ヨコハマ・ラプソディ 19 富樫岳
十九.富樫岳
志織に逢えなくなってから長い歳月が過ぎてゆき、あれは確か、東日本で大震災が起きる二年前の冬。いや、暦の上ではすでに春だった。
「おかしい……」
また、一層強い横殴りの風雪が俺を襲う。
あまりの強烈さに、ゴーグルを付けているにもかかわらず、俺は思わず目をつぶった。
もうとっくに樹林帯に突き当たるはずだった。俺は歩みを止め、ぐるりと周りを見渡した。
俺の前後左右、すべてが雪と厚いガスに覆われ、ほぼなにも見えない。視界は約七、八メートル。良い時でせいぜい十五、六メートルといったところか。
南アルプス富樫岳(とがしだけ)の森林限界を超えた稜線上は、三月下旬とはいえ、そこは完全に冬の雪山そのものだった。
俺は富樫岳を一人で下山する途中だった。なんとしてでも、今日中に駐車場までたどり着こうと、荒れ狂う吹雪の中を必死に歩いてきた。
下山ルート上には、「市丸沢の頭(いちまるさわのかしら)」と呼ばれる小ピークがある。俺はすでにそこを通過し、その小さなピークを頂点に南に延びる「三条尾根(さんじょうおね)」という名の尾根筋を下っているところだった。
小ピークから尾根伝いに二時間ほど下れば森林限界に達し、さらに少し下った先はダケカンバやシラビソなどが生える樹林帯となる。その木々の影が未だ見えてこない。
俺はスノージャケットの袖をまくり、腕時計の針を見た。三条尾根を下り始めてから、すでに三時間と四十分。いくら疲労と空腹、さらにのどの渇きで歩く速度が落ちているとはいえ、もうとっくに樹林帯が見えてこなければおかしい。
樹林帯に入れば一時間ほど歩くと、熊沢谷(くまざわだに)避難小屋にたどり着く。さらに下っていけば、今日の日没までには下山口、上手くいけばヘッドランプを使わずに駐車場までたどり着けるのでは、と俺は考えていた。
なにより避難小屋から一時間二十分ほど歩いた登山道の脇には、冬でも枯れない貴重な水場がある。すでに飲料水を失っていた俺は、ものすごく喉が渇いていた。早く思う存分水が飲みたかった。
俺は右手からオーバーミトンを外し、スノージャケットの内ポケットをまさぐってコンパスを取り出すと、もう一度、針が指し示す方向を確認した。
向かっている方角は南だ。間違ってはいない。
「やっぱり、どう考えてもおかしい」
嫌な想像が頭をよぎる。だが、あり得ない。そんなことは認めたくない。
俺の体力はほぼ限界に近い。いや、体力だけでなく俺には気力さえも、すでにほとんど残っていなかった。
富樫岳という一般的には、ほぼ無名の頂は、夏は登山道の途中にあるこぢんまりとした、けれど種類の豊富な高山植物のお花畑と、冬は雪山登山としては岩稜帯などの難しいルートがない比較的歩きやすい山として俺が気に入った山だった。山頂からは晴れていれば、赤石岳や聖岳など南アルプスにおける三千メートル級の山々の景色が一望できる。特に白く雪を纏ったそれらの眺望は、言葉で言い表せないほどの美しさだ。
歩く人の少ないことも、俺が富樫岳を好きなポイントのひとつだ。実際、おとといの真っ暗な早朝に駐車場へ着いた時、俺以外の車は一台も見当たらなかった。当然、他の登山者の姿も、踏み跡さえも、一度も目にしていない。今、この広い山域にいる登山者は、ほぼ間違いなく俺一人だけだ。
富樫岳が登山者にあまり人気がないのは、南アルプスの主稜線からはポツンと離れていて、さらに駐車場から登山口までは一般の車両は進入禁止で、おまけに登山口へたどり着くまでに歩いて約三時間という、なかなかの距離があるからだろう。それでもこの山は、これまで何度も来たことのある、自分にとって馴染の山だった。
一泊二日の予定で南アルプス中部にそびえる、標高二七九五メートルの富樫岳へ雪山単独登山にやって来た俺は、一日目の途中からずっと吹雪に苦しめられてきた。山頂からの展望は早々に諦めたが、なんとか頂上だけは踏みたいと思って登り続けた。
山頂まで残すところあと約一時間、「八方石(はっぽういし)」という大きな岩がある地点までたどり着いた時、俺はついに登頂を諦めた。吹雪は収まるどころか益々ひどくなり、このまま進めば遭難は必至と判断せざるを得なかった。
なにより、頂上付近は相当の風速になっているだろう。この山の山頂手前には一か所だけだが道幅が狭く、両脇が切れ落ちているところがある。風さえなければ、それほど危険な箇所ではないが、万一強烈な突風であおられたらひとたまりもない。
俺は泣く泣く引き返し、あらかじめ決めていた場所でテントを張って一日目の夜を過ごした。しかし、耳栓を持って来るのを忘れた俺は、強風で激しくバタつくテントの音に悩まされて、あまり寝付けなかった。
翌日に本格的な下山を開始したが、俺は結局、二日目に下山口までたどり着くことができなかった。途中で何度もホワイトアウトに遭遇し、大きな予定変更を余儀なくされたからだ。
ホワイトアウトとは、雪や霧などのガスに包まれて視界が全部真っ白になる現象のことで、ひどいときには一、二メートル先もよく見えない。昨日も猛吹雪の中を懸命に歩いていた俺は、何度もホワイトアウトに巻き込まれた。
これまで雪山で吹雪に見舞われたことは何度かあったし、ホワイトアウトに関する知識も持っていた。いかし、初めて遭遇した「白い闇」は自分が頭で想像していたものより、はるかに恐ろしいものだった。
果たして、三歩歩いた先は崖ではなく、ちゃんと地面はあるのか。それが、わからないのだ。
ホワイトアウトによって視界の上下左右すべてが白一色になると、まず方向感覚が失われる。俺は自分がどの方向を向いているのかわからなくなり、一歩も動けなくなった。
平衡感覚もなくなるので、自分が今、斜面を登っているのか下っているかも、よくわからなくなる。真っ直ぐに立っているのかさえ、あやふやになった。
辛うじてなにかが見えたとして、コンパスで方向はわかっても、ただ真っ白な空間に浮いているように見えるだけで、目的地までの距離がわからない。とにかく、まともに歩くことができないのだ。
俺はホワイトアウトに飲み込まれる度に立ち往生し、道を見失いかけ大きく時間をロスした。
そうこうしていると、白一色の視界の中で平衡感覚を失った俺はうっかり転倒し、二、三メートルほど滑落した。幸いなことに、たまたま雪の吹き溜まりになっていたところに落ちたので、腰を少し痛めた程度で、死ぬことも大きな怪我もせずに済んだ。しかし、あまりの恐怖でしばらくその場から動けなくなった。
こんな状況では日没までに下山口どころか、熊沢谷避難小屋にたどり着くことさえ困難だ、と判断した俺は二日目の山行を諦め、まだ明るいうちにテントを張れる場所へと移動した。こういう緊急事態に陥った時のために、俺にはビバーク(緊急に山の中で夜を明かすこと)する場所について、あらかじめいくつかピックアップしていたポイントがあった。下調べなしに、いきなりテント設営に適した安全な場所を探し出そうとしても、現実には非常に難しい。
