(岸本斉史作)』、のことをなぜか思い出しました。
NARUTOでは、”主人公ナルトと親友のサスケ”、と、同様の関係性である過去の人物、”初代火影の柱間と親友のマダラ”、という関係性が描かれます。

・マダラ、サスケはバーンアウトしていた?
仕事ではありませんが、マダラ、サスケにも、兄弟を大事にする・仲間を大事にする、という強い理想がありました。その理想は戦争や組織に引き裂かれ、バーンアウト同様の症状を起こしていきます。

  情緒的消耗感

  ⇒表情が失われました。
   イタチを倒した後のサスケは一時、何も感じなくなったようでした。
  脱人格化
  ⇒親友であるはずの柱間やナルトと戦います。
   仲間ですら犠牲にして、目的を達成しようとします。
   昔の仲間達(木の葉)を冷笑します。
  個人的達成感の低下
  ⇒どこまで行っても満足することは無く、自身に価値を
   感じていません。サスケはナルトに勝てないこと、
   マダラは柱間になれないこと、に対して、無限月読という
   幻想に逃げようとします。
   皆が主人公になれない(自己実現という理想を達成できない)
   のなら、幻想でもいいから達成したい・させたい、というのが、
   バーンアウトに対する答えの一つであるかのようです。
   しかし、それをすると神樹の養分になって死んでしまうのでした。

・ナルトの答え
ナルトは 『わかるってばよ・・・』 の有名なネットミーム的なセリフに象徴されるように、互いの人格を認めることで、能力ではなく、その人自体の価値を認めるよう努め、里長になりました。著者のバーンアウトへの対策の提案や、修道院と似た面があります。

・改めて感じたNARUTOの魅力

私は当時、ナルトのこういった優しさの表現に、ずっと違和感を感じていました。第一しつこいですし、そんなことを言われても、言われた方はうれしいか?お前に何がわかるんだ、と、むしろ敵側に感情移入したものです。うちは一族の写輪眼のような、厨2病的描写の方が、そんな人間関係のくさい描写よりも、好きでした。
しかし、働いてきて、自分も周囲もボロボロとなった今となっては、ナルトは示唆に富んでいて、その優しさも沁み、興味深く感じます。


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