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Paul Simon: "Graceland" #1
ポール・サイモンの長いキャリアの中で、大きな転機となったアルバムはこの "Graceland" をおいて他にないだろう。"Graceland" は私が改めて言うまでもなく、ポールサイモンの個人のキャリアの中での金字塔であるだけでなく、世界への影響という点でも意義深い、素晴らしいアルバムだ。
南アフリカの黒人ミュージシャン達とともに作られたアルバムだ。当時、まだ南アフリカはアパルトヘイト下だった。そのためもあるし、ワールドミュージックというジャンルがまだ出来る前だったこともあり、ほとんどの人にはその音は知られておらず、素朴でかつ新しい音に皆が驚き大きな称賛を受けた。また一方ではアメリカのポップ・スターが、巨大な資本をバックに民俗音楽を搾取して、不当な名声と利益を独り占めにする、という厳しい批判にもさらされた。また、西側諸国が南アフリカを制裁しアパルトヘイトを撤廃させようと努力している中で、このような活動は時の政府を利するものだと大きな批判も受け、政治的にも大きな問題にもなった。
逆に、これらの議論が巻き起こることで世界のポピュラー音楽ファンが世界の音楽を聴くようになりワールド・ミュージック・ブームの先駆けになったし、また一方で、南アフリカのアパルトハイト撤廃への動きに少なからず寄与したことになったのではないかと思う。
南アフリカのミュージシャン達がポール・サイモンを支持したことが大きかった。それはこのアルバムに関する全ての議論を前向きな方向で収束させた。そしてポール・サイモンのその後のキャリアを開くことになったと思う。
まずは曲を紹介しよう。どの曲も素晴らしい。
アルバムは、アコーディオンの不穏なリフから幕を開ける。ドラムスが響き、フレットレスベースが加わる。太いベースの音がよく歌っていて、ドラムスの音が時に爆弾のようだ。要所で入るシンセサイザの音やポールサイモン自身のコーラスがシンプルな音作りを引き締める。
It was a slow day
And the sun was beating
On the soldiers by the side of the road
There was a bright light
A shattering of shop windows
The bomb in the baby carriage
Was wired to the radio
いつものけだるい一日だった
道端にたむろする兵士たちに
日差しが容赦なく照り付けていた
突然の眩しい光
商店の窓ガラスが粉々に砕け散る
ベビーカーに仕掛けられた爆弾は
無線で繋がっていたのだ
私なりの訳
オープニングの "The Boy in the Bubble"、この曲の魅力を語りつくすことは難しい。
まず歌詞がいい。発達した科学技術、紛争の絶えない世界、現代社会は私達にとって理解を超越した "these are the days of miracle and wonder" であると歌い、直接なメッセージではなく象徴的な場面と道具立てで詩を組みたてている。
I believe
These are the days of lasers in the jungle
Lasers in the jungle somewhere
Staccato signals of constant information
A loose affiliation of millionaires
And billionaires and baby
These are the days of miracle and wonder
This is the long distance call
The way the camera follows us in slo-mo
The way we look to us all
The way we look to a distant constellation
That's dying in a corner of the sky
These are the days of miracle and wonder
And don't cry baby, don't cry
Don't Cry
音作りはシンプルでどちらかというとそっけないが、骨が通って固い感触で、決して楽しいとは言えない歌詞にぴったり合っている。南アフリカのヨハネスブルグでレコーディングされたものに、アメリカNYでギター・シンセサイザとシンセサイザ、自身のギターとバックグランドボーカルとを加えて作られている。
2曲目は Graceland, アルバムのタイトルトラックで、一転して滑らかなギターと軽快なドラムスと電子音のパーカッションとコーラスがキラキラ光る川の流れを見ているようだ。このアルバムの中では一番南アフリカっぽくない一曲だが、The Boy in the Bubble と同じく南アフリカのヨハネスブルグでレコーディングされて、ボーカルとバックグランドボーカルをアメリカの LA で加えている。
歌い出しが印象的だ。
The Mississippi Delta was shining
Like a National guitar
a National guitar というとあまり馴染みがない方が多いかもしれない。リゾネータギターのメーカーで金属の共鳴胴を持つ製品が有名だ。そんな銀色に輝くギターのように川面が輝いているという表現だが、ここでもポール・サイモンのお家芸ともいえる固有名詞を使った詩作の手法を見ることができる。
失われてしまった恋愛、自分の心の故郷を訪ねる旅、そんなテーマが流れている。
She comes back to tell me she's gone
As if didn't know that
As if I didn't know my own bed
As if I'd never noticed
The way she brushed her hair from her forehead
And she said losing love
Is like a window in your heart
Everybody sees you're blown apart
Everybody sees the wind blow
3曲目の "I Know What I Know" は南アフリカのシャンガーン(ツォンガ)人のグループ M.D. Shirinda and the Gaza Sisters のアルバムからの一曲ということだ。
ポール・サイモン自身によるライナーには次のようにある。
As more and more Shangaan people have migrated to Johannesburg, their music has grown increasingly popular, and several Shangaan records have recently become hits. An unusual style of guitar playing and the distinctive sound of the women's voices were what attracted me to this group in the first place.
