多極化する世界:P.K. ディック「シミュラクラ」
先週 note の更新をしようと思っていたけれども、できなかった。COVID-19 後の世界に想いをはせていたら、本棚にあったP.K.ディックの「シミュラクラ」が目について、読みふけってしまったからだ。相変わらず時間の管理がうまくない。
※私が手元に持っているのは1986年出版のサンリオSF文庫版だ。サンリオSF文庫はカバーのイラストが大好きだが1987年に惜しまれつつ終刊となった。装丁が異なるのは残念だが、今は早川から入手できる。
なぜ目についたのか、本のカバーの裏側に書かれているあらすじを引用してみよう。
私は、そのとき、COVID-19をうまく終息させることのできた国・中国・韓国・日本を中心にしたアジア圏と、終息ができなかった国・米欧とに大きく二極化されるかもしれない、なんとなくそんなふうにぼんやり考えていたからだ。
読みふけるといっても、最初のページから通しではなく、目についたところを読み返しては、本の中を前に後ろに行ったり来たりしていた。この物語は非常に奇妙なもので、複数のプロットが複雑にからみあい、起承転結というものがそもそもなく、物語の最後も中途半端で尻切れトンボだ。しかし、夜が更けていってもどうしても、本を閉じることができず、読みふけってしまう、そんな魅力がある。
もう一つ、カバーのあらすじから引用してみよう。
国民投票で選ばれる大統領のデル・アルテは、実際は精巧なシミュラクラ(機械)でしかない。そして、若く美しいファーストレディ、ニコル。彼女はすでにファーストレディとしての地位に73年もいるのだ。それなのに、TVで見る彼女は魅力的で若々しく20歳そこそこにしか見えない。しかも、実体の彼女は、髪の輝き、肌のデリケートな色つや、そして輝き、活力、知性、TVで見る以上に美しく魅力的なのだ。
不意に実物と入れ替わる偽物、そして、偽物の実物。登場人物によって使われる時間移送機や、ストーリーのキーを握る念動力者であるピアニストのリヒャルト・コングロシアンの力により、現実の虚実はさらに曖昧にして混乱し矛盾に満ちたものになり、ストーリーですら容易に見極めることができない。
フォンレシンガー装置に関して詳しく説明はされていない。それは時間を自由に行き来できる装置のようだ。そして起こるかもしれない、あるいは起こったかもしれない様々なパラレルワールドを調べることもできるらしい。
ゴルツはニコルの命令により射殺される寸前にフォンレシンガー装置によって未来に飛ぶ。
私たちの未来には、私たちのわからない様々な力が作用し、念動力のような強力なしかも理解できない力の作用によって、未来の構造はねじ曲がり、そして、見ている未来に対しても「これは幻覚なのか」と感じてしまうのだ。
しかし、このように「シミュラクラ」の世界は異様で矛盾に満ちた理解しがたい世界ではあるけれども、ふと気が付くことだろう。
それは私たちが住んでいるこの世界そのものなのだ。
今、COVID-19関連の様々な情報に囲まれている。私たちは、様々な人たちがその人たちそれぞれのフィルタを通して見た様々な「現実」、そしてそれぞれのフィルタを通して見る様々な「想定される未来」に囲まれている。それぞれ、私の考える世界こそが正しい、世界はこうであるはず、世界はこうでなければならない、とお互いを主張してやまない。
私たちは今、どこに生きていて、どんな世界に生きることになるのだろうか。。それぞれは、あたかも、未来や過去から侵入してくるパラレルワールドだ。何を信じたらいいのだろうか。
まず、だれかの言っていることをそのまま鵜呑みにしないこと。たいていはどこかその人の立場やアイディアによって編集され、時には事実が捻じ曲げられている。そして様々な欲望が裏にある。
次に、そのような様々な情報はクロスチェックしなるべく信頼できる一次情報にあたること。そのうえでわかっていることとわかっていないことを区別して自分の頭で考えること。
全部が完璧にわかっているということはない。また、すべてわけがわからないということもない。そのような中途半端な状況になれることも大事だ。
一番大事なのは、地に足をつけて、しっかりと自分の目で、周りで起こっていること、今まで起こってきたこと、それらをよく観察することだ。
それだけでも世界はだいぶん違って見えることだろう。
ー他人が保証する現実など幻にすぎない。目覚めるがよい。
■関連する過去記事