三十分ほどでたどり着いたところは、尾根の風下側で、強風をある程度避けることができる場所だった。尾根側の斜面もそれほど急傾斜ではないので、雪崩の恐れも比較的少ないし、近くに高い岩場もないので落石の心配もほとんどない。
一日目と同じように雪山用のスコップで五十センチほど雪を掘り、足で踏み固めてテントを張る下地を作った。
強風でバタバタと激しく暴れるテント生地を必死に膝で押さえつけ、四方にテントを固定するための雪山用のペグを雪に埋め、テント本体にポールを通したあとポールを起ち上げ、苦労しながらも無事テントを設置することができた。
あとは雪のブロックをテントの周りに積み、風よけの壁を組んだ。このテントでもう一晩を過ごし、次の日の早朝からの下山に備えることにした。
だがそのあと、大きな問題が発生することになる。燃料のガスが、二日目の夕食の準備をしている途中で切れてしまったのだ。できたのは少しばかりの飲料水を作ることだけだった。
新しい満タンのガスカートリッジを用意するべきだったが、俺は僅かな軽量化を優先し、まだガスがたっぷり残っている「はず」の使いかけのカートリッジを持ってきていた。ずいぶんと節約して使ってきたつもりだったが、もう限界だった。本来の一泊二日なら二日目の夕方にはとっくに下山していたはずだから、なんとかなったのだが。
ガスがないと雪を溶かし飲料水を作ることができない。お湯を沸かして、ラーメンを作ることもできないし、テント内を暖めることもできなかった。
俺は二日目の夜、凍えるテントの中で、僅かなビスケットとチョコレートで飢えをしのいだ。板チョコ半分を翌朝の分に取っておこうと思ったが、あまりの空腹に耐えかねて、とうとう全部食べてしまった。いざとなったら袋入りのラーメンの麺をそのままかじるしかない。だがそんなもの、俺ののどを通る気はまったくしなかった。
激しくバタつくテントの音、強い寒さと腰の痛み、それと今後エネルギーの補給と、なにより十分な水分を取ることが難しくなった現状に俺は強い不安に悩まされて、昨晩に続けてほとんど眠れなかった。
予定していた当初の二日間において、多少の風、あるいは雪も少しは降るかもと予想はしていたが、ここまでひどくなるとは正直思っていなかった。
もちろん気象庁が出す天気予報は何度も確認したし、自分でも予想した。気象予報士の資格は五年前に取得している。どちらも天候が悪化するのは、二日目の夜からと予想していた。
悪天候はそのあと約一週間続く。それは寒冷渦(かんれいうず)と呼ばれる、歩みの遅い低気圧のせいだ。
寒冷渦とは上空にある強い偏西風の大きなうねりから切り離され、その外側にポツンと取り残された格好の低気圧で、強い気流に乗ることができず、通常の低気圧より東に進む速度がかなり遅い。その分、悪天候に見舞われる時間が長くなる。
その低気圧の中心には強い寒気を伴っており、寒冷渦付近では、雷雨や突風など特に激しい気象現象が起こりやすい。雪山のみならず、こいつが近づいている間の登山はできるだけ避けたほうがよい。
俺は自分の休暇が取れる期間と天候の予想とをにらめっこして、この一泊二日ならイケると判断し、富樫岳への登山を決行した。この冬シーズン、天候のせいもあって一度も雪山登山ができなかった俺は、冬山での感覚を失わないためにも、今回の機会を逃したくなかった。
本来なら山が悪天候になる二日目の夜は、いつもの日帰り温泉施設で汗を流したあと、ポカポカ気分で高速道路上に俺の愛車を軽快に走らせ、家に着いたら一杯引っかけて、速攻で爆睡しているはずだった。
登山を開始した一日目の朝は、雲の所々に晴れ間も垣間見え、風も比較的穏やかだった。俺は誰の踏み跡もない、きれいで真っ白な雪を踏みしめる足裏の感触を楽しみながら、少しずつ高度を上げていった。これこそが、俺にとって雪山登山の醍醐味だ。時々野生動物の小さな足跡を見つけるのも楽しかった。
午前九時頃にちらちらと雪が舞い始めたかと思うと、正午頃にはもう視界が効かなくなるほどの吹雪となった。
低気圧の東に進む速度が、俺らの予想よりも速かった、ということである。
くそったれ。寒冷渦のくせに。
そもそも局地的な雪山の天気の正確な予測はすごく難しい。もちろん気象庁に対し文句を言うつもりはまったくない。山は自己責任が原則だ。
三日目の今朝、午前三時半頃になっても、吹雪はまだ止んでいなかった。ヘッドランプを点けると、テントの内側は俺の吐く息が霜になって、びっしりと凍り付いている。この霜を落とすのが面倒で一苦労なのだ。
温度計を見ると、テント内の気温はマイナス十二度。外の気温はわからないが、おそらく余裕でマイナス二十度を下回っていることは、ほぼ間違いないだろう。風速一メートルにつきマイナス一度下がる体感温度は、果たして何度になるのやら。
俺は座ったまま寝袋から上半身を出すと山専用ステンレスボトルの中の、最後に残った僅かな水を口にした。あとは水場に着くまで、のどの渇きは我慢するしかない。だが、不安でたまらなかった。腰の痛みだけは、だいぶましになっていた。
俺は明るいうちに下山口にたどり着けるようにと、すぐに出発の準備を始めた。携帯用の小型調理器具であるコッヘルのふたを使ってテントに着いた霜を取り、寝袋や空になったガスカートリッジなどテント内の荷物を、背中に背負う七十リットルのザックの中に収納すると、テントの撤収作業に取り掛かった。
雪の中からペグを引っこ抜き、テント本体からポールを抜いた。強風の中でいうことをきかないテント生地をなんとか折り畳んで、強引に収納袋に突っ込み、最後にザックの中に押し込んだ。寒さで手の指が思うように動いてくれず、起きてからここまで二時間近くが経っていた。夏だったら朝食をとったとしても、この半分程度の時間で済んだところだ。
でも今日こそは、ちゃんと下山して暖かい温泉に入るんだ。いや、その前に温泉施設の食堂で大盛のカツ丼を喰ってやる。ついでに大きな海老が載った天ぷらそばもだ。
そう思うと空っぽの胃がキューっと縮んだが、なんとなく元気が出てきた。
東の空に、ほのかに明るさが見え始めた午前六時少し前、俺は雪山用登山靴に滑り止めの十二本爪のアイゼンを装着し、愛用のピッケルを持って吹きすさぶ雪の中で下山を開始した。
相変わらず視界は悪いが、過去、夏も冬も何度か登った経験上、富樫岳における登山ルートはほぼ俺の頭の中に入っている。付近の地形さえある程度見えれば、大体の位置はわかるし、なんとか歩けた。
日の出の時刻を過ぎて周りも明るくなり、出発して約一時間が経過した頃、意外にも風や雪が弱まってきた。その間に、うっすらと見えてきた遠くの山の姿から、地図とコンパスを使って自分が立っている、ある程度正確な位置を把握することができた。
