高千穂、それから延岡→宮崎へ。しかし、失われてしまったのは20年。それで助かったのは"嘘つき"だけ。
驚く事に、
或いは驚くほどのこともないのかもしれませんが、
この辺りの記憶がどうも判然としないのです。
旅の記憶についてもそうです。
それと、その時の僕の心持ちが、よく思い出せないのです。
静かに振り返る。振り返ってみる。
達成感。
それはあった気がします。というか、達成感に満ちていました。
それはそうでしょう。答えを持ってこれたのだから。
放っておいたって上手くいくだろう。
人の抱える、
人類の抱えるあらゆる問題が、これで解決するはずなのだから。
そう。22年後に上のごとく「ことのは」として結実したのです。
清々しく、晴れやかな心持ちでいました。
しかし、振り返れば、それが間違いだったと判ります。
なぜでしょう。
何故、2002年から20年も経っているのに、
それが実現していないのでしょうか。
例えばこの日本ファルコムという会社の「あおのきせき」というゲーム。
「あおいのきせき」を検索すれば かならず表示されます。
もちろん、弊社の設立は2019年を待たねばなりませんでしたし、「あおいのきせき」の電子出版は2021年2月です。
それでも「真理」を発見した物語ですから、当然その名は轟いておりました。
「あおいのきせき」という物語に記された真理の中身は世界中で探されることになったのです。
しかし、まぎらわしい題名の本やゲームに紛れて見つかりません。そのような工作が仕組まれてしまったのです。
「あおいのきせき」は隠されてしまいました。
そう。ゲームのコピーは「わたしをみつけて」です。
それにしても、隠しておいて「わたしを見つけて」とは太々しい。
木の葉を隠したければ、森に隠せ。とは、よく言われます。
しかし、
力があれば、
力があるから、
木の葉(あおいのきせき)を隠す為に、
森(ビデオゲーム、漫画、小説、アニメ…)を 作ってしまったんですね。
「あおいのきせき」の噂を耳にした人が、インターネットで検索をかけます。
世界中でそういうことが起きたのです。
真理の発見者も逃げたことにされ、真理は隠されて今に至ります。
「あおい」「の」「きせき」はいくら検索をかけてもかかりません。
似た様な"何か"に吸い寄せられて、"ホンモノ"にたどり着けない工作が、巧妙に仕組まれました。
あお い の きせき
あおい の きせき
ao i no kiseki
aoi no kiseki
最近になって、努力の甲斐もあり、ようやくホンモノが、引っかかるようには、なりました。
が、twitter では、
弊社が呟いた鍵になる言葉に合わせて、同じ単語が"秒"でつぶやかれます。
熊楠。粘菌。埴谷雄高。武満徹。などなど。
「あおいのきせき」と繋がるキーワードに興味を抱いた人が、その語をきっかけにして弊社を見つける確率を低くさせて、大胆にも嘯く。
わたしを見つけて。
"沈める"テクニック。スピン工作。
なんですか、これ?
それは、今も続いています。
いよいよ"名指し"ですか。今更なんでしょう。
ええ。戦ってますよ。言われなくても。
20年、いや、21年になりますかね。
「あおいのきせき」を隠さないと、困る方々は誰でしょう?
「あおいのきせき」
で、明らかになる事とは、
つまり、宇宙の仕組み。ありよう。
さて、神は何処に隠れているか?
それが
それも、はっきりします。
全部の仕組みが分かれば、全部問題も解決します。何処をどう直せばいいのか、わかりますから。(正確には、その為に「非あおいのきせき」の力が必要になります☞原田武夫先生の所謂"音義説")
さて、いい事ばかりなのに、不思議ですね。
ほんとうの宇宙、
宇宙のほんとうが明らかになって
困るのは、
嘘つきだけ。
ですよ。
いいですか、
もし。
もし、悪があるとすれば、
本当の悪があるのならば、
人類の幸福に繋がる平和と発展の道を、自分だけの幸福と利益のために、
(過てる信仰を守るために)
塞ぐことが悪であり
それに自覚的に加担する人間は悪人である。
と、はっきりと断言できます。
そうして、それはそっくりそのまま、
失われた20年
という訳なのです。
おや、高千穂にまでたどり着けませんでした。
"catch me if you can"の続編lolを作って
「大英帝国」さんは(が)、
あおいのきせきの
"発見"を
オマチカネ、です。
ところで、コードネーム "51番目のネコ"はまだ"生きて"いらっしゃいますか?
「秘密を解いて」あおいのきせきの「シークレット」は解除。
ところで、本当の「嘘つき」は誰でしたでしょうか。(Perfumeは、最高 !)
「Zato-ichi」2003年。(傑作です!)
「見えない」とか「見る」とか。
キーワードは「女の子(GIRL)」
『目ん玉かっぽじっても、見え』ないものは「見え」ませんか?
「見つけた」のに?
「あおいのせき」のオリジナルを。
お読み頂ければ、見え(認識でき)なくたって、あるものはある、という理屈がわかります。