糺の森と下鴨神社と『あおいのきせき』
20年前。
2002年10月18日深夜、突然の雷雨に見舞われた裏原宿で、「あおいのきせき」は書き上げられました。
その何日かの後、賀茂川と高野川の交わる場所(鴨川デルタという名前は、当時、知りません)から真っ直ぐ北に歩くのだ!という理由(わけ)のわからない強烈な欲望に取り憑かれた僕は、新幹線に飛び乗ることになった。。。
そう記憶にありました。つい最近、去年の春まで。
しかし事実は違いました。鍵は、記憶にあった、帰りの新幹線で見た車内ニュースです。
拉致被害者5人帰国、の流れる文字。
調べてみると、それは2002年10月15日の出来事でした。
それに加えて
「Dolls」という映画を観て感激した僕がふらふらと街を彷徨ったあげくに新幹線に乗り、そのまま京都へ行った、
というそれとはまた別の記憶。
これも調べてみると、映画の封切りは2002年10月12日だということが分かりました。
上から導かれたのが、以下の事実です。
2002年10月14日、渋谷で「Dolls」を見終わった僕は、東京駅まで歩いてから新幹線に乗り京都へ行った。翌10月15日に鴨川デルタから北に向かって歩き、糺の森を抜けて下鴨神社にお参りをしてから東京へ戻り、三日かけて「あおいのきせき」を仕上げた。
当時の僕は糺の森も葵祭というお祭りの在ることも、つまり京都についてなんにも知りませんでした。以前、noteに書かせて頂いた通りです。
令和になるかならないかの頃、「小夜子とワタシ(原田武夫・著)」
を読む機会をいただきました。
驚きました。
糺の森(という名前と、そ)の由緒について初めて知ることになりました。
僕は「あおいのきせき」を書いた「から」糺の杜に呼ばれて「ただ」されたのではなく、書き上げる直前の三日前に京都に「呼ばれ」、糺の杜を抜けてから、「あおいのきせき」を書き上げたのです。
そういう「物語」がちゃんと事実として、あるのです。
『あおいのきせき』には。