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今までの人生211(私のうつ病と母の体調第2章1)

95/58/67

最近また血圧が低いなぁ・・・

と、思いながら
寝る準備をし
母が寝付いたのを確認してから
noteを書く実家訪問生活。

明日も朝から慌ただしいだろう。

熟睡時間が少しでも長くなりますように・・・
と、テレビを消して目を瞑る。

股関節と肩が痛くて
何度も中途覚醒する


熟睡時間18分の朝6時起きだった。

今日は母の膝関節痛の検査
オペできるかの診察の日。

1時間に一本しかないバスに乗り
予約時間より1時間強早く病院に着く予定。
朝から天気は曇天。

うつ病が回復期にある私だから
付き添いもできるが
私がいなかったら母はどうしているのだろか・・・

父が亡くなった時に
うつ病MAXで何もしてあげられなかった私は
周りの出来る限りの人に
できる範囲のことはしてあげようと
心に決めている。

うつ病も回復してきているのを
自分でも感じるが

私がいなかったらお母はどうするの?

以前は何回か聞いて
揉めてイライラして・・・

を繰り返していたので
母に聞かなくなったが
内心はいつも思っている。

私も今は自分の体の痛みと
うつ病回復に時間を費やし
社会復帰
をしたいが

時間が解決。

と、言われてるのもあるし
やはり今度は膝関節のオペを控えるであろう
耳の遠くなってきている母を
1人で行かせるのも心配だ

普通の声の会話で意思疎通が出来ないと
声がどんどん大きくなり
何度も言い直しする。

何度も聞かれ
声がその度大きくなると
母もイライラしてくる。

前はそれでよく喧嘩し
泣きながら姉弟LINEに長文を送ったこともある。

私は優しくないのだろう・・・

心臓も
今回の膝も
耳も・・・

何年も前から
何回も言い続けて来て
大丈夫だからほっといてと怒鳴られ
喧嘩し
何回も繰り返して
説得した。

通院するまで数年前。
オペの決意をするのに数年。

子供に世話にはなりたくない!

と言うが
隔週で訪問している私に
世話になってる意識は無いのか?!

これも飲み込み
病院に向かった。

受付で言われることも
診察で聞かれることも
1回で聞き取れず
私が通訳のように母に伝える。

そのために母も私に付き添って欲しいのは
わかっている。

先生も言い直しが多くなり

すいません。
母は少し耳が遠いので・・・

母の前で
先生にも看護師にも伝えた。

ウンウンと先生は頷き
だから娘さんが付き添いなんだね!
偉いね!
あ母さん娘さんに感謝ですね。

と言われ

はい そうなんです!
もう助かってます・・・

本心かねぇ・・・
と、思う気持ちを飲み込み

私の通院日や
母の内科の通院日とも照らし合わせ

オペ事前検査日と
オペ日が決まった。

やっとか・・・

2人ともクタクタになって
病院を後にした。


今日はここまで


毎日熟睡出来なくて
しんどい実家訪問中
それでも私はガンバって
生きている!
ご飯支度と湿布を貼ってくれる
母に感謝している。


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(てみ)T3_Style
30代後半でうつ病になり、 病気になった原因や、 51歳を機に第二の人生を歩もうと未来を望むことを決めた、 これからのことを綴っていきたいと思います。