ある日のバイト中の思考の記録のやつ
気が向いたので拝聴した虫ころラジオで、男女平等をテーマにした軽いトークがあった。
ラジオでの詳しい内容にはめんどっちいから触れないけど、まあ色々な考えの人が世の中にはいるものね。
「男女は同じ責任、役割をこなすべきだ!」という人。
「男女はそれぞれの役割をこなしそれぞれに責任を負うべきだ!」という人。
両者共に極端な例を挙げるならば、前者は「妊娠しようが男も働いているんだ!働け!」で、後者は「女は家庭の事をしていればいい、男は養えばそれでいいんだ!」なのかな。
そもそも分からない所が一つあって、どうして皆「男」「女」で分けようとするんだろうね。
なんかいるじゃんよく。
女っぽい男、男っぽい女。
なんなら性別なんてどうにでもなるようになってきた世の中において、どうしてこうも「男女」平等を掲げるのだろうね。
そもそも平等でいいんだろうか。
きっと正解は無いし、間違いもない。
だからこそ難しい話題なんだろうけど、少なくとも僕は引っ掛かりを覚えたんだ。
少し戻るけど、一人一人個性があるはずの人間を「男」と「女」で括るのは少し勿体無い気がする。
もっと一人の人として見られるべきだと思う。
でも個性というのは凹凸が激しいものだと思っているし、必ずしも同じものがあるとは思えない。
だから皆その凸凹がいい具合に一致する人を探し求めているんだと思うんだ。性別なんて関係なくね。
そして、平等と公平の違いってなんだろうね。Twitterで少し前にバズってた?野球を観戦している3人の絵がそれだと言うならば、平等よりも公平がいいな。
勿論、仕事において重要なチャンスなんかは平等に与えられるべきだけどね。
要は男女でもなく個人が、今の自分に出来る事を躊躇わずにし合える世界になればいいのにねって今日のバイト中に考えてたんだ。
まあ全部、机上の理論なんだけれどね。
そんな事を考えてたら左手のApplewatchが101回も震え出した。
少なくともその時の彼は何かに肩を落としたりはしていないようだ。
それが分かればそれで十分。
今日も何処かで楽しく生きてくれれば、たまにお喋りしてワイワイし合ってくれればそれでいいんだ。
そういえば何処かでHSPの人は物事を深く考える癖があるとか見かけたけど、確かにねって今思った。