マリー・アントワネットの首演出に思う
若干、旬を過ぎた内容ではあるが、自分のためのメモがてら書いておく。
セーヌ河そのものを舞台にしたパリオリンピックの開会式を、私はとてもわくわくした気持ちで眺めていた。パリという町はいつでもその美しさに圧倒される。道に犬の落とし物があったり、ゴミが捨ててあったり、そういう不潔な面を忘れてしまうほど、建物と町の構造そのものの美が唯一無二なのだ。たとえば、パリの素晴らしい建築物に「これが人が住む建物なのか」と、感銘を受けて、それを写すために住み着いてしまったカメラマンの知人がいる。
そのパリの町そのものを舞台にし、セーヌ河を各国の選手が入場していく、という演出は、もうそれだけでアイデア勝ち、成功間違いなしと思われた。
若干間延びした演出に感じられたり、ムーラン・ルージュの踊り子のカンカンが不揃いだったり、雨模様なのが残念だったが、確かに私は開会式を楽しんでいた。
やがて、映像がコンシェルジュリーにさしかかったとき、若干の不安を覚えた。コンシェルジュリーといえば、マリー・アントワネットを始め、多くの人が投獄され、ここから処刑場へ送られた場所である。数年前にパリを訪れたとき、丁度ここで「マリー・アントワネット」をテーマにした展覧会が開かれていて見学にいった。つまりフランスでもこの場所の意味は広く知られているはずなのだ。
ここに至るまで、ルーヴル美術館など、セーヌ河沿いの有名な建物が演出のモチーフに使われていた。では、このコンシェルジュリーも何かの演出に使われるのだろうか? だとしたら、あまりにも不吉で陰惨なこの建物をどのように用いるのだろうか。興味津々で画面に見入っていると、予想は大きく裏切られた。
後は、話題になっている例のシーンが繰り広げられた。血のように赤いローブ・ア・ラ・フランセーズをまとった貴婦人が、斬首された自分の首を手に持ち、歌い出すのは、「サ・イラ!」である。この曲はフランス革命期に民衆たちに愛唱された、「貴族の奴らを街灯へ……」、つまり縛り首にして街灯に吊してしまえという、何とも物騒な歌詞の歌である。コンシェルジュリーという場所と、断頭された貴婦人から、多くの人はマリー・アントワネットを想像するだろう。今年の初めに公開されたリドリー・スコットの「ナポレオン」も、マリー・アントワネットの処刑シーンで幕を開ける。その場面の劇伴も、エディット・ピアフの歌う、「サ・イラ!」であった。
最も反革命の罪でここに幽閉され、ギロチンに送られた女性は彼女の他にも大勢いたのだが……。
「サ・イラ!」を歌う断首された貴婦人は、一人だけではなく、かつての牢獄の窓に何人も現れた。さらに、ヘビメタバンドの演奏が始まり、窓から真っ赤な血しぶきが飛び散る演出にあっけに取られたのは私だけではないだろう。
個人的にフランス革命期に思い入れの深い私は、この場面に打ちのめされてしまい、同じく物議を醸した「最後の晩餐」のパロディーと目されるパフォーマンスなど、その後の演出はろくに頭に入らなかったくらいだった。
忌まわしいコンシェルジュリー牢獄をどのように当たり障りなく扱うか、などという忖度は全くなかった。血なまぐさい歴史をそのままに、いや敢えて全面に出したのは、正直だと言えるだろう。ただ、それがオリンピックという平和の祭典にふさわしいかどうか別問題だ。
「やられた!」というのが、率直な感想だった。そして、かつてフランスで暮らしていたのに、日本に帰国して二十年も経つうちに、すっかり日本的な考え方になり、あの建物をどのように使うのか、などと心配していた自分にあきれもした。そして、あるテレビ番組での出来事を思い出した。
フランスにステファン・ベルンという、ヨーロッパの王侯貴族や歴史が専門のジャーナリストがいる。日本の女性雑誌にも、王侯貴族についての記事を寄稿していたので、ご存じの方もいるだろう。昔、その彼が持っていた「セレブリテ」という番組があり、いわゆる欧米のセレブを紹介するという内容だった。
あるとき、彼がパリの郊外に広大な城館を構えるブルトゥイユ侯爵というフランス貴族の末裔を訪問し、その暮らしぶりを紹介するという企画があった。侯爵は、貴重な歴史遺産である城館を維持するために、一般に公開していることで知られている。番組の中では、家令を勤める女性が、業務用の掃除機を前に、城館に掃除機をかけるのがいかに重労働であるか、といった城での日常を語っていた。
すると、庶民の生活とはかけ離れた貴族の暮らしぶりが気に入らないとでも言うように、一人のゲストが大声で手を叩きながら、「サ・イラ!」を歌い始めたのだ。調子に乗ったスタジオの観客たちも口を揃え、手拍子を打ちながら、たちまち大合唱となった。
その中にあって、ステファン・ベルンはあくまで穏やかな態度を保ちつつも、一人きっぱりとした口調で、こう言ったのである。
「フランス革命によってどれだけの犠牲者が出たと思うのですか……」
この場面を見て理解したのは、フランス人にとって、「サ・イラ」は今もよく知られた曲であり、貴族だとか王族だとかは、この曲を歌ってはやし立て、縛り首、――実際はギロチン刑だが――、にしてしまえ、と揶揄する存在だという事実である。
なんだ、あの人たちは全く変わっていないではないか、とある意味感心した。通常運転とも言えるだろう。
しかし、多くの日本人はあの演出にショックを受け、またフランス革命のイメージについて、疑問を持ち始めたのが、SNSなどの反応でうかがわれた。
ベルンの言った通り、フランス革命は輝かしい理念を標榜した一方で、多くの犠牲者を出している。一般的な日本人は、革命によって王様や貴族が大勢殺された、というイメージを持っているのではないかと思うが、実際フランス革命で処刑された人々の80%は平民出身だったと言われる。
さらに、フランス革命の負の側面という見方から、ヴァンデ戦争に興味を持つ人も散見された。実は、縁あって日本人としては、この戦争に詳しい方ではないかと自負している。そういうわけで、せっかくなのでおいおいこの戦いと顛末についても、紹介していきたい。
ピアフの「サ・イラ」