性格は存在しない

我々は失敗したとしても、落ち込む必要はないと思います。
失敗したら改善策を講じて実行すれば良いだけだと思います。

私は過去にパソコンのトラブルでお客様相談センターみたいなところへ電話をかけたことが何度かあります。
その時、ただただ「すみません…」と落ち込まれるパターンがありました。
しかし、落ち込まれてもパソコンの問題は解決しないじゃないですか。
気晴らしとしてクレーム電話をしてるわけじゃないですから。
(クレーム対応が多すぎてそのような反応が求められたかもしれませんが。。。)
しかし毅然とした態度で改善策を提案してくれた方もいらっしゃいました。
その方の建設的なご意見にパソコントラブルは解決しました。
つまり落ち込まず、建設的な意見をハキハキと言う方が人のためになって良いのです。

そしてさらに悪いことに、落ち込むとコレチゾルが出て筋肉が分解、脂肪が合成されがちです。
そうじゃなくても落ち込むとストレスでイヤな気持ちになるじゃないですか?
だから「落ち込む」という感情は必要ないんです。
「失敗したんだから落ち込んでなきゃ許せない!」って人はどうしても相手を傷つけなきゃ気が済まないというクレーマータイプです。
そういう人はあなたの敵ですので、気にしなくてオッケーです。

ここまでは良いでしょうか?
つまり今から私が提案させていただくことは「改善策」であって、落ち込ませる意図は全くございません。
もし改善策に納得がいったら、落ち込まずにただ実行したら良いだけなのです。
もちろん納得がいかない点があれば、ご教授いただけたら嬉しいです。
納得がいかない点は改善策の不備なのです。
そこをふまえることができたら策はさらにブラッシュアップされます。
それは建設的で大変喜ばしいことなのです。
だから遠慮せず、です。

性格は存在しない

そもそも「性格」というのは存在するのでしょうか?
確かに個体によって穏やかだったり、気性が荒かったりします。
しかしそれは「観察者」がいて他の個体と比較して認識できるものです。
この場合の性格は、観察者が比較しなければ存在しません。

というか観察者は「行動」を「比較」することでしか評価できません。
つまりその人の「行動」の集大成が「性格」として認識されております。
例えば「性格」が「恥ずかしがり」だとしても、実生活で恥ずかしがっているところを観察できなければ「恥ずかしがり」とは認識できませんよね。
同じように「ネガティブな性格」だとしてもネガティブな発言をしなければ、「ネガティブ」とは認識されないのです。

ということは「行動」の集大成こそが「性格」なのではないでしょうか。
あなたの観察者が「行動」を見て「性格」を判断しているだけなのです。

「いや、性格はあるよ!性格いい人も悪い人もいるじゃん!」
と言いますよね。
しかしそれはあなたにとって「都合の良い行動」を積み重ねていった人が「性格が良い人」で、「都合の悪い行動」を積み重ねていった人が「性格が悪い人」ではございませんか。
つまりは行動なのです。

「それでも抑えきれない涙だってあるじゃん?そこを見られたらネガティブだと思われちゃうよ」
と言いますよね。
抑えきれない涙が出るとは大変な思いをしたのですね。
しかしそれは「性格」ではなく、「ホルモンバランス」と考えた方が良いかもしれません。
例えば「穏やかな性格の人」は「穏やかなホルモンバランス」になっているだけなんだ、と。
そもそも穏やかな人だって怒ることはあるわけです。
だから固定されている「性格」ではなく、その時々で変容する「ホルモンバランス」なのだ、と考えたら良いと思います。
ホルモンバランスであれば改善策を講じることも可能です。

生まれもった固有の「性格」だから「変えられない」のではなく、行動を積み重ねることで変えられるのです。
ホルモンバランスもサプリメントや運動・食習慣である程度変えられるのではないでしょうか。

そもそも「性格」が存在する、と考えると自己変容ができない言い訳に使われてしまいます。
「私は元々こういう性格だから…」など。

だから思い切って「性格」なんて存在しないよ?と考えることが肝心だと思います。

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