グッと引き寄せる・パッと離す-書評を評論する-
グッと引き寄せる・パッと離す
魅力的な書評に必要な要素は、大きく分けて①評者が自分の専門に本の内容をグッと引き寄せて自分なりの視点で語ること、②読者に驚きまたは共感を与え、評の長さに関係なく「この本が読みたい」と思わせ、その入り口へパッと離す力があることの2つだと思う。
この課題をするにあたり、結構な量の書評に触れたが、大抵が本の要約とその本が社会に対してどういった立ち位置なのかの確認に終始していた。その中で目にとまったのが、ニュートリノ天文学専攻で千葉大学教授の石原安野(いしはら・あや)さんの書評である。全体を通してみると、その専門性から書評は理系によった本を扱うことが多いと感じた。彼女の書評は一見とっつきづらいような専門性を帯びた本を、私たちの驚きと共感を呼び起こしながら、「読みたい」という気持ちにさせてくれる。特に私の考える魅力的な書評に必要な要素が適切に散りばめられていると思ったのが以下の書評である。
書評委員:石原安野(いしはら・あや) 好書好日(https://book.asahi.com/article/14906391 )
「こころを旅する数学」書評 なんとなく考えると何かを感じる
数学も、私の専門である物理学と同様、好き嫌いが大きく分かれる学問である。「私は数学が苦手なんです」とまず初めに宣言をして、近寄らせまいと防御線を張る方も多い。デカルトは、「数学における主な障害は心理的な拒絶反応である」と示したという。一度考えてほしい。あなたがキライなのは数学という学問ではなく、なぜか「実際には理解できていないのに、自分はそれを理解している」ふりをしないと屈辱を感じる、そのことなのではないだろうか。それでは確かに、数学を好きにはなれまい。
人間は赤ん坊のころから多くのブレークスルーを起こしながら能力を向上させる。ハイハイができ、歩けるようになることは、身体の運動であると同時に、世界の見方が大きく変わる脳の再構成も伴う。数学的直観も、失敗を繰り返したのちたどり着く、ものの見方の転換であり、脳の再構成である。例えば、形合わせパズルが初めてできるようになったとき。数学的直観は「形」という概念をもたらした。そこに、著者は数学が得意になるためのヒントを見出す。
数学を好きになるには心理的な障害を取っ払うことだ。それには、成長期の子供のようにふるまうのが良い。自分にはできないという恐れは忘れ、できるかできないかわからないけれど何となく試したり、思い浮かんだくだらない質問を遠慮せず投げかけたりしてみる。効率など考えない。本書は、子供を数学嫌いにしないための示唆に満ちている。「転倒を恐れることと歩行を恐れることは同一」なのだ。
数学好きに必要なのは、わからないことを楽しむ心だ。例えば、「無限」について。何となく考えているとそのうちに何かを感じる。そのイメージを文章化するのは、たとえ数学者であっても難しいのであるが、まずは直観の世界へ。本書を片手に一歩踏み出してみるのは如何だろうか。
この書評の構成は、一般論と評者なりの問題提起、問題提起に繋がる本の内容①と②、締めの4段落である。最初の一般論は多くの人が共感する「数学嫌い」というテーマだ。これは自分が好きでも嫌いでも、誰もが具体的なイメージを持って共感できるだろう。ここでは物理学専攻であることにも軽く触れ、自分が何をしている人間なのかをほのかに滲ませている。加えて、「本当は数学が嫌いなのではなく、別のことに原因があるんじゃないの?」という持論を提起し、つかみを作っている。そこから2、3段落で続くのは、持論を裏付けていきそうな本の内容である。「数学が嫌いだと思ってたけど、そうじゃないのかも……?」という驚きを与え、それを2段落に渡って畳み掛けることで本への興味を増幅させていくのだ。最後の段落では、ここまで内容の一部を覗いた読者がグッとくるキーワード(「わからないことを楽しむ心」「まずは直感の世界へ」など)を散りばめている。
石原安野(いしはら・あや)さんの書評は、構成は比較的シンプルで読みやすく、されど読者をグッと引き寄せる言葉のパワーがある。そして最後には、本の前でパッと手を離され、「読みたい」という気持ちを持った私たちがそこに残るだけだ。
魅力的な書評は、グッと引き寄せる・パッと離す力を持つものであると思う。
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