たった

好きな人が女の子だった。
かといってこれからすきになる人が女の子だけという訳でもなく。なんなら性別という垣根を壊してやりたいとさえ思う。好きになった人が好き。それがたまたま同性だった。
それだけ。

今の日本社会において、あくまで私の見え方だけれど多様性という言葉は一種のアクセサリーのように思う。上っ面だけで、キラキラしているだけで、実際身の回りにマイノリティ側の人間がいた時、多様性を唄っている人達のうち、どのくらいの人間が心から受け入れるのか。どこかでもやもやしたり、多様性といいつつ綺麗事だから理解はできないで終わったりすることもあるだろう。むしろその方が人間らしさがあるぐらいだ。とてもふわふわした概念のような感覚さえある。軽い。汎用性がある故の軽さかもしれない。
かといってその多様性とやらを否定する側の人たちを否定するのは違うと思う。否定に否定を重ねてどうする。
私が言いたいのは、自信の持っている意見を自分の中で律して、確信的な感情を持ち、受け入れられようとする気持ちよりも自分のその意見を大事にできるかという話。
もちろん受け入れられてなんぼの世界だから、受け入れられなくてもいいなんて安易に言うものじゃあないけれど、それでも一定数、もとよりほとんどの人たちが受け入れるには事足りてない環境にあると思う。自論だけれど。
どうせ生きてるんだし、いつか死ぬなら好きなことをしていたい。否定されても、気持ち悪がられても、それでも自分自身が壊れないように、自分を守ることもいいけれど、私は自分を生きていたい。殻にとじこもるのもひとつの選択肢だけれど、等身大の私でいたい。


それだけ。

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