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物理を勉強するワケ
今回は現役高校教師がどんな思いを持って物理を教えているのかにつてお話ししていこうと思います。なにせ私は物理専門の先生なので!
「結果」から「原因」を探しまくる!
私たちが普段目にしている現象は全てさまざまな要因の「結果」であることは想像つきますか?
簡単な例で言うと、今見ているケータイやパソコンの画面は光を電気的に制御し偏光板と呼ばれる板を通して特定の光だけを目に届けています。そしてその光の元になっている電気は発電所で作られ、その発電所が火力発電所であるならば天然ガスを燃焼させエネルギーを取り出しています…と言ったように、すごくザックリとした原因の追求でしたが本当に多くの「原因」の「結果」が今目の前に広がっているのです。
今は人工物を例にしましたが、中学校や高校で学習する物理はより自然現象に近い現象の原因を追求し、「もうこれ以上原因を追求できない!」と言うところまで行き着いたものが”原理”であったり”法則”なのです。
物理学の究極的な目的は「もうこれ以上ない!」と言うところまで「原因」を追求することなのです。
福沢諭吉が最初に書いた教科書は物理の教科書だった!
福沢諭吉は日本で最も有名な教育者と言っても過言ではないでしょう。私も諭吉大好きです!笑
名著「学問のすゝめ」で知られている福沢諭吉は現在の慶應義塾大学の慶應義塾と呼ばれる蘭学塾を創設した教育者でもありました。その福沢諭吉は日本で初めて教科書を作った人物であるとも言われています。
そんな福沢諭吉が最初に書いた教科者が「訓蒙窮理図解」と呼ばれる教科書です。「窮理」とは物理のことを指します。
福沢諭吉は数回に渡ってアメリカへ留学し様々なことを学習しました。その中で物理学に触れ、原因を探究する姿勢を学習できる物理学は万学に通じると感じ、塾の時間割にも必ず物理の時間が入っていたようです。
物理に限らずどんな教科でも生徒はよく「こんなこと勉強しても役に立たない」と言います。確かに物理で運動方程式を学習しても、日常生活で役に立つことは万に一つもないでしょう。しかし、その運動方程式が導かれるまでにどのような経緯があって、どんな実験をしてそれが導出されたのか、その過程を学習し先人が探究してきた足跡の追体験をすることは、その後の思考に大きな変化を与えるでしょう。
私はよく「知識を学習しているのではなく、知識を学習する経験を学習しているのだ」と言います。知識が大事なのではなく、それを学習した結果得られる経験を大事にしてほしいのです。
物理は深まるほど狂いそうになるほど面白い
物理を学習し、物事の深淵を覗き見る体験に魅了された人はその後大学や研究室に入ってより深く学習するでしょう。
物理は「原因」を追求し続ける学問であると初めに言いましたが、その原因を追求し続けるとやがて「物体の運動に”人間の意識”が作用している」ことなど狂っているんじゃないかと思うぐらいの域にまで達します。
まるで神がそうさせたから今の世界があるのだと信じたくなってきます。笑
先ほど述べた「原因」を追求する経験の学習は中学校や高校で十分だと思います。しかし、今学習していることの先に途方もなく壮大な世界が広がっていると思うと少しワクワクしませんか?
社会に役立つ仕組みや製品作りなどはその過程で勝手に出てきます。
まずは「物理学」と言う壮大な世界で先人たちが切り開いてくれた道を無垢に楽しんでみてはいかがでしょうか?
山道の遊歩道をハイキングするかのように。