ポップコーンは買わない派です。vol.51
屋根裏の殺人鬼フリッツホンカ
ジョーカーがぬるく感じてしまうほどの衝撃。
そこには他人事ではない要因があった。
予告編
あらすじ
1970年代のドイツ・ハンブルクに実在した5年間で4人の娼婦を殺害した連続殺人犯の日常を淡々と描いたサスペンスホラー。第2次世界大戦前に生まれ、敗戦後のドイツで幼少期を過ごしたフリッツ・ホンカ。彼はハンブルクにある安アパートの屋根裏部屋に暮らし、夜になると寂しい男と女が集まるバー「ゴールデン・グローブ」に足繁く通い、カウンターで酒をあおっていた。フリッツがカウンターに座る女に声をかけても、鼻が曲がり、歯がボロボロな容姿のフリッツを相手にする女はいなかった。フリッツは誰の目から見ても無害そうに見える男だった。そんなフリッツだったが、彼が店で出会った娼婦を次々と家に招き入れ、「ある行為」に及んでいたことに、常連客の誰ひとりも気づいておらず……。
刺激が強すぎるので、あまりおすすめしません。
冒頭の5分がほんとにしんどくて2時間耐えるか心配になるくらい観てるだけで疲れてくる映画でした。
タイトルに殺人鬼と入っているので殺人のシーンがあるのだろうと構えていきましたが、想像以上…死体を自らの部屋に運び、それをノコギリでバラバラにするシーンから始まるんです。
胸糞悪いのはもちろんなんだけど、なんでそんなことするんですかって疑問が湧いてさえくるくらいです。別のことに思考をずらさないと直視できないくらいショッキングな映像がいきなり飛び込んできました。
彼が殺人鬼たらしめたのは自己意識の問題がとても大きくて、それをキャンセルされた時に過剰なまでの暴力として自分を保とうとしてるんだけど、その自己意識とそのキャンセルは我々にも身近にあることを忘れてはいけないということを知っておいてもいいのかもしれないし、それを知ったうえでみるとさらにリアルで怖い。
揚げ足をとられたり、バカにされたりした時、ムカつかない人っていますか?
自己意識のキャンセルってどんなことだよって思われるかもしれません。例えが難しいですが人前での恥ずかしい失敗とか好きな人の前での失敗とか、誰もが一度は経験しているようなことがあると思います。その時大抵の人は自分が自分でなくなるような否定的な思いになるのではないでしょうか。
なんであんな失敗しちゃったんだろう。なんであの子にあんなこと言っちゃったんだろう。それをわかっているにも関わらず他人に指摘された時、バカにされた時。
その自己意識のキャンセルの瞬間、人は時折り怒りにのぼり、ひどい時には暴力をはたらくことがあるかもしれません。
この自己キャンセル、劇中では勃起不全を娼婦に笑われるというところで主人公のフリッツホンカはカッ!だと、頭にきてその衝動で殺してしまうのです。そりゃお酒を大量に飲んだ上で最底辺の娼婦を相手にしてるんだから気持ちも分からなくはないが…。(そもそもこの世界線が受け入れがたいが…)
自分の支配におかないと不安になってしまう束縛の末路
自分のお気に入りを自分の支配下に置けないと苛立ち、暴力に手を出してしまう。暴力まで行かなくとも、暴言、表情、沸き立つ感情は多くの人に共通するところもあるのではないかと思うのです。とくに現代でいうところのSNSは匿名性の高いものでは顕著に現れていますよね。誹謗中傷が問題視されてる中でまさにフリッツホンカのような人間が溢れています。感情のままに言葉を吐き捨て、それが最終的には人が死ぬところまでいくのです。
それでは私たちは自分が取るに足る人間と自分で承認するにはどうしたらよいのか。
フリッツ・ホンカにならないために
客観的に自分を見れるようになることが大切です。自分を客観視するに効果的なものには1つに宗教があると思います。道徳とか。劇中にも救済軍の女性が現れます。自分たちが救われるには人からの性愛だけではないという事を示しているようにも感じました。
フリッツ・ホンカも一度は自分を律しようと真面目に働きに出たが再びお酒に手を出してしまい、元の恐ろしい姿に逆戻り。
自分とは到底遠い世界にも感じてしまうけれど、根本は我々にも共通するところはたくさんあるし、彼自体が我々の最悪の場合を映したセルフィーになっていることを意識することでより良い映画体験をする事ができるのではないかと思いますよ。
でも私はもう観たくないかな…トラウマになってしまいそう…。
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