BTS:Artwork_『Abyss』~「思考の海」を描く~
JINさんのソロ曲『Abyss』をイメージして絵を描いてみました。
曲についてはSoundCloudとYouTubeにアップされているのでどちらもリンクを掲載しますね。
SoundCloud↓
YouTube↓
作品
モノクロVer.
解説
こちらの記事↓で掲載したJUNGKOOKさんのカバー曲『Falling』のことを考えていて、ふと『Abyss』を思い出したんです。
『Falling』を描いて、その意味を考えていて、『Abyss』を思い出して、何となく描いてみたのが今回の作品です。
『Falling』から派生したのでどこかつながっていたり、対になっていたりする部分もあるかもしれません。
もしよろしければあわせて『Falling』の記事もご覧いただければと思いますが、簡単に双方の絵について説明すると『Falling』も『Abyss』も「思考の海」なのかな、と思います。
『Falling』の場合は、「思考の海」に自分の意志と関係なくゆらゆら揺れて落ちていく様子。
最初は落ちていくことが怖くて抗うけれど、海には底があること、そこはかつての自分が一度は訪れたことを知って、ふと恐怖から解放された強さを表現したつもりです。
…まぁ、描いている時はさほど意味を考えていたなかったので後付けですが…😅
『Abyss』の場合は、「思考の海」に自ら意思をもって潜っていく様子。
作品で描いたのは、その途中でふと見上げた海面の光です。
光との距離を確かめながら、着実に確実に底へ近づくイメージがいたします。
描いてみたものの、『Abyss』の歌詞(和訳)をちゃんと読んだのは、この記事を書き始めた時=絵を描いた後でした。
『Abyss』=「深淵」という意味だと思っていたので、イメージしていたの海や湖や大きな穴のほとりにいて、のぞき込んでいるイメージでした。
『アビス』という映画を観て、あの謎の生命体に触れてみたい…と思ったことを思い出したりしました。
SF好きな方は好きだと思いますが、よく考えたら海の底のお話でしたね。
深淵イメージはこんな感じ↓
実際には海の底でこう↓でした(たぶん)。
※ 海の底にしては水面から近いかも…😅
Weverseマガジンに掲載された記事は読んでいたので、「息を止めて僕の海へ入っていく/美しくも悲しく泣く自分に向き合う/あの暗闇の中の自分に」という冒頭部分の歌詞を読んで頭のどこかにはあったのかもしれませんが、正直に言うと完全に忘れてました😅
Weverseマガジンの記事はこちら↓
リリースされた時のブログでバーンアウトについてもお話くださっているようです↓
※韓国語のみですが多くのARMYさんが翻訳されているのでGoogle先生に聞くといろいろ和訳が出てくると思います
今、試していることの一つで、言葉はわからなくても音楽だけ聴いて、イメージ画で表現してみるという楽しみ方をしております。
『Falling』は英語なのでざっくり言っていることはわかりますが、韓国語はほぼわからないので、歌詞の内容はあまりわかっていませんでした。
それでも言葉を超えて、イメージってなんとなく伝わるものだな、と思っています。
翻訳してくださっている動画やブログなどをいくつか拝見しましたが、歌詞の内容を知った今でも、何となくイメージは変わらずでした。
さらには、『Abyss』の歌詞は『Falling』で歌詞を和訳して、JUNGKOOKさんの歌声と合わせて感じたこととほぼ一致していました。
自分と寄り添うために、「思考の海」に沈む。
その海の底は少し暗くて冷たいかもしれないけれど、自分自身を知るため、そして救うためには必要な落下で、行き着く先にいるのもまた自分。
※ 『봄날(Spring Day)』より
JINさんの歌声だけを聴いていると、JUNGKOOKさんの『Falling』と同じで、「落ちること」への恐れや迷いが全く感じられないんです。
バーンアウトを経験した時、もしくはその後の歌声だからかもしれません。
何らかの障壁を越えたのか、先の見えない暗闇から抜け出たのか、良い意味で開き直ることができたのか。
自分が無理して持つことのない大量の荷物を持っていた人間がその荷物を下ろした時の解放感と、ずっと尋常でない重荷を背負っていたため荷物を持つ前よりもずっと力がついてることを自覚した自信などがあいまった堂々たる力強い歌声のような気がします。
Weverseマガジンの記事にもありましたが、自分の思考に溺れて息ができなくなって苦しくなる原因は、明確である場合とそうでない場合がありますよね。
明確である場合には自分でどうにかできる場合とどうにもできない場合があって、明確でない場合には探せば答えやせめてヒントくらいはわかる場合とまったくわからずさらに苦しくなる場合などあります。
分岐にはさらに分岐があるので、延々と答えが出ない=救われないような気持ちになることもあるかもしれません。
いずれにしても、人間とは不明なことの「答え」を探したがる生き物だと思います。
ただし、「不明なこと」に対して、自分が意識している手の届く範囲の「知」だけで、容易に判断してしまうのは時として危険な場合があります。
よく見たり、聴いたり、調べたり、考えたりせずに、小さな水槽でグルグルするのは、他人だけでなく自分自身も傷つけたり、新たな未知の世界との出会いを遮ることになるかもしれません。
固定記事にしている投稿↓で「知」や「未知」についてお話しているのですが、迷ったり苦しくなったら視点を切り替えて、「思考の海」に沈んでみたり、船をこぎ出してみたり、時には飛び上がって上から眺めてみたりするのも良いんでしょうね。
「海に沈む」ということで思い出すのは、『花様年華』シリーズでの「テヒョン」です。
例えば『Run』のMusic Video↓では、海とは限りませんが「テヒョン」が水中にいる姿が確認できます。
こちらの記事↓でもその意味を少し考えていますが、よくこの時の「テヒョン」のことを考えていて、まだ自分なりの答えが出ていません。
水の中に落ちて欲しくなくて、「テヒョン」の背中に羽根をつけましたが、もしかして不要だったのかな…🤔
『花様年華』に描かれる「海」や「水」については、「思考」と結びつけると新しい視点から新しい景色が見えそうな気がします。
当初『花様年華』はひどく息苦しいもので、「思考の海」に溺れかけましたが、今ではそこでは息もできるしむしろ妙な心地良さがあります。
『Abyss』のことはほとんど語らず、ちょっとした自分の中でのメモ書きみたいな記事になってしまいましたね。
起承転結がしっかりしていたり、結果や結論を出したり、必ずしも「完成品」でなくても良いのかな、「途中」の方が美しいこともある、と思うこの頃です。
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