そこは富樫岳山頂から下山口までの全行程のうち、約三分の一強といったところだった。ほぼ予定通りの地点だ。
俺は空に向かって「吹雪よ、このまま止んでくれ! どうにか収まってくれ!」と、声に大にして叫んだが、やはり寒冷渦がそう簡単にすぐに通り過ぎる訳はない。三十分も経たないうちに風雪は次第に強まり、あっという間にまた猛吹雪となった。
気が付けば一日目は西からやや南寄りだった風向きが、西から北寄りの風になっている。低気圧は日本列島にだいぶ近づいて来たのか。雪質もいつものような大きい雪の粒ではなく、パウダースノーのように割とサラサラしている。寒冷渦が近づいたせいで上空の気温はかなり下がっているのだろう。恐らくこれから、山はもっと荒れる。
残念なことに、つい最近買ったばかりのスマートフォンとモバイルバッテリー、さらにGarminのGPSも、とっくにバッテリーが切れて使い物にならなくなっている。低温に弱いとは聞いていたが、ここまでとは予想外だった。
スマートフォンは一日目の夕方にはダメになったし、モバイルバッテリーとGarminも、翌朝起きた時には使えなくなっていた。予備の乾電池は、低温と数年間ザックに放り込んだままだったせいもあってか、ほぼ使い物にならなかった。
これら文明の利器は背中のザックの中で、軽量化を妨げるただの「お荷物」と化し、僅かながらも俺の体力を削ぐことに貢献している。
それでも紙の地図とコンパスさえあれば、なんとかなると思っていたし、GPSというものを使えるようになるまでの山では、現にそうやってなんとかしてきたのだ。
もっとも、これほどの猛吹雪やホワイトアウトに遭遇することは、今までなかったのだが。
途中、何度も強い突風に体を吹き飛ばされそうになった。こういう時はピッケルを雪に突き刺し、体を前に倒して強風をやり過ごす。
ひとつだけ強い風の恩恵を受けたのは、俺が今日歩いてきた稜線上は猛烈な風で降り積もる雪が吹き飛ばされ、ラッセル(雪をかきわけて進むこと)を強いられることがここまでほとんどなかったことだ。もしずっとラッセルしながら下山していたら、今の状況では俺の体力など、とっくの昔に尽きていただろう。
うんざりするほど、いくつものアップダウンを経て、朝、出発してから二時間半近くが経って、そろそろ市丸沢の頭がおぼろげにでも見えてくるかなと思って、前方に目を凝らしていた時。俺がほんの僅か指の力を緩めたせいで、地図が強風と共に遥か彼方へ吹き飛んでしまった。これは痛恨のミスだった。
俺は焦り怒り狂った。今の状況で地図を失くすということは、一気に遭難の確率が跳ね上がるということだ。
「お前は馬鹿か! 初心者か! クソボケ!」と俺は自分自身を激しく罵った。
でもここまで来たのなら、あとはとにかく目前の市丸沢の頭まで登り、そこから南へ延びる三条尾根を下っていけばいいだけのはずだった。
(大丈夫、いける。なんとかなる)
俺は自分に必死に言い聞かせると、吹雪にかすむ雪原を見つめ、これから先のルートを頭に思い描いた。
どうにか無事、市丸沢の頭を通過した俺はそこからずっと尾根筋を歩いて来たが、尾根を歩くには今の時期、なんといっても雪庇(せっぴ)に注意しなければならない。
雪庇とは、雪のかぶった山の尾根などに、風下方向にできる雪の塊である。ほぼ南北に延びるこの尾根には所々に雪庇が発達していた。
踏み抜いたら即、滑落。それに三条尾根の東側はかなりの落差がある急斜面の箇所が多い。落ちればすなわち、ほぼ、死につながる。
本当はこんなところを歩きたくはないのだが、地図もGPSも使えない状況では、一番確実なルートだし、雪庇ができた三条尾根を歩くことは、過去に何度か経験しているので、それほど強い恐怖感はない。
けれど尾根歩きも、ホワイトアウト状態になった場合、地面に積もった雪と空の境が不明瞭になり、いつの間にか雪庇の上を歩いて踏み抜くことは十分にあり得る。
だからと言って、あまり尾根から離れ過ぎると、見通しの効かない吹雪の中では徐々にルートから外れてしまう危険性も高い。場所によっては雪崩に巻き込まれる恐れもある。俺はあまり尾根の端の方へ近づき過ぎないようにと、慎重に歩いて来た。
それでも、樹林帯はいっこうに見えてこなかった。テントを撤収し出発してから、すでに五時間半が過ぎようとしている。予定では避難小屋さえも、とっくに通過しているはずの時間だ。
考えたくはないが、やはり認めざるを得ない。
俺はきっと、どこかで道を間違えたんだ。
いったい、どこで?
そういえば、この尾根を下り始めてしばらくして、またホワイトアウト状態になって視界がまったく効かなくなり、しばらくその場に立ちすくんでいたことがあった。ひょっとするとあのあと、俺は進む方向を間違えたのか? 歩く方向が左右どちらかにずれていたのか?
もしかして知らない間に、俺は別の尾根に進んでそのまま歩き続けてきたのでは?
地図がないので、どの尾根なのか確認することができない。それに疲労と空腹、さらにのどの渇き、なにより地図もなく樹林帯も見えないことへの焦りで、どうにも頭の整理がつかない。
(落ち着け! とにかく落ち着け!)
俺は必死に自分に言い聞かせた。
いや、まて。
ここが別の尾根だとすると、一度、沢筋に下りなければならない。そんな深いところにまで下りた記憶はない。やはりこのルートで正しいはずだ。
じゃあなぜ、樹林帯が見えてこない。いったい、どういうことなんだ!
しかし、いつまでも立ち止まったままでいると、強烈な風によってどんどんと体温が奪われていく。俺は恐らくこちらが正しい方向だと思う方へ歩みを進めながら、ホワイトアウトが収まったあと、どこをどう歩いて来たかを必死に思い出そうとしていた。
歩きながら、俺はふと思った。
あのピーク。あれは本当に市丸沢の頭だったのか?
俺はまた一度歩みを止めた。
途中で地図を吹き飛ばされていたので、きちんと確認はできていない。
あれがもし、もうひとつ手前の小ピークだったとしたら?
俺の後頭部から、スーッと、血の気が引いていった。
市丸沢の頭の手前には、名前のない小さなピークがある。俺は地図を失った焦りと、早く下山したいという願望のせいで、その小ピークをてっきり市丸沢の頭だと思い込んでいたのでは?
市丸沢の頭には、岩にペンキで三条尾根へ向かう方向への矢印が書かれている。手前の小ピークの岩には白いペンキで丸い円が描かれているが、雪が降り積もった今の状況ではどちらも同じようにしか見えない。
いいや、ここは積雪期にも何度も通ったことのあるルートだ。間違えるはずがない。
俺は不吉な考えを無理やり否定し、また雪の上を歩き始めた。だが、一旦沸き上がった疑念はそう簡単には消えてくれない。
でも、もし……。
もしも、あれが手前の小ピークだとしたら。今、俺が歩いているここは……。
その時、今まで踏みしめていた足元の雪にひびが入り、一瞬体が軽くなったような気がした。
しまった! 雪庇を踏み抜いた!
