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2024年3月23日(土)

長島の人々の暮らし

@岡山県 瀬戸内市 / 香川県 高松市

朝5時に早起き成功、5時半の電車に乗って18切符で西へ

無事乗り継ぎして岡山瀬戸内邑久、バスで長島へ

この島には国立ハンセン病療養所が2つある。
長島愛生園と邑久光明園
これらは全くの別物。
このこと自体も着いたときには知らなかった。

とにかくたくさんの学びを得て、この日の寝る前にInstagramのストーリーズで写真とともにあれこれシェア。

戦前からはじまるハンセン病患者に対する強制隔離政策、そのときのハンセン病に対する世の中の認識はいまから考えたら大きな誤解。
ただ当時からしたら除け者にするのが当たり前、除け者にされるのが当たり前。

隔離を定める「らい予防法」が廃止されたのは1996年、優生保護法という法律の廃止も1996年。らいを持った人の子孫を残すべきでない、ということで去勢させたり、万が一妊娠した場合は中絶させることを強いた。それも法律によるものであり、法律が存在した以上は民意でもあるわけで。ほんの数年間、誰かの政権のときだけのものではなく、20世紀初頭にアメリカで法整備されて以来、世界的に繰り広げられた政策なのだ。

いまからしたらおかしい、変だ、と感じるものも、当時の人たちにとっては当たり前。もちろん、変だ、と感じる人はいたはずだが。

中絶したいのちはホルマリン漬け、これは光明園のやり方。
愛生園にはホルマリン漬けはゼロで、その代わりにお地蔵さんが作られた。

光明園をアテンドいただいた方はこう語る。
私としては殺した側だった。あなた側もそう。世間の目として追いやった。

隔離された側はどうだったか。
収容前、故郷では除け者にされた、人間として扱ってもらえなかった、堂々と外に出ることすら許されなかった。
しかし長島では自分たちのための暮らしがある。外に出て生活が営める。

故郷を追いやられてかわいそう、という感情は一方的なものなのかもしれない。故郷を想い愁う気持ちはどの程度あったのか。

長島での生活の営みがあったことは事実。それを知り、受け止める。

愛生園にある喫茶さざなみハウス、ここから眺める瀬戸内海の景色、ゆるやかな時間、また来たい。

高松で泊まる、お遍路以来のそらうみ、マイスウィートホーム。


本日の1曲

Moments Musicaux - Theme
阿部海太郎


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