シャンガーンのポップスの特徴のギターの演奏スタイルと女性のバックコーラスが魅力的だということで、ヨハネスブルグで録音され、アメリカNYでポール・サイモンによるシンクラヴィアの音が加えられている。
4曲目は Gumboots 、こちらは、南アフリカのグループ The Boyoyo Boys とのセッションレコーディングだ。
GUMBOOTS, the track I first fell in love with, is the term used to describe the type of music favored by miners and railroad workers in South Africa. The term refers to the heavy boots they wear on a job.
このライナーによれば、ソウェトで流行していた "Township Jive" もしくは "Mbaqanga"と呼ばれる street music ということで、1984年の夏にポール・サイモンが南アフリカのポップスに虜になるきっかけになった曲だということだ。
Township Jive の上でポール・サイモンが英語歌詞をつけて歌っているという風だが、見事にポール・サイモンの歌になっている。この歌はオリジナルのバンドの演奏に、ソプラノとアルトのサックスを加えてヨハネスブルグで録音、アメリカNYでポール・サイモンによるシンクラヴィア、パーカッションとバックグランドコーラスを加えている。
5曲目はチャーミングな "Diamonds on the Soles of Her Shoes"、南アフリカのジョセフ・シャバララが率いる男性コーラスグループのレディ・スミス・ブラックマンバーゾと歌う一曲だ。
曲のビートや構成は Township Jive で、南アフリカから、Ray Phili (g), Baghiti Khumalo(b), Isaac Mtshali (ds)の3人をアメリカに呼んで、NYでレコーディングされた。パーカッションにセネガルの有名なシンガー・ソングライターのユッスー・ンドゥールを迎えているのも目を引く。パーカッションはユッスー・ンドゥールと彼のバンドのメンバー2人の演奏をオーバーダブしたということだ。
She's a rich girl
She don't try to hide it
Diamonds on the soles of her shoes
He's a poor boy
Empty as a pocket
Empty as a pocket with nothing to lose
次の曲は、軽快なホーンでスタートする "You Can Call Me Al"。歌詞は中年の危機がテーマだが、歌いっぷりといい歌詞といいとぼけた感じで軽快に歌い、間奏の口笛やバックコーラス、要所に入るパーカッションも軽くていい。懐かしく新しいサウンドだ。
ビデオクリップはアメリカのコメディアン,、チェビー・チェイス(Chevy Chase)がポール・サイモンに代わって口パクで歌うなかなか面白い作りで見ごたえがある。
シングルカットされたこの曲の聴きどころの一つは、曲の最後の2小節の高速ベースソロだろう。一部音楽ファンの間、特にベーシスト界隈に大きな衝撃を与え、この曲は広く知られることとなり、実際にヒットした。全米billboad では 23位だが、イギリスやヨーロッパを中心にチャートでtop10に入っていたようだ。
NYのThe Hit FactoryスタジオでBaghiti Khumalo (バギティ・クマロ) がベースソロを試行錯誤して作っていたときのことだった。ランチタイムの休憩時にレコーディングエンジニアが残ってあれこれ工夫したらしい。そして皆が休憩から戻ったときに、「どうだい、こうすると面白いぜ?」と得意満面でテープを逆回しにして聴かせたそうだ。こうして、この2小節のベースのソロが決まったという。
続く7曲めは、"Under African Skies"。 ギターのフレーズ、リンダ・ロンシュタットとのデュエットも美しく響き、シンセサイザも効果的に使われていて、まさに南半球の星空の下を一人でゆっくり歩いているような雰囲気だ。
Joseph's face was black as night
The pale yellow moon shone in his eyes.
His path was marked
By the stars in the Southern Hemisphere
And he walked his days
Under African Skies.