気付いた時は、もう手遅れだった。おのれの不注意を呪いつつ、雪の塊と共に急斜面を転がり落ちる途中、虹色の火花が目の前に飛び散った記憶を最後に、俺は意識を失ってしまった。
感じていたのは凄まじい全身の痛みと、ひどい寒気に異様な吐き気、それと上から押さえつけられる圧迫感だった。
ゆっくりと瞼を開くと、目の中に雪が入ってくる。意識はひどく混濁していて、なにがなんだかわからない。
少しずつ意識がはっきりしてくると、どうやら俺は首から下を雪の中にすっぽりと包まれ、仰向けに近い状態で横たわっているらしい。そこでようやく、自分が雪庇を踏み抜いて転げ落ちたことを思い出した。
生きてる? 助かった? ここから、さらに滑落する恐れは?
恐る恐る顔を動かした途端、首に強い痛みが走った。俺が見える範囲では周りはほぼ平坦になっていて、とりあえず滑落の心配はなさそうに見える。
俺の体の上には、分厚く重たい雪が覆いかぶさっていた。厚さは二メートル近くあるように見える。俺と共に落ちて来た雪庇の一部か。顔にかからなかったので、なんとか窒息せずに済んだらしい。
滑落してから、どれくらい時間が経った?
けれど、俺はもう腕時計を見て、時間を確かめる気にはなれなかった。実際、雪の塊に包まれて、腕も足も動かせなかった。
猛烈に体中が痛い。寒さで身震いが止まらないし、手足の指先の感覚も鈍い。吐き気は収まらず、頭もグラグラする。
雪の塊から脱出するには、俺に覆いかぶさっているこの雪をどうにかして、どかさなければならない。
腕で雪を押しのけようとしたが、雪はびくともしなかった。右肩がひどく痛む。足でも雪を押してみようと試みたが、少し力を入れただけで、気絶しそうなほどの激しい痛みが襲って来た。それが精一杯だった。
今日は朝からなにも食べていない。冬はただでさえカロリーの消費が激しい。
体のどこにもまるで力が入らなかった。
のども渇いた。なんとかして少しでも水が欲しい。最後に水を飲んだのは今朝起きた時が最後だ。
しかし、雪を口にすれば内臓が冷やされ、余計に体力を消耗してしまう。それでもいいとも思ったが、俺の手はもう、雪に押さえつけられて動かせなかった。
助けを呼ぼうにも、スマートフォンはすでにただの重りだし、元々富樫岳周辺の山域では電波は入らない。なによりそれらを入れていたザックそのものが、すでに俺の背中にはない。
雪の塊の中で、身震いする俺の体は冷やされ続けていた。
万事休す。
絶望を表すひと言が俺の脳裏に浮かびあがった。
登山届はきちんと記入して登山口のポストに出していたが、速やかな救援は望めそうにない。独身で一人暮らしの俺に、登山の計画を知らせるべき身内は誰もいなかった。
会社へは昨日までの日程で休暇の届け出を出していた。登山届のコピーも、一応俺の机の上に置いていたが、他人のことはなにかと無関心な人間の多い今の職場だ。おまけに俺の直接の上司は、確か明後日まで香港へ出張中だ。
今日中に、無断で休んだ俺の乱雑な机の上に置かれたB五用紙一枚の登山届に、誰か気が付くやつがいる確率は、希望的観測を含めて約六十パーセントといったところか。
仮に気付いた職場の誰かが今日、警察に届け出たとしても、今の天候では捜索開始は早くても明日の朝だ。天候が回復しなければ、下手をすればいつになるかわからない。当然ヘリコプターも飛ばない。
つまり……。そういうことだ。
なんてあっけない、人生だったのだろう。まさか今日が俺の命日になるとは。
でも、山に登るということは、いつでも命の危険と隣り合わせということでもある。
毎回山に入る度、覚悟はしてきたつもりだったが、やはりいざとなると動揺した。
こんなはずではなかった。体力的にはきつくても終わってみれば楽しい、いつもの登山のはずだった。心の準備なんて、そんなもの、あるはずもない。
以前北穂高で滑落した時は、落差も七、八メートルくらいだったし、右足首の捻挫と尖った岩にひっかけた背中を八針ほど縫った程度で済んだ。登山者も近くにいて、彼らがすぐに警察に通報してくれた。
でも、今のこの状況で助かる見込みは、ほぼゼロだ。幸運はそう何度も訪れてはくれないとういうことか。そりゃそうだ。
ただ、ずっと独身だった俺は、ここ数年間を割と自分の好き勝手に生きてきた。
念願の剱岳は去年の夏に登ったし、北アルプス有数の難ルートである大キレットは一昨年の秋に走破した。山だけではなく、他にもやりたいと思ってきたことは、もうほとんどやった。そんな気がする。
あれ? でもなにか。なにかあったような気が……。
雪の塊の中で寒さに凍え、歯の根が合わない奥歯をガチガチと鳴らしながらも、俺は仕事のことが気になった。
もうじき年度末だ。俺の仕事が忙しくなるのは四月に入ってからになる。俺がやるべきいくつもの業務がこれから控えていた。
でも、なんとかなるだろう。北穂高で滑落した時に十日間ほど会社を休んだ経験から、万が一会社に出られなくなった時のためにマニュアルはたくさん作っておいた。
その滑落事故のあと、会社に復帰した時も思った。人一人いなくなっても、会社という組織は、どうにかこうにか回っていくもんだ。それに今は優秀な部下も何人かいる。
そして母親のこと。
父親はすでに亡くしたが、病身の母親は今、居心地の良い有料の老人ホームに入居している。
親より先に死ぬ。そんな親不孝はやってはいけない。
今までは、親のためにも山では絶対に死なない、とずっと思ってきた。
どんな困難な状況に置かれても、母親のために必ず生きて帰る。
そのために気力を奮い立たせ、なにがなんでも、石にかじりついてでも生還する。
そう考え実行する。ずっとそう思っていた。
でも、今回ばかりはどうにも無理みたいだ。
母親を泣かせることだけは、絶対にしないはずだったのに。我ながら本当に自分が情けない。
お母さんごめん。
最後の最後まで、バカな親不孝者でした。
雪が俺の顔に降り積もっていく。
そうか、俺はここで死ぬのか。この山の中で死ぬのか。
でもまあ、それ程悪い死に方でもないのかも。
孤独な男にはある意味、ふさわしい死に場所かもしれん。
こんな山深い崖の下で雪に埋もれた状態では、恐らく遺体も発見されないままだろう。俺はこのまま、富樫岳の一部になる。そういう運命だったということだ。
自分でも意識がかなり朦朧としてきたのがわかる。それに心なしか、身震いが収まってきた気がする。
俺は知っている。こいつは悪い兆候だ。体温が下がると、脳は無意識に体の筋肉を振るえさせて熱を発生させる。
だが、体温の低下が進むと体の震えが止まり、さらに体温は急速に低下する。そのうち意識を失い、やがて死に至る。
俺に残された時間は、もうそれほど長くないのだろう。
なんだか少しずつ眠くなってきた。眠った先には安らかな死があるはず。
俺はそれを受け入れようとしていた。
「あきらめちゃ、だめ」
ふいに女性の声が聞こえた。いや、よくわからない。空耳か?
