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私が100歳になったら

なんと、そのころ娘は74歳だ。孫も47歳だ。

ちょうど成人するひ孫もひょっとしたらいるかもしれない。ふと、そう思いついて笑ってしまったのだが、そんな娘や孫の姿はまったく想像ができない。

それはとにかく、京都の私の自宅の近所にある左京西部いきいき市民活動センターで「わたしが100歳になったらインタビューの展示会」が開かれているということだ。今、単身赴任で新横浜にいるので、すぐに行くことができないのだが、3月29日まで展示しているということだから、3月末ごろに帰省したら覗くことができるだろう。

さて、わたしが100歳になったら、どんなだろう。今から46年後だ。50代も半ばの今の私が、子供のころの私からまったく成長していないように感じるように、まだまだ甘ちゃんのままの100歳になっているのだろうか。少しは成長した自分になっているだろうか。

身体も頭も今より動かなくなっているだろうし、経済面も心配だ。自分の健康もそうだが、妻の健康だって心配だ。これから約半世紀といったら、大きな自然災害が1つや2つあってもおかしくない。世界情勢も大きく変化してくだろうし、テクノロジーが進化すれば社会も大きく変容していくことだろう。

だから、そんな世の中を渡っていくためには、マネジメントを学び身につけることは大事だし、今年からは、一般常識として政治経済の話もすぐに理解できて語れるようになりたいと思い、安全保障の本やアメリカや中国の歴史も入門書から読み始めている。通信、A.I.、バイオ、もちろん最新のテクノロジーに触れていなければならない。

そして、今、「日曜哲学愛好家」と気取って、カントだ、プラトンだ、ゲーデルだ、キリスト教だ、仏教だ、と今更だけれども興味のおもむくまま読書をして、それほど頻繁ではないけれど、note に考えたところを投稿している。また、大学のときにサボっていたためにまったく身についていない初等の数学や物理もかじったりして、すぐに挫折したりしている。

さて、私が100歳になったときに47歳になっているはずの孫娘の1歳の誕生日は3月14日で世界的に円周率の日だ。

実は今、その日に向けてあらためて無理数と超越数についての本を読んでいる。πは無理数であるばかりでなく超越数である。

西岡久美子著「超越数とはないか」。読み始めたばかりだが、この本は面白い。そっけなく論理記号や数式を使い、定理ー証明の連続で話を簡潔に進めるのもいい。証明は背理法が多いので、それぞれの節が「○○は△△です。なぜなら・・・・・矛盾するからです。」といった感じになるのもジワっとくる。

読者に媚びることのないそっけなく無駄のない文章が魅力的だ。

よく話題になるのが円周率πの小数展開で、コンピュータで何兆桁も計算されています.いろいろな技術計算において必要になるのはたかだか数桁であるにもかかわらず、昔から何桁も計算されてきているので、純粋に計算することが目的なのでしょう.最近の計算はコンピューターの性能チェックのためでもあるのかもしれません.(p.13)

ニヤけてしまったところを、もう一か所引用しておこう。

πが超越数であることの証明は実用上はまったく意味がないかもしれませんが、人々の心に平安を与えてくれます.(p.16)

みなさんも、円周率の日・3月14日に向けて読んでみてはいかがかと思う。

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知らないことがたくさんあるのはよいことだ。学んでも学んでも人類の叡智を汲み尽くすことはできないし、新しい知識の地平も広がっていくことだろう。100歳になったとしても、どんなことがあっても、知らないこと新しいことがあれば、常に心を開いて楽しんで学び、面白おかしく語れる、そんな人でありたいと思う。




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