人間関係は事業のための道具?
前回で自己紹介も終わったし、今週からちょくちょくnote書いていこうと思う。といいつつ、あまり肩肘張ると本当にすぐにやめちゃう性なので、雑に雑に…
今日は一発目だからどうしようかな…と結構迷うけど、まずは、直近まで行っていた組織開発PJTの話を題材にしてみようと思う。1ヶ月前に一区切りし、ちょうど今週クライアントの皆さんと打ち上げがてら飲み会に行く予定。
PJTメンバーの皆さんと一緒に「同じ船に乗った感」をすごく感じていたし、先方の経営含めて僕ら自身もいろいろと変容があった案件。タイミング的にもそのPJTについて、自分の内省も兼ねて書いてみたい。
今回のPJT
始まりは、20年続いてきた企業のリブランディングに関する相談だった。
事業としては既に新しいビジネスモデルに移行し始めているが、長く在籍しているメンバーが過去のモデルの認識のままで、顧客への対外説明や社内コミュニケーション上でズレが発生しているように感じている、というのが課題認識だった。
そこで、初めは経営層との1on1や合宿を通じて、事業のコアコンセプト、今後の事業ロードマップを研いでいき、その後全社で分かち合っていく…という進め方をした。書いてしまえば3行だが、間に起きる人間ドラマが豊かだった。
社長に対して「これまでの社長の中で一番馬が合わない」と思っている役員もいるのに、みんなで集まるとだんまり。なんとなく様子をみる経営チームだった。
そんな中で少しずつ関係が築かれて、議論ができるようになって、ヒートアップしたりもしながら、結果的に事業方向性が見えてきたとき。「これだ…!」と何も言わずにお互いに目を合わせて分かり合えた感覚だったのは胸熱だった。
そして、もともとは「時間の調整が難しいのにわざわざ合宿なんて…」という声もあったのに、合宿が終わるたびにもっと話したいといって延長戦が続いていったとき。合宿は想定していた以上に、違う論点にも広がりながら経営チームが盛り上がって行った。
その後行った、全社向けの施策でも似たような感じ。はじめは様子見しながら、徐々に経営に対して物申したいこともでてきながら、一緒に未来を見つめていく軌道。新しい事業方針についてみんなでベクトルや想いが揃っていく。
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まだまだ始まりでしかなくてきっかけを作ったに過ぎないんだけど、一区切りついてみると、ここまでは非常に手応えを感じたPJTでもあった。
「対話」 の前に 「会話」。
8ヶ月走ってみて一区切りしたタイミングで、先方のPJTメンバーと一緒にリフレクションをしていった。今回のPJTで感じたことや、学んだことはなんだったのか。以下はそのリフレクションを行った際のMTGで先方の各メンバーが振り返ってくれた最後の一言。
👆の中でもキーワードとして多く出ていた、経営チームで、全社で、会社の存在意義や今後の事業ロードマップを「対話」しながら作り上げられたのがよかった。「対話」というのが一つのキーワードであることは間違いないと思う。
対話とは、互いの前提をわかちあい、意味を豊かにする営みだ。議論をして相手と論理を戦わせるものとは違う、と位置付けている。MIMIGURIのdanさんの記事がめちゃくちゃわかりやすいので、詳細はこちらへ ↓↓
PJTチームの中でも再三にわたって、「隣を見ずに自分の意見/前提を開いてみたいし、相手の景色/前提を知る場にしたい。対話をしよう」というのはチームのプロトコルになっていたと思う。なので、最後の振り返りとしてキーワードとして出てくるのは想定の範囲内でもあった。
一方で、対話の前に、会話・コミュニケーション自体が不足していたよね、という振り返りは改めて気づきになった部分だった。たしかに、言語化・意識下に持ってこれてなかったが、無意識のうちに気を使いまくったポイントでもあったのが社員同士があまりにお互いを知らないこと・距離があるように感じていたこと。
同社の社員は、もともと機能分業しており普段の仕事で接する機会が発生しにくい組織構造にいた上、リモートワークになってからはさらに会話が減っていた。実際に全社施策の中でも、会社の存在意義や部門方針に関する共感や違和感を発露してもらえたことも多かったが、それ以上に「隣の部署の人と話せてよかった」「同じ部署の人ともあまり話せていなかったと思った」など、”関係性を持てたよさ”についていろんな人から声が挙がっていたのが印象的だった。