そうか、これがいわゆる「幻聴」というやつか。遭難し、極限状態に置かれた時に聞こえてくるという。
初めて聞いた。
俺は朦朧としていた頭で考えていた。
幻聴が、聞こえるようじゃ、さすがに、もう……ダメだな。
でも、なにか……懐かしい……。どこかで、聞き覚えの、あるような……。
「がんばって。あきらめないで、信也さん」
その声にハッとした。
そんな、はずは、ない。
この声。
なぜ、こんなところで。
「さあ、立ち上がって」
その声に促されるように、俺は仰向け気味の体を右に動かした。途端に身体中に激痛が走る。俺にのしかかる雪は重かった。
それでも歯を食い縛り、体を左右に揺さぶり、呻き声を上げながら手や足を雪塊に押し当てた。
だが重い雪の塊は、俺の体の上に厚く覆いかぶさったままだった。体中の痛みは耐え難いほどだ。やはり、ダメなのか。目の前が徐々に霞んでいく。
それでも俺はもう一度、激しい痛みに耐えながら足裏を雪に強く押しつけた。
ああああっ! 痛いっ! さすがに、もう……ダメ……。
と思った時、急に足裏の抵抗が軽くなると同時に、足元に雪がどさっと落ちてくる感触があって、足をある程度自由に動かせるようになった。俺は痛む足を使って下半身の雪を少しずつどけていった。下半身の雪の塊があらかたなくなると、上半身も多少動かしやすくなった。
俺は体を左右に揺さぶりながら自分の体の周りに僅かな空間を作った。肘を動かし、指先で雪を削り、体を左右に揺さぶって空間を少しずつ広げていった。だが、広げたところに上から雪が落ちてくる。またやり直し。
そんなことを何度か繰り返していくうちに、一気にどさっと、のしかかっていた残りの上半身の雪が崩れ落ちてきた。俺は顔にまで降りかかった雪を左手で払いのけると、体をうつ伏せにまで持っていくことができた。
俺は両腕に力を込めた。しかし、右の肩がひどく痛くて力が入らない。腕は骨折していないようだったが、体中のあちこちが大きく悲鳴を上げる。
俺も声にならない悲鳴を上げながら、少しずつ時間をかけて、ゆっくりとだが、なんとか立ち上がることができた。俺にまだ、こんな力が残っていたなんて信じられなかった。
幸い足の骨も折れてはいないようだが、右の膝と、左の足首の関節が猛烈に痛い。靭帯を損傷したか。でも、骨が折れてさえいなければ、なんとか歩くとことはできるはずだ。
頭にも触ってみたが、頭頂部にコブがひとつある以外は骨折も出血もしていないようだった。ただ、めまいと頭痛がひどい。まだかなりの吐き気もする。
しかし、この程度のダメージで済んだのは奇跡だ。ぶ厚い雪がクッションになってくれたのだろうか。でもまずあり得ないことだった。
どれくらいの落差を転がり落ちたのだろうと上を向くと、突如強烈な胸の痛みを感じた。
恐らく肋骨には、少なくとも複数のひびが入っているに違いない。ひびで済めばいいが。
荷物を入れた青色のザックもピッケルも、ゴーグルさえもどこかに飛んでしまっていた。でも奇跡的にゴアテックスの手袋は俺の手にあった。靴も滑り止めのアイゼンもちゃんと足に付いている。
俺はゆっくりと周りを見た。そこは相変わらずの吹雪。
白い雪以外、なにも見えなかった。
でも彼女の〈存在の気配〉だけは、俺のそばに確かにあった。
「こっちよ」
その声のする方を見る。
いつの間にかそこには、確かに赤いスノージャケットを着た人がいて、薄ぼんやりとした後ろ姿が吹雪の中に見えた。
俺はぼーっとした頭のまま、今にも消えてしまいそうなその人のあとを、のろのろとついていった。
なんだろう……。前にもあんな、儚げな後ろ姿を見たことがあるような気が……。
その人の顔を見たいと思ったが、その人は後ろを振り向いてはくれなかった。
でも俺には、目の前を歩いている人が誰か、わかっていた。
それからどれぐらいの距離を歩いたのだろう。雪深い斜面の上で俺は立ち止まった。肋骨の痛みに苦しみながら、ぜえぜえと荒い息を吐き、膝に手をついた。
だめだ。もう動けない。もう、一歩も歩けない。
この急斜面に立って、強烈に痛む足でバランスを取るだけでも、もう精一杯だ。
「がんばって。立ち止まっちゃだめ」
俺のすぐそばで声がした。
俺は確かに、そこに在る〈存在〉を強く感じた。
あの懐かしい、そして優しかった彼女の〈存在〉を。
「さあ、がんばって。足をうごかして」
〈存在〉に励まされ俺はまた、自分の重たい足を一歩前に出した。
そうやってなんとか、のろのろとだが、足を動かし続けた。
しばらくすると、大地を揺るがす振動と共に俺の背後で轟音が鳴り響いた。
ゆっくりと後ろを振り返ると、大きな雪煙。
さっきまで俺が膝に手をつき、立ち止まっていたところに雪崩が走っていた。
「そっちじゃない、こっちよ」
「左側は歩かないで。そう、そっち」
「ほら、がんばって」
「あきらめちゃだめ」
彼女の〈存在〉は、ある時は前に立って俺が進むべき方向へ導き、ある時は俺の目には見えないけれど俺の横で、あるいはすぐ後ろで〈存在〉を感じさせ、ずっと励まし続けてくれた。
《それはいわゆる「サードマン現象」と言われる出来事だった。
ある人は雪山での遭難中、ある人は冒険中の山の中で大怪我をした時。あるいは洞窟の中で進むべき方向を見失った時。またある人は、9・11と言われるニューヨークの世界貿易センタービルで、大量の煙の中を逃げ惑う途中で、崩れたコンクリートの塊に行く手を阻まれた状況で。
完全に絶望的な状況の中、その時「誰か」が現れ、励まし、進むべき道を指し示してくれる。
もちろん当時、俺は「サードマン」なる言葉も、そんな現象の存在も知らなかった》
「止まって」
その声に従い俺は立ち止まった。
目の前の、なんてことのない雪の上をボーッと見ていると、俺は突然恐怖にかられた。
危険なものはなにも見えない。ただ、俺の勘が全力で、そこはヤバいと告げていた。
「右側の雪が盛りあがっているところ。そこに足をおいて」
俺は少しためらったあと、声に従い、盛り上がった雪の上に恐る恐る右足を置いた。
なんともなかった。
「右足をふみこんで、目の前におおきくジャンプして」
だが俺は躊躇した。怖い。なにかよくわからないが、とにかく物すごく怖い。
「ほら信也さん。おもいきって」
俺は意を決し、前方へ思い切って飛んだ。
右膝に激痛が走ると共に、踏み込んだ足元が沈み込むような感じがしたが、それでも俺はなんとかジャンプし、目の前の雪上に着地した。
だがやはり、左足首の激痛を堪えきれずバランスを崩して雪の上に倒れ込む。と同時に、すぐ後ろでザザザザザッという大きな音がした。
ゆっくりと立ち上がり後ろを振り向くと、俺が飛び越したところに雪はなかった。
いわゆる「スノーブリッジ」というやつだ。谷を埋めるアーチ状に残る雪の塊である。
