言葉を連ねるのも、夕飯を決めることも
高校生になってからというもの、周りからたくさんの刺激を受け、それなりの教養を身につけ、選んでいく世界という感覚が他人事ではなくなった。
移動教室先へ行くために足を運ぶタイミングやその行動自体に、数字じゃ表しきれないような無数の可能性の数々がどこか横行しているおかげで思考回路はままならない。
古来の人間が生み出した、人間にとっての大きな財産の割に大した力もない。そう思ってしまうのは我儘なのだろうか。期待なのだろうか。
少し脱線したが、要するに選択する事への意義を時折不安がってし