お手紙貰うって嬉しいね。写真も手紙みたいになればいいな。
おかげさまで生きております(絶叫
#呑みながら書きました のさんkさくひんです。
タリーズでラテ呑みながら、相撲を見ながら書く。
3か月くらい下書きで眠っていた書くことメモから引っ張り出して、ちょっと精神が安定したかもな今書いてみるやつです。
※最後の方に私が出展する写真展の宣伝を含むので、NGだったらブラウザバックだったりリジェクトだったりしてください。
あくまで内容に沿った自然薯挿入のつもりです。
お手紙貰った話
(家に帰ったらここにお手紙のがぞうをあhる)
5月に志葉さんを撮影させていただいたとき。
ちょうど『有償カメラマンやめます』記事を書いた後でした。
その内容をみて、わたしへエールをなげかけてくださったのでした。
家に帰ってから読んで、すごく胸がジーンとなったことを覚えています。
だってそれまでの間柄なんて、たった一度のゲネ撮影で、会話も一切できなかったような、そんな程度。
SNSは相互フォローになっていたとはいえ、です。
サプライズが過ぎて、驚きと嬉しさでいっぱい。
それいよりも以前には、蒼じゅんちゃんからもお手紙をいただいていたり。
彼女、鳥さんの小物入れの中に手紙を仕込むなんていう粋なことをしてくるのでした。
(ここにじゅんちゃんあらのお手紙を張る)
じゅんちゃんの優しさすき。
いつも助けられます。
お手紙のお返事が返せない
お手紙を頂いたからにはおげんじをかいさなきゃ。
なんて思いつつもお手紙書けないのです。
これは自己肯定感の低さ故と言うか、文章書きのサガというか、どうにも一人に当てた文章はおもーーーーーーーーーーーーーくなりがちで。
自分で見た時に(もらったらなんか重く思われないかな…)と心配になっちゃうのですよ。
たぶんそんなに重く考えなくていい。
だけど書いたが最後、自分が(アレ大丈夫だったかな…)と気が気じゃない日々を送るので、正直なところ怖くて何もできないでいます。
いつか書いてみたいとは思うのですが、まぁそんな意識もあって書くとしたら特別な時か引退の時かになるのかmお。
…でも私には、大切な非言語コミュニケーションがあるじゃないか、と。
写真を「葉」でかぞえる話
日本語の特徴の一つである「助数詞」。
ことばを扱う人間の端くれである私のちいさなこだわりとして、写真を「葉」でかぞえます。、
そりゃ100とかあったら枚になりますが、両手で数えられるくらいの量なら。
んで。
手紙も大切なものは「通」ではなく「葉」で数えます。
厳密に言うとハガキに限られるようですが、ここはひとるつ。
要は「私から送る写真は、手紙なようなものであってほしいという願い」とでもいいましょうkぁ。
非言語的であって、抽象的であるけど、そこに込めた感情ののようなものはたしかにあって、それを遠回しに伝えるたものツールなのですよ。
写真が手紙みたいにあってほしい
いつかちゃんと手紙とかにしてみたい。
でも私には言葉と、写真とで、それを伝えるのが不器用ながらの精一杯でございます。
みんなBig Love.. を伝えたいのです。
だったわたしの撮るポートレートステキでしょ?
私はわたいの写真すきですよ。
私が撮る役者さんは、同担拒否こそせずとも解釈は世界一だと思っているので。
公演ブロマイドだろうと、宣材写真だろうと、撮影会だろうと、私の写真こそが真の解釈だと自負しているのですから。
大丈夫、安心してゆだねてもらって大丈夫です。
あなたはステキに写ってくださっているので、の気持ち。、
なんか平成のメンズが歌う恋愛ソングの菓子みたいな言葉しか出てこないけど、そういうこっちゅあ。
よし、これで写真展に突き進もう之きもち
11月末に写真展へ参加します。
なんか錚々たる面々に囲まれることが決まったようで、楽しむのが第一で優劣とか付けない場なのではあるのですが、すでにプレッシャーで押しつぶされそうです。
どれぐらい錚々かというと、毎日のように万バズ飛ばしてる、フォロワー数数万のアルファ写真垢たちが集っているんですよ。
勝手に周囲から「こいつ低レベルなのになに偉そうにアート語ってるんだ」とか思われ鵜rんじゃないか被害妄想に駆られているだけだ度理解しつつ。
でもね。
多くの方に見てもらう以前に、私の写真は写ってくださった、たった一人のために向けられた手紙な訳ですよ、
それをみなさんは覗き見るだけの存在なんです。
いいですね?
その気持ちで行こうおと書いているいま決めました。
私が決めた、今決めた。だから飲め好きだろ?野菜ジュース価格は200円。・
がんばる。
おしり。