ぶ厚い雪の下に沢などの水が流れることにより下部の雪が少しずつ融け、上部の厚みが薄くなっていく。上から見ただけではまったく判別はつかない。
もう三月下旬ともなれば、場所によってはこういうスノーブリッジができていても、おかしくはなかった。
こいつを踏み抜いていたら仮に即死は免れても、下の沢に落ちて水に浸かり、間違いなく低体温症にかかって俺の命はなかっただろう。
けれど俺は立ったまま、ただ茫然と、ぽっかりと顔をのぞかせている黒い穴を、黙って眺めていた。
何度も雪の上にへたり込み、あるいは足の痛みで急斜面を踏ん張り切れずに倒れ込んだ。ある時はそのままずるずると、二、三メートルほど斜面を滑り落ちた。その度に〈存在〉に励まされ、呻き声を漏らしながら立ち上がる。また痛みに耐え斜面を下り、あるいは登り返す。
そんなことを繰り返しながら、一向に止む気配のない吹雪の中を歩いていると、俺の目の前に大きな岩壁が見えてきた。斜度はかなり急に見える。見た目ではほぼ垂直に近い。それも結構な高さだ。
途中で落ちたら命はない。
岩壁の横は雪の壁だ。なんの技術も経験もない、ピッケルさえ持たない俺が雪壁を登ることは不可能である。先へ進むのなら、目の前に立ちはだかる岩壁をよじ登るしかない。
だが、そもそも鎖どころかロープさえも設置されていない、この急傾斜の岩壁を、果たしてなんの道具も持たない人間が、安全に登りきれるものなのか。
「大丈夫。ここはのぼれる」
その言葉を信じ、俺は両手にはめたゴアテックスのオーバーミトンを取り、風に吹き飛ばされないように、スノージャケットの内ポケットへ突っ込むようにして入れた。俺は防水のインナーグローブだけで岩場を登ることにした。オーバーミトンのままでは、指で岩をがっしりと掴むことはできないからだ。
岩壁には雪と氷がびっしりとこびりつき、どこをどう掴めばいいのか、判然としない。
極度の疲労と睡眠不足、さらにひどい空腹とのどの渇きで俺の頭は相変わらず朦朧としていた。両足も右肩も相変わらず痛い。おまけに俺の指先はほとんど感覚がない。
こんな状態で、果たして岩壁を無事に登りきれるだろうか?
でも彼女の〈存在〉がどこを掴み、どこに足を置けばいいのかを教えてくれた。
「右手は斜め左上の黒いでっぱり。上からおさえつけるように」
「左手はそこから二つ上のおおきいほうのでっぱり」
「右足はその右上、そう、そこ」
「がんばって。もうすこしよ」
俺はなんとか無事に岩壁を突破した。
人がほぼ立ち入ることのない、登山ルートでもないこの岩壁。
なんの整備もされていない不安定な岩場の、ほんの一か所でも手や足を置くところを間違えれば、今の俺の状態ではあっさり滑落し、これだけの高さなら間違いなく即死だろう。
でも俺はなんの感慨に浸ることもなく、オーバーミトンを両手にはめるとすぐに歩き始めた。
目の前のおぼろ気な、でも、確かに見える赤いスノージャケットのあとを追って。
鉛と化したような足を、それでも動かし続けていた俺はまた、ホワイトアウトの白いガスに包み込まれた。
一メートル先どころか、自分の足元さえもよく見えないような、濃く白い闇。
雪とガス以外なにも見えないはずだが、俺の目線の先に、赤いスノージャケットの姿だけは確かにあった。
冷静に考えればあり得ないことだが、俺はなんの疑問も持たなかった。おぼろげな後ろ姿を追って、俺は朦朧としながらもゆっくりと歩いて行った。
ねえ、そこのひと。そこの赤いスノージャケットを着たひと。
お願いだから、一度後ろを振り向いてくれないか。
赤いジャケットのフードに隠された顔を、俺に見せてくれないか。
一度でいいから。
気が付けばいつの間にか俺は、葉を落とした木々が立つ樹林帯の中を歩いていた。
雪は相変わらず激しく降り続いている。風もまだ強く吹き荒れていた。
樹林帯は雪が深い。雪に足を取られ、ただでさえ遅い俺の足がさらに遅くなる。何度も深い雪に足をずっぽりと踏み入れてしまい、顔面から雪に突っ込んだ。その度に、長い時間をかけて、呻き声を上げながら立ち上がった。
それにしても、相変わらず膝が、足首が、体中が痛い。おまけに膝から下は、両足とも痛み以外にほとんど感覚がない。特に爪先の痛みがひどくなっていた。
痛みに耐えきれず、時には二メートルも歩けば、三分、時には五分近く立ち止まっていたかもしれない。その間にも強風で体温が奪われていった。
もう歩けない、もうだめだと混濁する意識の中で、冷たい雪の上でもいいから、今すぐ眠ってしまおうと何度も考えた。死と表裏一体である眠りへの誘惑はとても魅力的で、俺は危うく、幾度か誘いに乗りかけた。
それでもなんとか、足を止めずに歩いてこられた。
彼女の〈存在〉が、ずっと俺のそばで励まし続けてくれたからだ。
「がんばって、信也さん」
「あきらめないで」
彼女の励ましがなければ、俺はとっくに歩くことをやめていただろう。
生きること自体も諦めていただろう。
そのことだけは、絶対に間違いない。
ゴウゴウと吹雪が枝を揺さぶる木々の間を亀みたいにのろのろと歩いているうちに、やがて周囲が薄暗くなり始めた。
夜になってしまえば、ヘッドランプを持たない人間が山の中を歩き続けることはできない。
テントもなしで極寒の強風の中、一夜を生きて過ごすことは絶対に不可能だ。
そんなことを朦朧とした頭で、ボーッと考えながら歩いていた俺の目に、うっすらと、吹雪の中に立つ小屋らしきものが見えてきた。近づくとそれは確かに人が作った避難小屋だった。
助かった! と普通なら歓喜するはずの場面だが、俺はただ(熊沢谷避難小屋かなあ)と、今にも雪に押し潰されそうな、小さな木造の建造物をぼんやりと眺めていただけだった。
小屋の中へ入れば少なくとも、雪と強い風に体温を奪われることはなくなる。
だが、まだ盛んに強風が吹き、雪が降りしきる中、小屋の入口の前に立った途端、俺は歩くのを止めた。
もしかしたら、この小屋に入った瞬間、彼女の〈存在〉が消えてしまうような、そんな気がしたからだ。
「早く、中に入って」
「ほら、信也さん、早く小屋の中に」
「中に入って」
俺は声に促され、しぶしぶ左手で重い扉を開け、寒々とした小屋の中へと足を踏み入れた。
でも彼女の〈存在〉は消えずに俺のすぐそばにいてくれた。
人が五、六人も入れば一杯になってしまいそうな、狭く薄暗い避難小屋の冷たい板の間の上で、俺は靴にアイゼンも付けたまま、寒さでガタガタと震えながら膝を抱え座り込んだ。
そして、俺の隣にある〈存在〉をじっと見つめた。
間違いなかった。
「志織……」
懐かしくも切ないその人の名前を口にした時、彼女は優しく俺に微笑んでくれた。
その顔は、あの頃の、高校三年生の時の、そのままの志織の笑顔だった。
やっと逢えた! やっと!
