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『譲れなくて喧嘩するのは普通だ』マンガのワンシーンに救われた話


中学生以来、久々にドハマりした漫画、
『ハイキュー‼︎』

今年の2月より映画が公開され、
興行収入100億円を突破し、ちまたで話題の作品。
「落ちた強豪、飛べないカラス」と揶揄される
とある高校の男子バレーボール部のお話。
内容をご存知でないかたは是非、あらすじだけでも検索してご覧になってみてください。

学生時代、夢中になれる何かに全力、自分の全てを注いだことのある人には特に刺さる作品だと思います。

登場人物がぶつかる課題、仲間を思ってかける言葉、
言葉はなくとも態度や行動で示す想いなどなど…
あの頃の自分にかけてあげたい言葉はもちろん、
大人になった今でも致命傷レベルの勢いで心に刺さる言葉やシーンがちりばめられています。

私にとってそのうちの一つが、題名に記載したセリフ
「譲れなくて喧嘩するのは普通だ」というものなのです。




もう1回のない、最後の時間を前にして


学生時代、吹奏楽部だった私。
吹奏楽部にとって本番は大きく分けて4つ
夏のコンクール(吹奏楽の甲子園などとも呼ばれる)
秋の文化祭
冬のアンサンブルコンテスト
そして、春の定期演奏会(3年生にとっては最後の本番)

これは私が高校3年生、最後の春の定期演奏会直前に起きた出来事。


8人いた同学年の仲間たち。
それが、二つに割れてしまった。簡単に言えば仲間割れというやつだ。

理由を簡単に説明するならば、「価値観の違い」が原因。

1年間の集大成である定期演奏会という本番で
最高学年の3年生が仲間割れ。

強豪校なら顧問に怒鳴り散らされる勢いで怒られるやつである。
大問題。大問題超えて論外。絶対にあってはならないことだ。

当時部長だったのは私。
何度もみんなで話し合った。顧問ともぶつかった。
何度泣いたかわからない。
自分なりに、自分たちなりに解決の糸口を必死に探した。


でも、どうすることもできなかった。


結局、もう一回のない、最後の本番は
同学年が仲間割れした状態のまま、終了した。

自分自身にとって一生忘れられないはずの大切な最後の時間。
残念ながら、この本番のことはあまりにショッキングだったからか
一切記憶に残っていない。

覚えているのは、とても辛かったことと、
最後の春なのに、陰りのある仲間たちの表情だけ。



大人になるにつれて大きくなり続ける後悔



「お前はよくやったよ、ありがとう」
最後の演奏会後、顧問からいただいた言葉。

これは、【高校生なりにベストを尽くせた】という評価だと解釈している。
仮に、最後の最後で仲間割れした同期をどうすることもできなかった部長だったとしても。
高校生なりにはよくやったよね、という【経過】を評価していただけたと。

実際、当時の自分を振り返ると、
やれることはしっかりやったうえで、それでもダメだった
という自己評価は今でも変わらない。

変わらないのだけれど、

でも、大人になるにつれて色々なことを知って、
学生時代以上に辛いこと悲しいことを経験したことにより
キャパシティが少しずつ広がってくると
「もっとやれたかも」と思う自分が登場するようになった。

毎年3月になって風が少しずつ温かくなりだしたころになると必ず
この時のことを思い出しては、
「もっとこうすればよかった」「こうしていたら違ったかも」などと
一人反省会をしてしまう。

部長なのに、どうしてまとめきれなかったんだろう
部長なのに、なにやっていたんだろう、と自分を責めることも多々。


過去は変えられない、
どうすることもできなかったけれど、事実として当時の自分はよくやったということ、顧問からもそういう評価だったこと
「もっとこうすればよかった」などの後悔は
【あの頃の自分ではない自分】の主観であること

