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なぜマイケル・ジャクソンはロシアの闇を見透かせたか【コラム】

『ストレンジャー・イン・モスクワ』。モスクワについての歌である。なのに、マイケルが切々と歌っているのは自分のことばかり。実はそこにこの曲の秘密がある。

 これが一番という方もいらっしゃるはず。マイケル・ジャクソンの1990年代の作品に、『ストレンジャー・イン・モスクワ』(Stranger in Moscow)という歌がある。以下にその歌詞の和訳を記す。

 僕は雨の中をさまよっていた
 仮面で素顔を覆い、気が狂いそうになりながら
 ある日一瞬にして主の恩寵を失い
 晴れやかな日々は遠い昔のことのよう
 僕はクレムリンが投げる影にたじろぎ
 スターリンの墓に心を追いつめられる
 ただひたすら降り続ける雨よ
 僕を僕のままでいさせてくれ
 
 どんな気持ちがするだろう?
 どんな気持ちがするだろう?
 もし君がたったひとり取り残され
 心まで凍てついてしまったとしたら
 
 自らの名声に裏切られ
 頭の中はハルマゲドンを迎えたかのよう
 KGBにしつこくつけまわされる
 名誉などいらない、もう放っておいてくれ
 物乞いの少年までが僕の名を呼ぶ
 幸せだった日々を思い、痛みをまぎらわすばかり
 ただ降り続ける雨
 ただひたすら降り続ける雨よ
 名誉などいらない、僕を僕のままでいさせてくれ
 
 まるでモスクワの異邦人みたいさ
 まるでモスクワの異邦人みたいさ
 それは危険なこと
 危険なことなんだ
 まるでモスクワの異邦人みたいさ
 それは危険なこと
 危険なことなんだよ
 まるでモスクワの異邦人みたいさ
 僕はひとり取り残されている
 僕はたったひとり取り残されているんだ
 まるでモスクワの異邦人さ

必ずしも正確でないモスクワ描写

 なんと美しいメロディー、そして陰鬱な歌詞だろう。モスクワについての歌で、これ以上のものを私は知らない。この曲が流れ始めると、二十世紀末の彼の街の雨霧、闇、においが現出する。一曲のポップソングによって? そのとおり。これは魔法だ。
 ほかのヨーロッパの都市にはない独特の重さ、苛烈さ。石、コンクリート、金属の生々しい質感。政治権力のゴツゴツとした肌触り。人間以外のなにかに合わせたかのごとき建築の大スケール。シェレメチヴォ空港の到着ゲートを越えたとたん、自分が自分ではない誰かに変えられてしまう気がするあの感じ……。

 マイケル・ジャクソンがこの曲を書いたのは1993年、ワールドツアーの一環でモスクワに滞在していた時だ。赤の広場にほど近いホテル・メトロポール。マイケルが部屋の窓から眺めると、外は見わたすかぎり人の海だった。わめき叫ぶおびただしい数のファンを前にして、彼はむしろこの世にたったひとり取り残されたような孤独を感じたという。まさにその瞬間、この歌が生まれたわけだ。

『ストレンジャー・イン・モスクワ』の歌詞にはKGBだのスターリンだのといったソ連時代のアイコンが登場する。また、歌の最後にはロシア語で、「なぜおまえは西側からやって来たのだ? 白状しろ! 人民の労働の成果を盗むためだろう」という尋問調の文句が挿入されている。
 1993年といえば、ソ連邦はすでに崩壊、モスクワは混乱のさなかにあった。KGB(国家保安委員会)は解散し、いくつかの後継組織に引き継がれていた。街には旧ソ連の面影が色濃く残っていたとはいえ、90年代半ばに発表された歌としては、時代からずれているのではないかとの批判もあったようだ。

