不動産鑑定士になった訳2
2次試験を目指した理由とその合格までの過程を書いた。
3次試験に合格するのも正直、大変苦労した。
前年の3次試験は十分に準備したにもかかわらず不合格であり、その翌年に縁あって銀行へ転職した。
入行してからは銀行業務に慣れるための苦労や、証券外務員資格、生損保の販売員資格など銀行員として必須となる資格試験も入行直後から早期に取得しなければならず鑑定士の勉強時間が大きく減ったためだ。
前職では不動産に関わる業務が中心でありファンドで取得する物件の評価や遵法性の調査が中心であった。
当時は生命保険や運用商品に関する知識は皆無であり、しかも金融業界特有の横文字にもアレルギーがあって慣れるのにも理解するのにも大変苦労した。
また、銀行員としての(明文化されていない)独特な習慣や文化、行内ルールなど以前の会社にはなかったような事項が山のようにあり、転職してからは、遭難しているような状態であり日々仕事から逃げ出すことを考えていた。
業務も分からないことだらけで帰宅するのも終電近くであり、帰って少し寝てすぐに出社するという状態であった。
それでも年に一度しかない3次試験に受かるために、休日には資格学校で模試を受け、平日もできるだけ当時住んでいた自宅近くの24時間営業のファストフード店で勉強してから帰るようにしていた。
平日は昼休み時間に近くの公園に行き資格取得のため保険や証券外務員のテキストを見るようにしていたが、実際には業務の疲れやストレスから寝たりボンヤリと過ごしていたように思う。
3次試験は2次試験の夏場とは異なり12月に実施されていた。1日で終わる試験であるが、午前問と呼ばれる鑑定理論について具体的な理解が問われる論文試験(2時間)と午後問と呼ばれる鑑定評価書を手書きで作成する演習試験(3時間)から成っていた。
午前問は4問出題されるため、30分/問のスピードで解答していかなければならない。また、午後問は設問を読みながら解答の組み立てを行い計算を進め、全て手書きで解答していくハードな内容であった。しかも、試験時間の3時間でギリギリ書き切れるか否かという内容であるため、鑑定評価に対する理解はもちろんのこと集中力と筆記のスピードが求められる試験である。
試験前に銀行の制度休暇である連続休暇(5営業日の休み)を取得させて貰い、最後の1週間で追込みをかけた。
試験では持てる力を出し切れた感じはあったが論文試験であるため、すぐに答え合わせができる訳ではなく結果を見るまで分からないため、翌日から業務に戻り試験の事は頭から離れていた。
そして、結果の発表される翌年1月(試験の翌月)の末頃に国土交通省前の掲示板に昼休みを利用して見に行った。職場が霞が関まで歩いて行ける距離にあったので、パソコンで見るのではなく折角なので直接見たいと思った。
到着して掲示板を見ると既に合格者が張り出されていた。恐る恐る覚悟を決めて名前を確認した。
自分の名前を見つけた。
名前を確認した時は今までの苦労が報われたように感じた。
その後、職場に戻り合格したことを報告すると上司や先輩、同僚などから祝福の言葉を頂いた。
その日は早めに業務を切り上げさせて貰い自分への労いのためにお祝いを兼ねて外食に行ったことは今でも覚えている。
3次試験においては働きながら受けたことから、2次試験の時よりも大変であったように思う。
この過程でも、合格に至るまでの努力や達成するまで諦めない気持ちなどが養われ、今でも役に立っていると感じる。
10数年後に2次試験に取り組み始めた頃から目標としていた独立をすることになるが、銀行員として働いていた時に得た知識や経験、社会人としての基礎的な部分が役立ち、自分で決めて選択した道に誤りはなかったと思うことが多い。
不動産鑑定士の資格は難易度が高いものであるが、合格に至るまでに費やす努力から得られるものや資格そのものの価値など目指してよかったと思う。