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学び:「公平」と「平等」を考える🌈✨
子育てや仕事、公私生活全般でよりよく生きるために、ぼんやりと思ったことや感じたことについて、一歩踏み込んで、いろいろ言語化しておくのがとっても大切だと思っております。
今回は、そんな自分自身の学びのための整理記事です。
あくまでも、こんな風にとらえられるかな、分類できるかな、考えられるかな…というような可能性の洗い出しなので、正しい、正しくないを導くための学びではないことは冒頭でお伝えしておきますね。
要は、気楽に読んでくださいませ、ということを最初にお伝えしたいです。
というわけで、タイトルの「公平」と「平等」が今回踏み込んでみたいキーワードとなります。
子育てや福祉などに関わらず、世の中全般的に「公平」や「平等」について語られる場面は多いと思います。
それらは、どちらかというと「不」をつけて、状況や要望に対する不公平や不平等を主張するケースで登場することが多いかもしれません。
「公平であれ」、「平等であれ」と思うけれど、実際にはそうはいかない、というのが世の常といったところでしょうか。
公平や平等といえば、よく題材にされるイラストがありますね。
こちら↓のイラストですが、目にしたことがあるでしょうか。
![](https://assets.st-note.com/img/1736261389-nKAPEcZ0GSeJhg5YVaMmzBLo.png?width=1200)
今回の考えるきっかけになったのも、たまたまSNS上で見かけ、そういえばこんなイラストがあったなと思ったことがきっかけでした。
それぞれのイラストは、以下の3点を表現していますね。
EQUALITY:平等
EQUITY:公平
REALITY:現実
なるほどよくできたイラストだ、と思うでしょうか。
いやいや、何か違うぞ、と思うでしょうか。
4枚目に「LIBERATION」として、そもそもフェンスがなく、台もなく観戦している3人が同じフィールドに立つイメージを追加しているイラストも見かけます。
この場合の「LIBERATION」って、日本語で何と定義するんだろうと、ChatGPT先生に尋ねたら、期待以上の詳しい回答が帰ってきて、「先生、好き💓」となりましたので転記いたします。
質問:「公平や平等を表すイメージで、EQUALITY、EQUITY、REALITY、LIBERATIONと比較された場合のそれぞれの日本語訳はなんですか。」
EQUALITY、EQUITY、REALITY、LIBERATIONは、それぞれ異なる概念を示し、それらの日本語訳は文脈によりますが、以下のように解釈できます:
1. EQUALITY(平等)
意味: すべての人が同じ条件や機会を持つこと。
日本語訳: 「平等」すべての人に同じリソースや扱いを提供することを重視します。
例: 全員に同じ高さの台を渡す。
2. EQUITY(公平)
意味: 人々のニーズや状況に応じてリソースや機会を適切に配分すること。
日本語訳: 「公平」または「公正」必要に応じた支援や調整を行い、結果の平等を目指します。
例: 身長の異なる人に対して、必要な高さの台を渡す。
3. REALITY(現実)
意味: 実際に存在する状況や状態。
日本語訳: 「現実」平等や公平を目指しても、現実には不平等や抑圧が存在する場合を指します。
例: 実際には、台がない人もいる、またはそもそもフェンスがあることに気づいていない場合。
4. LIBERATION(解放)
意味: 抑圧や制約から自由になり、自立や平等な状態を実現すること。
日本語訳: 「解放」不平等や抑圧そのものを取り除き、自由で制約のない状態を目指します。
例: フェンスそのものを取り除き、台が不要な状況を作り出す。
比較の例(イメージ)
もしこれらを図で表すと以下のようになります:
EQUALITY(平等): 全員が同じ条件の台を渡される。
EQUITY(公平): 身長に合わせて台の高さが調整される。
REALITY(現実): 現実には台が足りなかったり、支援が不十分だったりする。
LIBERATION(解放): 台やフェンスが不要になる状態を作り出す(根本的な問題の解決)。
このように、それぞれが異なる視点や目標を示しています。
画像を貼ったわけでもないのに、いろいろくみ取って、結果的に画像の説明までお返事いただいておりますね。
以上!と締めくくっても良いくらいですが、せっかくなので自分なりに紐解いてみます。
もう一度イメージを貼りますが、このイメージから、率直に何を思うでしょうか。
![](https://assets.st-note.com/img/1736383008-QCenpAj1B4XULdxwKvl2JYRf.png?width=1200)
私の場合、確かにうまく表現しているけど、ひとつずつのイラストと意味を考えると、何となく違和感を感じる、というところでした。
「言いがかり」や「いちゃもん」レベルに近い率直なツッコミを入れてみます。
まず、その場所での野球観戦は危なくないですか?