俺は「あの時なぜ、俺に黙って消えたんだ。今までどこでどうしていたんだ」と、ついなじるような強い口調で彼女に尋ねてしまった。
すると志織は「私は信也さんの話が聞きたい。あれから何があったか聞かせて」と言った。
その言葉を、俺を眠らせないために志織がわざと言った、と受け止めた俺は、彼女に向かって、延々と自分のことをしゃべり続けた。
最後に逢った日から、ずっと志織からの電話を待っていたこと。
そのあと、志織の家を訪ね、隣の人から志織の家族が夜逃げをしたと聞いたこと。
それからしばらく、本当に必要な時以外はほとんど部屋から出なくなったこと。
一度留年して、なんとか大学を卒業したこと。
就職して一年目にふとした事故で頭に大怪我をし、そのこともあって二年で別の会社に転職したこと。
その会社で、今はコンピューターのプログラミング関係の仕事をしていること。
プログラミングの仕事は、意外と俺の性に合っていて、結構楽しいこと。
あの国立寮は、すでに取り壊されてしまったこと。
結婚もしないで、ずっと独身であること。
俺は少しためらったが、思い切って言った。
元々あまり結婚したいとは思わなかったが、親のためにもと思い、一度だけ結婚を考えた人がいたこと。
でもその人には実は別の男がいたことを知り、あとは一切、結婚は考えてこなかったこと。
ある時期に山登りの楽しさを覚え、色々な山に登ったこと。今までに登ったすべての山のこと。そこで出会ったリスやオコジョ、ヤマネなどの小動物のこと。
一度道に迷った時に偶然通りがかった、名前も知らない薄紅色の花が咲き乱れる壮大なお花畑のこと。
夏の北アルプスで、北穂高岳を下山中に滑落し遭難しかけたが、奇跡的に軽傷を負っただけで無事生還したこと。でも滑落した時に受けた大きな傷跡が、まだ背中に残っていること。
なにより俺は、ずっと志織に逢いたいと思っていたことを。
そのことを口にした時、俺はたぶん、泣いていたと思う。
志織は黙って、ずっと俺の話に耳を傾けてくれた。
もう、とっくに夜になっていて、小屋の中は真っ暗のはずだったが、俺には志織の姿が見えていた。それは、はっきりとした姿を纏う時もあれば、儚く消えそうに見えることもあった。でも彼女の〈存在の気配〉は、確かに強くずっと俺のそばに在った。
ようやく朝日が昇り始め、小屋の中も薄明るくなった頃、俺は、ひとつのことを志織に尋ねてみた。
ずっと気になっていたことを。
もちろんずいぶん前のことだ。彼女が覚えていなくても当然のことだ。
「あれから、あの最後に逢った日から三か月ぐらい経ったあと、夜中の十一時頃、俺あてに寮に電話したこと、ある?」
薄ぼんやりした姿の志織はしばらく黙っていたが、やがて静かに頷いてくれた。ように見えた。
そうだ! やっぱりそうだったんだ! やはりあれは志織からの電話だったんだ!
同時に、突然避難小屋の扉が開き、冷たい風や雪と共にどやどやと複数の男の人が小屋の中に入ってきて、俺は冬山用の重装備をした彼らの姿を目にした。
その瞬間、彼女の〈存在の気配〉が、スッと消えた。
「生きてたか!」
「よく無事だったな!」
「大丈夫か! よくがんばった!」
彼らは、地元県警の山岳救助隊の隊員達だった。恐らく、俺が会社に出社しなかったことを不審に思い、俺の机の登山届を見た同僚が、警察に連絡してくれたのだろう。
「はい、なんとか」
隊員達に向かって答えたあと、横を向いた俺の目線の先に、もう志織の姿は見えなかった。
この時、命が助かったことがわかった瞬間だったにもかかわらず、俺は寂しさにひどく落ち込んだ。
俺は救助隊員から温かい飲み物と食料を与えてもらい、お湯で手足の指を温めてもらった。そのあと救助用のソリに寝そべったまま体を縛り付けられ、麓まで運んでもらうなど彼らの手を借りて、この世の中へ生還した。
俺の右膝は前十字靭帯が断裂し、半月板も損傷していた。左足首も前距腓(ぜんきょひ)靭帯が断裂、踵腓(しょうひ)靭帯もちぎれかけ、骨にはひびも入っていた。右肩は脱臼し、肋骨には五か所のひびが入っていた。他にもいくつかの骨に小さなひび割れが確認された。
医者は、「よくこんな状態で、何時間も歩けたものだ」と、感心すると同時に呆れ返っていたが、「気合です!」と言った俺の言葉を信じている様子だった。
さらに俺は手足のひどい凍傷にかかり、しばらく病院に入院した。でも、凍傷に関しては左足の人差し指の第一関節と中指の第二関節、それと右足の薬指の第二関節から先を失っただけだった。あとの指も全部変色して水ぶくれみたいのができていたが、なんとか切り落とさずに済んだ。なにより救助隊員たちのおかげだ。それでも、残りの指が治るまでは、俺はずいぶんと苦しんだ。
退院後、ようやく職場に復帰した時、俺は職場のみんなにお詫びとお礼を言い、会社の人たちもとても喜んでくれたが、社内の誰にも彼女の〈存在〉のことは話さなかった。
信じてもらえるとは思わなかったし、なんとなく話さないほうがいいような、そんな気がしたからだ。
志織も、もしかしたら自分の「声」について、こんな気持ちだったのだろうか。いや、恐らくまったく違うだろうなと思った。
とはいえ、俺は少しだけ志織の気持ちがわかったような気がした。俺はなんだか嬉しかった。
後日、山岳救助隊員へお礼の挨拶に出向いた時、彼らに聞いた話によれば、俺が「市丸沢の頭」だと思っていたところは、やはりひとつ手前の小ピーク、彼らが「ニセの頭」と密かに呼ぶ場所だったそうだ。かつて何人か、やはり雪が積もっている時期に、俺と同じように勘違いをして道に迷った登山者がいたらしい。
それに俺が歩いていた尾根は三条尾根よりもだいぶ傾斜がなだらかで、森林限界に達するまでの距離が長かった。だから樹林帯が見えなかったのだ。
しかし、すべては強風で地図を失ったこと、それと俺の浅はかな思い込みのせいだった。
救助隊員から聞いたところ、俺が雪庇を踏み抜いて滑落した場所から熊沢谷避難小屋まで、単独でそれもロープなしでたどり着くことは、俺のような一般の登山者にとって、ほとんど不可能に近かったそうだ。特にスノーブリッジのところ。あそこさえ突破できるのなら、俺が歩いたルートは、ほぼ最短距離のルートだったと言っていた。
彼らは俺のルートファインディング(登攀ルートを見つけること)や雪山登攀技術を褒めてくれたが、俺は正直に彼女の〈存在〉のことを彼らに話した。
信じてもらえるとは思わなかったが、きちんと話をしなければ、百戦錬磨の山での経験を持ち、あれだけの猛吹雪の中で俺を助けに来てくれた彼らに対して失礼になると思ったからだ。
すると意外にも、どの隊員も俺の話について疑いの声を上げなかった。
俺は最初不思議に思ったが、特に屈強そうな身体をしたある一人の隊員が、自分も山でのそういった話をいくつか聞いたことがあると言って、話を聞かせてくれた。
ある人は数年前に病気で亡くなった妹さんの〈存在〉を感じ、また、ある人は自分たちの近くにいた〈存在〉は、前日滑落して死んだはずの、山登りのパーティの一人ではないかと思ったそうだ。
どちらも怖いという恐怖感はなく、どちらかと言えば、それらを当たり前の〈存在〉と受け止めていたそうである。彼らは〈存在〉に励まされながら、非常に困難な状況から無事生還できたそうだ。
そうか、俺以外にもあんな不思議な体験をした人がいたのか。
それからまた数年経ったある日、俺は会社帰りに立ち寄った本屋で、ある一冊の本を見つけた。
ジョン・ガイガー著、伊豆原弓/訳の『奇跡の生還へ導く人』という本だ。
『極限状況の「サードマン現象」』との副題がついた本には、俺が経験したような話が驚くほどいくつも記載されてあり、その中では何人もの人々が体験した不可思議な現象に対する、脳科学、精神医学、あるいは宗教学の研究を踏まえた分析も書かれていた。非常に興味深い本だった。
俺は、『奇跡の生還へ導く人』を読み進めるうち、あることに気が付いた。それがどうしても気になって、とうとう頭から離れなくなってしまった。
本に書かれている内容によれば、〈存在〉については、誰かわからない、あるいは知らない人と感じる場合が多い。
だが〈存在〉が誰であるか、なんとなく知っている人と感じた時、あるいははっきりと誰だとわかった時、そのほとんどがすでに亡くなった人であったことだ。
どういうことだ。もしかして志織は死んだのか?