心の中のディストピア

 時代背景の軽視? 現地の文化に対する無頓着? そうとも言える。だが一方で、この歌は必ずしも現実のモスクワを描いたものではないのだ。

 本作のミュージック・ビデオは全編モノクロームで、しかも雨が止むことなく降りしきっている。背景の街並みはモスクワに似ているようでどこか違う。実はこれ、ぜんぶロサンゼルスでロケを行ったらしい。
 カメラが映し出すのは、都市生活の中で居場所を失い、失意に暮れる人々だ。カフェの窓際に座り、放心したように屋外を見つめる女性。雨を避けて歩道にうずくまる路上生活者らしき男性。アパートの裏庭に突っ立った少年は、ほかの子供たちが野球に興じるのをただぼんやりと眺めている。
 マイケルは例の鬱々とした歌詞を歌いながら通りを歩く。彼は上述の登場人物たちと出合うことはない。あくまでおのれ自身の痛みを訴えつつ、同時にその他の「ストレンジャー」たちに対する我々の共感をも引き出していく……。

 当時、児童性的虐待の訴訟を起こされ、心身ともにひどくまいっていたというマイケル。タブロイド紙が虚実とりまぜて煽情的に書きたてる。世間は裁判が始まる前から彼を有罪と決めつけんばかり。

「ある日一瞬にして主の恩寵を失い、晴れやかな日々は遠い昔のことのよう」
「KGBにしつこくつけまわされる。名誉などいらない、もう放っておいてくれ」

 稀代のポップスターはその苦しい境遇を往時のモスクワの抑圧的なイメージに重ねてみせたのだ。たとえば、外国人をつけまわす秘密警察、といったお決まりの小道具を用いることによって。
 要するに、作中のモスクワはマイケル自身を取り巻く危機的な状況、彼の内なる地獄を表したものといえる。

アーティストだけが見いだす自他のつながり

 こうして見てくると、これはもはやモスクワについての歌ではないとさえ思えてくる。にもかかわらず、ほかのどの曲よりうまくあの都市を歌っていると私が感じるのはすでに述べたとおり。なぜなのか?

 一見、マイケルは他者への関心に欠け、自己陶酔に浸りきっているかに見える。彼は社会主義崩壊期のモスクワを取り上げるにあたって、現地の人々に同情したり、励ましの言葉をかけたりはしなかった。そんな生半可とはむしろ真逆のやり方、つまり、おのれが抱える心の闇をさらけ出すことであの都市と向き合った。ちょうどビデオの中で演じた役回りのように。
 うわべだけの関わりを越え、自分と対象との間に隠れたつながりを発見すること。それをごく自然体でやってのけたといえるだろうか。
 そして、そこでまさに驚くべき効果が生じる。「自らの名声に裏切られ、頭の中はハルマゲドンを迎えたかのよう」だとか、「幸せだった日々を思い、痛みをまぎらわすばかり」といったマイケルの内心を示す歌詞。それが回り回って、当時のモスクワに生きた人々の声のように聞こえてくる。文明的次元で寄る辺をなくした人々の、とめどない怒りと嘆きの声のように。
 これはすごいことだ。意図的なものであれ、偶然であれ。

 厳重な警備のもと、ホテルの部屋に閉じこもっていたマイケル。彼には街を自由に歩きまわったり、人々と話し込んだりする機会はなかった。その代わり、あの日起こった自らの崩壊/精神危機を語ることによって、謎めいたロシアの首都の機微をとらえ、知られざる素顔に近づき得たのだ。

 マイケル・ジャクソンの直感的・芸術的アプローチは、結果としてその後のモスクワの変遷を見通すものとなった。彼が不安定な心の内に描いたディストピアは、三十年という時間を経て、比喩でも誇張でもなくなった。クレムリンが投げかける暗い影、心を乱さずにはおかないスターリンの亡霊、そして外国人をつけねらうKGBの後継機関。これらすべてが今やまぎれもない現実だ。
『ストレンジャー・イン・モスクワ』。この歌は発表当時もすばらしかったが、その今日性は世紀をまたいでさらに高まっているのではないだろうか。マイケルが歌の最後で叫んだ危険という言葉が、迫りくる危険への警告が私の胸を衝く。 


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