こちら↓甲子園球場の座席マップですが、イラストのピッチャーとバッターボックスの位置・距離感からすると赤くハイライトした外野席辺りにフェンスがある状況に見えます。
![](https://assets.st-note.com/img/1736383744-9l3hfWXbIs2o8Snt5MgO4Z61.png)
草野球ならわかりますけどね、内野席の座席の様子や客入りからすると、スタジアムっぽいですよね。
いずれにしても、セキュリティ甘そうな木のフェンスなので、簡単にLIBERATIONができちゃいそうです。
他にどうしても気になるのはやはり「REALITY」です。
![](https://assets.st-note.com/img/1736393296-dOeghDHKU4kjnqL0NBpaCXIQ.png?width=1200)
一番左の人の台が高すぎて、命の危険すら感じます。
どうやって積み上げて、どうやってのぼったのか謎ですね。
台を積み上げるための台も別で必要そうに見えます。
右の人に至っては、あえて穴に入る意味とは?
罠?
落とされた?
まったく現実じゃない感じ。
率直に疑問です。
そもそものところ、現実世界に置き換えてみたら、野球に興味がない人もいるし、野球に興味があってもこの試合には興味がない人もいるわけで、何に対して、どんな状況で、誰のための平等か、公平なのかはよく考える必要がありそうです。
まず「何に対して」というところでは、いったん「この野球の試合を見たい」という希望に定義づけられそうです。
公式な観客席がある中で、野球場の外から試合を見ようとしているので、そこには「この場所からこの野球の試合を見たい」事情がありそうですね。
例えば、こんなところでしょうか。
① 本当は観客席で見たかったけれどお金がなくて観れなかったから、せめてここから観たい
② お金はあるけど満員御礼でチケットが買えず観客席で観れなかったから、せめてここから観たい
③ お金はあるけどお金を払うほどは観たくなくて、フェンス越しで観れたら良かったので、とりあえずここから観たい
④ 野球は興味ないけどワイワイしてるから興味本位で、とりあえずここから観たい
ちなみに、②は抽選や先着順であれば、全員が同じ条件で観戦できる権利が発生するのでEQUALITY(平等)になるでしょうか。
①はちょっと難しいですね。
チケットの代金は座席にもよるでしょうけど②と一緒で同じ金額で観戦できる権利が発生するので平等だとは思いますが、個々の事情を含むと所持金の差が、REALITY(現実)の状況と一致するようです。
ここでは①②のどちらでも良いですが、どうしてもこの試合が観たいけれども希望が叶わなかったのでここから観ている、ということにいたしましょう。
「状況」に関しては、この試合が観たいという希望に対して、同じ高さのフェンス=壁があるのは、同じ条件で公平な状況にある、とすることができるかと思います。
オフィシャルな観戦方法ではないことは一旦置いておいて、フェンス=壁ということは、フェンスは野球を見たい希望に対する障害とすることができるかもしれません。
次は「誰」にフォーカスオンしましょう。
登場人物は3人です。
![](https://assets.st-note.com/img/1736394790-9BpyEPXs8mM3xD4nbFveiYZh.png?width=1200)
それぞれ下記のような特徴がありますね。
左の青シャツの人:背が高い
真ん中の赤シャツの人:背は中間
右の黄シャツの人:背が低い
他にもあげられる特徴はあると思いますが、長くなるので単純にフェンスに対しての背の高さで考えます。
ここで注目したいのがフェンス=壁で、やりたいことを阻む障害だったはずが、背の高い人はフェンスがあろうがなかろうが、試合が難なく観れる、ということです。
他のふたりは、フェンスがあると野球の試合を観戦できません。
さて、ここまでベースになるポイントを整理してきたので、ここでようやく本題です。
まずは、EQUALITY(平等)を観てみましょう。
ChatGPT先生によると、「平等」のイメージは下記のように定義されていました。
EQUALITY(平等): 全員が同じ条件の台を渡される。
実際のイメージでは下記のようになりますね。
背が高い人 →台があってもなくても観れる
中間の人 →台があれば観れる
背の低い人 →台があっても観れない
背の高い人も多少は見やすくなるのかもしれませんが、正直に言って、台は「不要なもの」ですね。
中間の人は願いが叶ったけれど、背の低い人は結局観れないままなので、お助け道具である台は、希望を叶えるためには意味をなさないことになります。
台が平等に与えられる「サポート」であるなら、下記のように言い換えることもできるでしょう。
背の高い人 →サポートなしで目的が果たせる
中間の人 →サポートがあれば目的が果たせる
背の低い人 →サポートがあっても目的が果たせない
平等を踏まえてのEQUITY(公平)を見てみましょう。
ChatGPTさんの定義はこちらです。