そう言い聞かせて、自分を納得させる。
そうやって春を超えること15回。

「つらい」「かなしい」などの感情を抱くことは減ったものの、
心の中に小さなモヤモヤが残り続けたままであることに変わりはなかった。


「譲れなくて喧嘩するのは普通だ」


ある日突然、画面の向こうから飛びでて胸に突き刺さったこのセリフ。

このセリフは主人公が、
過去に仲違いしてしまったチームメイトのことを気にしている(後悔している)男の子に向けてかけた言葉。

この男の子は価値観の違いから、中学3年の最後の大会の試合中に
チームメイトと仲違いしてしまう。
結果その試合は敗北し最終的にわかりあえることなく卒業。

仲違いした試合から1年以上経つ今でもその時のことを後悔し、
チームメイトのことを気にしている彼に主人公の男の子は言う。


でも、喧嘩するくらい普通だろ

ハイキュー!!シーズン4、第5話「空腹」より引用


中学校3年、最後の大会という場面での仲違い。そしてその試合で敗北。
あの時譲歩していれば…ほかに手段があったのではないか…
彼なりに色々思い返しては後悔することがたくさんあったのだと思う。

同じような境遇の彼に私は感情移入せざるを得ませんでした。

自分が最高学年かつ、「最後」が付く場面での仲違いは
周りの想像以上に、まるで重罪を犯したかのように後悔としてついてまわるのだ。

そんな思考にとらわれているだろう彼に、主人公はさも当たり前のように
「【喧嘩】するくらい普通だろ」と投げかける。

あまりにシンプルな【喧嘩】という捉え方に画面の中の彼と同じように
私自身もハッとさせられた。

そして主人公はこう続けるのです。


譲れなくて喧嘩するの、普通だ

ハイキュー!!シーズン4、第5話「空腹」より引用


この男の子も、仲違いしたチームメイトもバレーボールに真剣だった。
違ったのは価値観だけ。
バレーボールに真剣だったからこそ、お互いにどうしてもそれを譲ることができなかったのだ。

譲れないからこそ、真剣だったからこそ、ぶつかった。喧嘩した。
それはいたって普通のこと。喧嘩したこと自体は何も悪いことではないのだ。

ぐるぐるぐるぐると自分の中で考えたり後悔したりするうちに見えなくなっていたもの。

それを目の前に提示されて、肯定された画面の中の彼は
唇を食いしばって泣きそうになるのをこらえているように見えた。


この一連のやり取りを完全に自分に置き換えてしまった私は
まるで許されないことをしでかしてしまったかのような
最後の春の出来事を
ようやく「普通のこと」として受け入れられるような気がしたのである。

私たちは、お互いに真剣だったからこそ、
ぶつかった、喧嘩しただけだった、そしてそれはいたって普通のことで
喧嘩をしたこと自体はなにも悪いことではない。

まさか画面の中の高校1年生にこんなことを気づかされるとは…

え、ハイキューってすごいね?


「お前は、精一杯やったろ?」


一連のやり取りの中で、
チームメイトとのことを後悔する彼に、彼と同じチームだったもう一人の男の子がこう言葉をかけるシーンがある。



お前は中学の時のこと気にしすぎ。
お前は、精一杯やったろ?

ハイキュー!!シーズン4、第5話「空腹」より引用


この言葉も、心に沁みたセリフのひとつだ。

過去のことはどんなに気にしてももう変えることができない。
それに精一杯やったんだからそれでいいだろ、という彼なりの肯定の言葉。

この言葉は過去の自分に向かって言ってあげたい。

過去の私は本当によくやったと思っています。


まとまらないまとめ


私自身も仲間たちも、ベストを尽くしたとおもう。

真剣だったからこそ、譲れなくてぶつかった、喧嘩した
その結果があの春だったとしても

そんな風に向き合える仲間を持てた自分はとても幸せ者だということも
ハイキューのおかげで気が付くことができた。

長年心に留まっていた黒いモヤモヤは、
画面の中の彼らのおかげで、どこかへ飛んで消えていった。


ちなみに今回登場した仲違いしてしまったチームの3人は
大人になって、一緒にバレーボールをすることができたらしい。

高校3年生、部活動最終日
「今回はとても残念だったと思うけれど、大人になって、再び縁が繋がることがあれば、きっと分かり合える日が来るよ」

そういった顧問の言葉を思い出して
私にもいつかそんな日が来ればいいななんて思ったりしながら
最後までオタク節が出なかったことに安堵しつつ
このnoteを締めたいと思います。


ハイキューは刺さるエピソードが多い漫画だったので
またこんな風につらつらと色々書き留めていけたらいいなあ。




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