対話をして価値観を分かち合う以前に、そもそも会話が、コミュニケーションが、不足していたんじゃないか。これが、今回のPJTを通じての大きな気づきの一つだった。
人間関係は事業の道具なのか
全然話変わるけど、僕は過去、雑談や会話、人間関係を、事業・仕事を進めるための道具として捉えてしまっていた時期があった。今は、そんな未熟だった自分をすごく恥ずかしく思うけど。。
こういう考えの背景にあったのは、経営・組織論を学ぶ中で、「組織は戦略に従う」という言葉にとらわれてしまっていたことが関係しているかもしれない。組織構造や力学のコントロールは戦略に向かって行うべき。これは今でも正しいと思っている。が、僕はこの解釈を浅く捉えてしまい「事業戦略にダイレクトに繋がらない組織活動は、目的から外れる意味の薄いものだ」と極端に考えるようになってしまった時期があった。そしてそういったロジックの中で、人間関係などに囚われず目的に向かえる・事業に向かえる冷静で合理的な人が”大人”だと捉えていた。
「目の前のこの人と向き合うのは、どんな事業/業務の目的に繋がるんだろう?いや、事業/業務の目的遂行のために、どんなコミュニケーションをとるべきなんだろう?」こう考えるようになると、普段の仕事や今後のキャリアに繋がりそうな人間関係は優先度が高く感じられるが、普段の仕事に関係のない人間関係には目的を見出せなかった。なので、仕事が忙しくなるとすぐにスケジュールから外してしまっていた。優劣をつけていた。
だけど、そんな中でも、僕の人間としての本能なのか、第六感なのか、良知なのかわからないけど、どこか人間として未熟な状態であることは感覚的になんとなく言語化できない状態で察知はしていた。このままいくと人間としてダメになりそうだという、何となくのアラートは鳴り続ける感じがあった。「利己的」「道具主義的」な自分に対してのなんとなくのアラート。
ただこの段階での難しさは、利己的・道具主義的なロジックが立ち過ぎてしまうこと。この人間関係は不要だ、なぜならば今の自分の事業/業務成果にどう繋がる?何の利益にもならないではないか、というロジックを前に違和感は隅に追いやられる。自分の未熟さを感じていつつもなかなか変わることができない、という葛藤の中に数年間はいた気がする。
今はMIMIGURIの中での仲間や、PJTで出会う人たち、その思想に触れていく中で、👆の捉え方は偏りがあって未熟だったなぁ…とわかるし、言語化も進んでいって違和感をやっと書けるようになった。一度偏った人間だからこそ、その拙さはよくわかる。個人の人生において、合理的に・打算的に何かを得るための関係性よりも、人と人との深い関係性を築く方が重要だと今は思う。十分にできているかというとそういうわけでもないから、若干綺麗事言っていないか大言壮語はいていないか、これ書きながら若干不安になっているなうだけど…少なくとも「戦略のための道具」「自分の何かを得るための道具」という側面だけで捉えるのは違う、というのは強く信じるようになったと思う。
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謎に最後、自分の話になってしまったけど、今回のPJTに無理やり話を戻すと、改めて人間関係や組織を作ることって経営・事業目的目線だけだと、なんでそんなことしないといけないの?と思えるようなことでも、人間関係を道具として扱うのは違うと思う。そして、人間関係の一歩目として機会を持つこと自体もやっぱり重要だったりすると改めて実感した、という話でした。(ただ、じゃあ人間関係を作りにいきましょう!とストレートに向かいすぎると上滑りするから、そこのデザインが重要だと思うけど。)
あと、こういうのってピュアに言い出すこと難しいと思うし、切り出せる人が少ないとは思うから、それを言っていいと思える場にしていくことも大事なのかも。先述した👇みたいな観点を話してくれた仲間が少しずつ増えていったら、文化が作られていくのかも。
なんか取り留めなく書いちゃったな、まぁいっか。雑に書くことを意識して、自分に負担なく続けていこ。
来週はPJTメンバー集まっての飲み会。PJTメンバーのみんなにこのnote読んでほしいな。
あと、PJTでご一緒したぺえさんこと押田さんと、田島さんもこのPJTに関して記事を書いているので、ぜひ目を通してみてください!^^
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