冗談じゃない! そんなことがあってたまるか!
『奇跡の生還へ導く人』という本には、〈存在〉が生きている人だった事例も僅か二人の証言ではあるが簡単に書かれてあった。それは微かな救いだったが、不安はぬぐい切れなかった。
俺はそれらの短い話だけでは、志織が生きているという根拠とするには弱いと思わざるを得なかった。彼らの証言では、それぞれ生きている人らしい自分の妻の〈存在〉と会話はしても、妻の姿を見たとは書かれていなかった。人の姿を見たという話も、一人の証言者が長期間独房に拘束されている時に古い親友の〈存在〉を「見た」と、ただ単に書かれてあるだけで、その親友が生きている人なのかもはっきりしておらず、おまけに証言者は独房で長時間目隠しをされていたとも書かれており、俺には拘禁反応による、ただの妄想のようにも感じられた。二人の証言はどちらも俺が体験したものとは大きく違うような気がして、ひどく物足りなかったのだ。
もちろん、『奇跡の生還へ導く人』の中では、俺が体験したような不思議な現象が神様や幽霊が差し出した救いの手のようなものではなく、脳科学、精神科学的なものであろうと書かれてあった。恐らくかつて俺が志織に話したように、あれは俺の脳が俺に見せたものだろう。
けれど、本当にそうなのか。それにしては、あまりにも志織の〈存在〉は実感があり過ぎた。
それに俺の脳が見せたものなら、なぜ、俺の知らない避難小屋までの最短ルートを知っていたのか。自分ではよくわからなくなってしまった。
俺はもっと他の事例を知るべきだと思った。俺と同じように〈存在の気配〉を感じ、その声を聞き、確かに姿を見たという〈存在〉が生きている人であれば、それもその証言が複数あればあるだけ、志織が生きている確率が高くなると考えたのだ。
俺は必死になって、俺と同じような体験をした人で、なおかつその〈存在〉が、生きていた人であった事例の文献を探し求めた。探さずにはいられなかった。
外国のサイトも探した。俺は懸命に、いくつもの記事を自分で翻訳してきた。あんなに英語の文章と英和辞書を読んだことは、恐らく自分の大学受験の時でさえなかったことだ。
しかしいくら探しても、俺が求めるような記事は見つけられなかった。サードマン現象の体験者による、自分の家族や知人の姿を見たという証言は少なく、例えあったとしても、それらはすべてすでに死んだ人についての話ばかりだった。
それでも懸命に探していたある日、英語で書かれていたインターネットの記事の中で、俺はあるひとつの事例を見つけた。
それはアメリカに住む一人の探検家が奥深い山の中で滑落し、なんとか一命はとりとめたものの、ひどい大怪我をし、しかも自分が置かれてしまった脱出困難な状況に絶望しかけた時の話だ。
その時、俺と同じように探検家のそばで励まし、進むべき方向を教えてくれた〈存在〉があったという体験談だった。
彼が言う〈存在〉とは、当時、軽い病気で病院に入院しているはずの自分の妻であった。はっきりと妻の姿を見たと書かれてあった。
探検家が〈存在〉と共に行動していた時間は昼間であったにもかかわらず、病院のベッドの上で妻はずっと眠っていたという。夫から話を聞いても、当の妻は、自分はなにも覚えていないと話したらしい。
その記事を読んだ時、俺は志織が生きていることを確信した。もちろん確定的な根拠ではないが、それは探検家が語ったエピソードの中にあった。
探検家は出発する直前、「私を放っておいて、山へ行っちゃうの」と自分を非難する妻と、ちょっとした諍いを起こしていた。
彼は今まで登頂した人が一人しかいないといわれる、ほぼ垂直に切り立った岩峰を登攀中に滑落してしまい、奇跡的に命は助かったが、両足と左腕に大怪我をしてしまった。しかも、ちょっと重心をずらしただけで墜落しそうな、不安定な岩場に取り残されてしまい、生き延びることさえ絶望的な状況の中で、もう自分は妻とは二度と会うことができない、と嘆き悲しんだ。
なにより彼は奥さんとけんかをし、仲直りをしないまま出かけてしまったことを、ひどく後悔していたのだ。
彼は〈存在〉のアドバイスによって、近くに落ちていた拳大の石を、自分が乗っている岩と隣の岩の間の微妙な位置に挟み込むことで、かろうじて岩場を安定させてからその場を脱出した。
その後、ケガの痛みに耐えてなんとか安全な場所にたどり着いた時に、彼は目の前に見える妻の〈存在〉に、心を込めて「俺は君のことを愛している。君は俺のことを愛してくれているかい?」と尋ねた。
探検家の問いかけに対し、妻の〈存在〉は微笑んでゆっくりと頷いてくれた、と書かれてあった。
〈存在〉がちゃんと生きている人で、その姿を見たという事例はこのひとつしか発見できなかったが、俺にはもうそれで十分だった。
俺は夢想する。
俺にいつか、ある日突然こんな日が来ると。それはきっと寒い日だと思う。
ある見知らぬ街角で、俺は一人の女性とぶつかってしまう。
俺と、すでに顔見知りの彼女との間には、こういう会話が続く。
「ぶつかったお詫びにお茶でもごちそうします」
「そうですね。今日は寒いし、なにか温かいものでも飲みたいですね」
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ここまで読んでいただき、ありがとうございます。