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BTS:そこにはいつでも努力の雨が降る…☔️🌈✨



「努力の雨」。


BTSの「努力」について考えた時、ふとよぎった言葉です。



BTSの中でも、今は特にJ-HOPEさんの「努力」が浮かびます。




いつも思います。


どうして、あんな風に、あんなにも努力をかさねることができるのだろう、と。



HOBIPALOOZAの時にも深く深く感じたことです。


2月17日に解禁となったドキュメンタリーでも強く強く感じました。




準備期間のエピソードの多くにもその姿は拝見できますし、その先にあるパフォーマンスはいつでもキラキラと眩しく、力強く、美しく輝いています。






そんなJ-HOPEさんの努力を「雨」に例えてみたいんです。



努力は自らの中からわき出てくるはずのものなのに、まるで雨のように、コントロールできない自然の摂理のように、次から次へと降り注いでいるようなイメージがあるのです。





「努力」って、「雨」に似てませんか?






雨は、人々に平等に降り注ぎます。



その人が誰かに関わらず、いやおうなしに降り注ぐんです。





雨は、生命にはなくてはならない存在です。


大地に種をまいても、雨が降らずにいたら芽が出ないまま朽ちてしまいます。


たとえ芽が出たとしても、その後、雨が降らなければ、やっぱり枯れて育つことはありません。



我々の手にも、たくさんの夢や希望などの種があって、時には両手に抱えきれずに零れ落ちる種もあって、それでも努力の雨を降らすことで、両手には美しい花が咲き、たとえ一度は手からこぼれてしまった種だとしても、足元にも雨が降り注ぐことでいつしか芽を出し、我々の背の高さまで成長し、青々とした葉や花、時には新たな種をもたらしてくれるかもしれません。






ただね、雨に当たると冷たいんですよ。


せっかく着飾った服も濡れてしまってダメになってしまうかもしれない。


お気に入りの服が台無しになると悲しみや憤りを覚えるかもしれない。


身体が冷えて体調を崩してしまうかもしれない。




だから、雨が降り注いだ時に、迷いもなく、傘をさすんです。


雨の当たらない建物の下に雨宿りするんです。



雨を避けるんですね。





つまりは誰しもが避けるような努力の雨を、ずぶぬれになりながらも全身で浴びて、栄養にするのがJ-HOPEさんの努力の姿なような気がしています。




傘をさすことは間違いではないと思います。

雨宿りも同様です。


誰しも、せっかくの服を汚したくはないです。

ぬかるんだ道を歩き続けたら、靴だって泥だらけになるでしょう。

風邪をひいたらたいへんです。



リスクは負うべきではない。


手元の鉢植えに、最低限のお水があって、楽しめれば十分。


例え努力したところで、誰かが踏みつぶしてしまえば芽は出ない。


頑張ってみたものの、疲れて諦めてしまったら、実を結ばないし、新たな種も生まれない。


そう、それはすべて「無駄な努力」となってしまう。




傘をさして、どこかの建物に身を寄せよう。



ただし、晴れた後は、自分がいた場所に太陽の光が降り注ぎ、もしかしたら自分があのまま努力していれば育てることができた美しい花の景色の幻影を見るかもしれない。

なしえなかった「もしも」の自分の場所として、羨望の眼差しを向けることもあるかもしれないけれど。







J-HOPEさんの辞書には、そんな「無駄な努力」という概念が存在しないのではないかな、とすら思います。



どんなに努力の雨が降り注いでも、それが無駄になる可能性なんて微塵も考えず、すべてを受け止めて、吸収して、栄養にして、原動力にして、より良い希望の世界を築いていくことを、雨が降るくらいに自然なこととして行っているのではないか、と。




どんなに激しい雨が降り注いでも、ひるむことなく毅然と受け止める。



その「熱」で雨が降れた場所から蒸気と化す時もあるかもしれない。



時には、自分の熱で、もしくはやはり自分ではコントロールできない何らかを起因として、せっかく育てた世界を焼き尽くすこともあるかもしれない。



それでも、やはり努力の雨は降り注いで、気づけば、そこは辺り一面、希望に満ちた美しい花々で溢れる。




もしかしたら、原生林のように我々には想像もつかないような世界が広がっているのかもしれない。



…と、そんなようなことを思ったんですね。




さらには、J-HOPEさんに見つめられると、語り掛けてくるように感じる時があるのです。



「いつまでそんな大きな傘を持ってるの?」


「そこでずっと雨を避けてるの?」


「僕と一緒に雨の下を散歩しないかい?」


「世界はもっと広いよ」


「あなた次第で、世界はもっと広くなるよ」





実際にはそんな悠長なものじゃなくて、土砂降り、ボロボロだったりするでしょう。



なんなら、ホビさんだって、その姿をなかなか見せないだけで、ずぶ濡れ必死かもしれません。



ただ、今、ちょうどワタクシもいまだかつてないほどの努力を、それも自分のためだけじゃなく、大切な息子のためにも努力をしなければならないし、努力したい時でして、やるか、やらないかを日々試されているんです。


そんな時に、ちょうど良きタイミングで、ホビさんの今後やドキュメンタリーや生配信でのお話など拝見していたら、なんだかこんな↓イメージで、大雨の中、力強く背負ってくださる勢いで、大きな大きな力となり希望となっているんですね。


もっと楽な道はある。


努力しない選択もできる。


ただ、やっぱり努力したい。


今しかできないこと。


今だからできること。


目標や目的はあるけれど、その先の結果は今は気にしない。



服が汚れたら洗えばいい。


風邪をひいたらその時休めばいい。


起こっていないネガティブな「もしも」に捕らえられるのはやめよう。



この雨が、心地良いと思ったらこっちのもんだ。



というように、ランナーズハイのような状態でもあります😅



曖昧なふんわりとしたことを延々と述べておりますが、人には人生においてありえないくらいの努力を強いられるタイミングがありますよね。

やるか、やらないかはその人次第。


「努力を強いられるタイミング」である一方で、見方を変えれば、「ありえないくらいの努力」をするチャンスでもあると思うんです。


無理はすべきではない。

けれど、ホビさんに力をもらって、ちょっとくらい無理する時があっても良いんじゃないか。



いつやるか、今でしょ。


そう、「やるなら今しかねぇ」©西新宿の親父(長渕剛さん)でございます。


現時点で具体的に書けず申し訳ないですが、何の努力をしているかは、落ち着いたところで書くかもしれません。

どなたかのお役に立つこともあるかもしれないので、別のアカウント作って書こうかな~なんて模索しているところでもあります。


ホビさんのおかげでたくさん頑張る力をいただいた、というご報告でございました。

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