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哲学と脳科学

哲学と脳科学が近接してきたな、と感じた本がありまして、その紹介です。

訂正可能性の哲学(東浩紀 著)

正解のないことについて、正解があるように人間がふるまっています。しかし、実際には正解はどんどん変わっていき、しかし、変わっていることについて気が付いていません。

例)子供が鬼ごっごをして遊んでいる
  ⇒ いつの間にか缶蹴りになる
  でも、子供にとっては同じ”遊び”。変化を意識していない。

当たり前が、いつの間にか変わって、新しい当たり前になる。
遊びや家族、社会のルール、哲学まで、そのことが起きてきました。
ここまでコロコロ変わると、正しさ、ということが、本当にあるのでしょうか?

科学的に人間のこの欺瞞に満ちた認識のメカニズムがわかっても、自分自身がそれに囚われ続けるため、それをコントロールすることはできません。

むしろ、ある人の意見が、皆の”当たり前”をいつの間にか変えうる=訂正可能性、こそが、人間の特徴です。
それが近年、理系に比べ低く扱われてしまう人文系の学問の本来の役割ではないか。過去の実績の正しさを研究するのではなく、時代や自身に照らし、新しい考えを提供していくことが自分達の役割ではないか。

在野でこれまでにない活動を展開してきた東さんらしい結論に感じました。

心はこうして創られる (ニック・チェイター著、高橋達二・長谷川珈訳)

錯視のような末端の神経の機能から、高度な認知まで、近年の脳科学は、人間が思ったよりもいい加減であることがわかってきました。

例)
 ・左視野が見えない空間無視、という障害を持つ方は、左側が見えない、
 と感じておらず、”見えている”、と認知している(盲点に近い知覚)。

 ・アメリカで民主党支持の人に、アンケートを取り、その画面の端にアメ
 リカ国旗を表示しておく。
 ⇒共和党支持が増えてしまう

 ・二人の画像を見せ、どちらが美人と思うか聞く、を何回も繰り返す
 ⇒時々、本人が選んでいない方を見せ、どこが良かったか聞く
 ⇒イアリングが良い、等、選んだ時点では思ってもいなかったはずのこと
  を言う。

どれも共通しているのは、大きな誤りが認知されず、誤りを正しい、とする、もっともらしい説明がスラスラと出てくる、ということです。

前述の訂正可能性と似ています。
正しさは思ったより適当のようです。
現状の材料と記憶を組み合わせ、最も正しそうな解釈を脳は”創り”ます。
創ったことには全く気づきません。それが”正しい”、となります。

本書の結論は前述の訂正可能性の哲学と似ています。絶えざる再創作を通じて、もっとワクワクする未来を創り、現実にする力が人間にはある、という前向きな捉え方で終わっています。

脳科学の難しさと希望

自分も過去に脳の研究に大学院生として関わっていたことがありますが、脳を物質として捉え、本気で理解しようとすると、大きな壁があることがわかります。
人間の大脳だけで160億個の神経細胞があり、1個の細胞には1万個もシナプス(他の神経細胞との結合)があり、互いに通信しています。
科学は実験と観察から成り立ちますが、観察が難しいです。
脳の神経細胞をすべて同時に、1個1個観察することは、現在のデバイスではできません。
MRIのように脳全体を観察する場合、1立方cm程度の解像度に落ちてしまい、大量の神経細胞の塊の活動を平均してしまうので、本当の意味でのメカニズムはわからないです。せいぜい、この領域にはこういう役割があるようだ、といった程度のことしかわかりません。
一方で、神経細胞を1個1個観察するなら、金属の細い針や基盤上のシートで電気的な活動を拾う、といったことになりますが、せいぜい2~3個の活動を同時に計測するのが限界です。しかも、その2~3個が結合しているかは不明で、何百日も実験を繰り返し、時系列的な活動の前後関係で、結合しているはず、と推測する程度です。

ドブネズミ(ラット)の脳の大脳皮質だけで、1400万個。
コバエ(ショウジョウバエ)の脳は、5万個。
線虫の神経細胞は千個。

コバエの脳ですら、人類は完全に理解することができそうにないです。
仮にすべての情報を観察できても、情報の量が多すぎます。統計等でそららしい結論は出せるかもしれませんが、それが何を意味しているのか、本当のところは人間にはわからず、腹落ちしないのではないでしょうか。
線虫は、解剖学的に細胞の結合がわかっていて、コンピュータ上でシミュレーションが可能です。ここまで来ると、神経細胞A,B,C,・・・がループになっていて、それが活動することで定期的にクネクネと体をくねらせて歩行しているようだ、といったことがわかるそうです。これなら、理解した、と言ってもよさそうです。(これもシミュレーションなので、本当か?と言われると、何とも言えませんが・・・)

自分はこういったことだけではないですが、色々と絶望し、脳科学の探求は諦めました。しかし一方で希望もあり、上記のような人文的な結論と脳科学の実験結果がある程度一致するのであれば、研究者達がやってきたことは、それほど間違っていなかったのかな、とも、思えました。

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