この曲も"Diamonds on the Soles of Her Shoes," "You Can Call Me Al" と同じメンバーによるNYでのレコーディングに、リンダ・ロンシュタットとのボーカルをLAでレコーディングしている。
南アフリカの女性ボーカル、ミリアムマケバとのデュエットで1987年のコンサートの音源を貼っておこう。
続く8曲目の "Homeless" はアカペラコーラスの一曲で、このアルバムのハイライトの一つだ。
ジョセフ・シャバララが率いる男性コーラスグループのレディ・スミス・ブラックマンバーゾ (レディスミス・ブラック・マンバーゾ - Wikipedia)との共作だ。事前に骨となるメロディと英語の歌詞のデモテープをポール・サイモンからレディ・スミス・ブラックマンバーゾに送り、これをモディファイしつつズールー語の歌詞もつけ、そして、ロンドンのアビーロードスタジオでお互いにアイディアを出し合って曲全体を仕上げて録音したとのことだ。
9曲目は "Crazy Love Vol. II"、ギタリストのレイ・フィリが率いる南アフリカのバンド Stimela の演奏にポール・サイモンの歌を載せたつくりだが、レイ・フィリの演奏は、ソウェトというよりマラウィとジンバブエを思わせる演奏ということだ。
Fat Charlie the Archangel 私と彼女のうまくいかなかった結婚を歌う謎めいた詩だが、"I don' t want no part of this crazy love, I don' t want no part of your love" と繰り返し歌われるのが耳に残る。
アコーディオンと素朴なリズムセクションが楽しい南アフリカの音楽は、アメリカ南部のテックス・メックスの音楽、ザディコにつながった。最後の2曲は、The Good Rockin' Dopsie and The Twisters との共演で "That Was Your Mother"と、ロス・ロボスとの "All Around the World or The Myth of Fingerprints" が収録されている。
この2曲とも歌詞は愛らしく楽しい演奏の2曲で大好きな曲だが、ロス・ロボスの間では禍根を残した。Los Lobos のメンバーの Steve Berlin のインタビューを読むとポール・サイモンの態度はひどいなという印象だ。
これまでにも軽く指摘してきたが、スカボローフェア、コンドルは飛んでいく、母と子の愛のように、などの楽曲も同じような問題が垣間見られ、「ミュージックマガジン」の中村とうようにはけちょんけちょんにけなされて蛇蝎のごとく嫌われ、中村とうようのファンでもあった私は非常に複雑な思いでいた。
それでも南アフリカのミュージシャンからは支持を受けた。
テックスメックスの2曲以外の9曲を聴いていると、南アフリカのバンド Stimela を率いるギターのレイ・フィリが音楽監督のように機能していたように思える。"The African Concert" で、帽子とシャツがいなせな細身で長身のギタリストがレイ・フィリだ。
何か事情があったのだろう、レイ・フィリはその後しばらくすると姿をみなくなる。すばらしいギタリストなので残念だ。
また、ベースの太い音が新しく特徴的だ。このアルバムのヒットにベーシストの バギティ・クマロ (Baghiti Khumalo) が果たした役割は大きい。上述の "You Can Call Me Al" での世界を震撼させた2小節ソロの他、アルバム全体の音の調子をレイ・フィルのギターとともに支配していると思う。そしてバギティ・クマロ はその後のポール・サイモンのライブのバックバンドのメンバーの欠くことのできないピースとなった。
また、レディ・スミス・ブラックマンバーゾやミリアム・マケバなど、その他の南アフリカのミュージシャンとは、その後も長く交流が続いたようでライブでの共演も楽しそうだ。
結果、Glacelandは、1987年と1988年の2年連続でグラミーを受賞した。同じ作品で2年連続での受賞というのは他にはないし、アコーディオンがメインで参加しているアルバムでグラミーを獲得したのはこの Graceland が初めてだったと記憶している。そして、これまでに 1600万枚以上のセールスを記録しているという。2018年には 30 周年記念盤として Remix 版がリリースされている。
こうして、ポール・サイモンは自身の1980年前半の苦しい時期を乗り越えることができた。そして、なによりも、その後も続く音楽活動を長く支える友をこのアルバムによって得たのだった。
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Graceland にはポール・サイモンの他のアルバムと同様に何人ものゲストミュージシャンが参加している。そのことは次回に譲ろう。
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Paul Simon の記事は、3週間に一度程度の頻度でアルバムごとに思いのたけを綴っていく予定だ。おそらく多くの記事が軽く5000文字超、しかもそれでも語り足りない、そんな個人的な記事になるはずである。
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