EQUITY(公平): 身長に合わせて台の高さが調整される。
![](https://assets.st-note.com/img/1736522755-UleJrsTWHQDuLVOqfyY4KBI5.png?width=1200)
画面上に台は3個しかありませんので、背の高い人が不要な台を背の低い人にゆずってあげた、ととらえられます。
それぞれこんな風に表現できるでしょうか。
背の高い人 →平等に与えられるサポートを背の低い人にあげても目的は果たせる
中間の人 →平等に与えられるサポートを受けて目的を果たせる
背の低い人 →平等に与えれるサポートと、背の高い人が不要な分のサポートを受けて目的を果たせる
とても単純で見たままですし、納得できますね。
さぁ、ここで問題のREALITY(現実)の出番です。
ChatGPT先生のお言葉はこちら。
REALITY(現実): 現実には台が足りなかったり、支援が不十分だったりする。
まず思うのは、現実って、こんなに極端なんでしょうか。
![](https://assets.st-note.com/img/1736522914-bSDtGBhJsLYginO9Z5ywF3Ad.png?width=1200)
それぞれを言葉で表すと、こういうことでしょうか。
背の高い人 →一応野球の試合を観たいという目的は果たしているけれど、そもそもサポートはいらないのに、不要なサポートをたくさん受けることで足元を不安定にし、下手をしたら(バランスを崩したり、誰かが台に触れたりしたら)身を危険にさらし、果たしたはずの目的から離脱する可能性がある
中間の人 →平等に与えられるサポートを受けて目的を果たせる
背の低い人 →サポートを受けられないどころか、同じフィールドにも立てず、当然ながら目的も果たせず、苦境に立たされている
本来サポートが必要ないところに過多なサポートが与えられ逆に迷惑な状況を生み出し、本来サポートが必要なところには全くサポートが届かない状況。
現実でもありえることかもしれません。
なぜこのようなことが起こるかと言ったら、そもそもそれぞれ個々の特徴と、フェンスの高さなどの現場の状況が把握されていないんですよね。
背の高い人の足もとには数多くの台があるので、それを使えば背の低い人も救われるにもかかわらず、です。
本人たちにも自覚がなく、背の高い人もどういうわけかあまりにも不安定な高く積み上げられた台のうえに立っている。
背の低い人も、せめて穴から出れば良いのに出られない。
中間の人も両側のふたりが明らかにおかしな状況なのに、自分は観れているからか我関せず。
社会の理想は誰もが目的を果たせる公平なのでしょうけど、現実はそうはいかない理由はなぜでしょうか。
公平になるアイテムは十分にそろっているのに。
そして、LIBERATION(解放)は次のような内容です。
LIBERATION(解放): 台やフェンスが不要になる状態を作り出す(根本的な問題の解決)。
確かに台やフェンスが不要になって誰もが楽しめる状況を作れれば良いのかもしれません。
そうすると、先ほど書いたようにチケットを買って、スタンドで観戦している人たちとの間で「不公平」が生まれてしまいます。
また、フェンスは野球場との境です。
そこを解放してしまったら、野球の試合を妨害する人が侵入するリスクも発生してきてしまいます。
そうすると、このケースでの「解放」は一部の人しか幸せにできないことになりますね。
解放、というより、「理想」に近いのかもしれません。
決して現実にはならない「だったらいいな」がここにある、というところでしょうか。
こうして改めて考えてみると、世の中には、平等と公平があふれていますよね。
今回の野球場の例でいうと、例えば観客席に車いすの優先席を設けることなどは、野球の試合を観る、という権利の上で公平なことと言えるかもしれません。
VIP席から立見席まで幅広い席の種類を用意するのも、多様な人々のニーズにこたえた選択とも言えます。
たくさん収入があり、たくさん納税している人たちからの税金が、困窮している人たちのサポートに使われる、というようなことも、あてはめられることができそうです。
集められた税金が正しく使われないと、「現実」社会になってしまいますね。
そして、こちら↓の記事で書いたのですが、今「発達障害」のお子さんの数が多くなっている中で、早期気づきや療育等特別なサポートが必要とされている中で、平等に気づきの機会を与えるために、保育園にそうした検査機能をもたせる、というのはやっぱり理想だと思えます。
たいへんかもしれませんが、正しく税金を使えばできそうな気がします。
というわけで、長くなってしまいましたが、ここまでお付き合いいただいた方、お読みいただきどうもありがとうございます。
当たり前に使っていた「平等」や「公平」をこうしてじっくり考えてみると、ものすごく大切なことがたくさん詰まっていて、少しレベルアップできた気分です。
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