嫌われたようで、最後まで桜島はその姿を見せてくれませんでした。
鹿児島市内に入ったときにはなんの予兆も感じませんでしたが、新調したカメラを手にして、知覧の飛行場跡についた夕方から天気が崩れだし、市内へ戻り車を返却して天文館のマクドナルドでチーズバーガーを食べてからタクシーで 宿 に着いたときには完全なる雨になってしまいました。
テレビをつけると、日米親善野球中継。手元にはバティスタ投手と対決する松井秀喜選手の写真が残っているのですが、この試合の記憶はありません。
すごい。今は何だって検証が可能だと驚く。
天文館という名前に好意的な興味がわきました。近くに天体観測所でもあるのか、あったのかと推測したように思うのだけれど、覚えていません。いまだってネット検索をすればすぐに由来はわかると知っていますが、逆に、なにか勿体ない感じがして手が動きません。動かない。幕末の藩校に館がつく有名なものが九州に多いから、薩摩のそれかな、と推測。
知覧は鹿児島ときいて、当時、すぐに思い出す場所であったので訪れました。
かつての特攻基地は、その後小泉首相が涙してニュースになる以前であり— というのも「記憶違い」であった訳ですが —、とても静かな場所でした。もしかすると今も静かなのかもしれません。
なにより。
なにより「物語」が破壊された後、
破壊尽くした後、
「空気系」といわれるジャンルが登場する反面に於いて、再構築された「物語」が、使い古され、しかも歴史から何も学んでいない、出来が悪く中身のない「すかすか」な「ニッポン万歳」であったのには驚愕を通り越し深い、
深い深い
絶望に陥りました。
「PaxJaponica」という「旗」を見つけるまでは。
所謂「保守」の依って立つこの国の「物語」はまるで、この国を再度戦火に巻き込みたい外国勢が夜陰に紛れて(ネットを使って)ばらまいたとしか思えないほど酷いもので、取り戻すべき「ニッポン」をどんどんと「紛い物」へと変容させていった末の「いま」
本物の「保守」が今現在の所謂「保守」とまったく違うことは故・西部邁先生の著作にあたれば、すぐに判る自明に属します。
曰く「保守は矛盾を引き受けて自責を生きることである」
しかし紛い物の「保守」は自らの論理的矛盾を他に押しつけ「敵」認定し、攻撃するのです。
目につくものは「ニセモノ」ばかり。
最初の作品のテーマの一つが、奇しくも、最重要案件となって現前してしまいました。
紛い物ばかりになってしまったのは、「あたりまえ」
本物を出さないのだから。
「(紛い物の)保守」でなければ「卑国民」であり排除されてしかるべき。
それこそ「排除されてしかるべき」悪しき「二元論」
知覧を訪れたことのある「紛い物」でない「愛国者」は「保守」でも「革新」でもありません。
いま、我が家の茶筒には知覧の有機栽培緑茶が詰まっています。とてもおいしくて愛飲しているのです。
翌朝、ホテルを後にして、熊本への特急列車を待つ間に雨上がりの街を散歩していると、桜島には嫌われた訳ではない、と判りました。
「真」は例えば「風景画」という「嘘」の中に輝くのです。
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