アヌーシュカ・シャンカール:Anoushka Shankar "Stolen Moments"
シタール奏者のアヌーシュカ・シャンカールが新しいシングル、"Stolen Moments" をリリースした。
"Chapter I: Forever, For Now" の1曲目ということで、パキスタン出身の女性シンガーソングライターのアルージ・アフタブとのコラボレーションのようだ。内省的なサウンドとメロディで、共鳴弦がうなって持続音のハーモニーが幻想的なシタールの音でメロディがゆったりと流れ、断片的な記憶たちが流れるようによみがえるような、そんな雰囲気だ。控えめな電子楽器も背景で邪魔せずに雰囲気をうまく作っていると思う。
アルージ・アフタブとは2022年にアルージのアルバム "Udhere Na" に参加していた。このアルバムでアヌーシュカ・シャンカールが私のアンテナにひっかかったのだと思う。
これまで、アヌーシュカ・シャンカールはあまり聴いていなかったのだが、この2年ほどの間に、印象的なシングルが立て続けにリリースされているし、ライブアルバムもリリースされていて、以来、よく聴いている。
たとえば 昨年末にリリースされた"In Her Name"。
シタール特有の共鳴弦の響きが美しく、速いパッセージ連発の情熱的なフレーズとともに、ビデオクリップの踊りも迫力がある。
"What do you call the ashes of a girl if not sacred" 「彼女の遺灰をどう呼ぶだろうか、神聖でないというのなら」から始まり、"Let the wind take these embers, these ashes and build the goddess of wildfire in her name" 「風に残り火と遺灰を使わせて彼女の名のもとに野火の女神を作らせよう。」と終わる強いメッセージ。
イギリス系インド人の詩人で作家・劇作家・イラストレータというニキータ・ギルとの共演で、詩の朗読はニキータということだ。In Her Name の「彼女」とは、ちょうど10年前の2012年にデリーで起きた集団レイプ殺人事件の被害者のことだ。解説は次のサイトに詳しい。
彼女は、この事件の後に、2013年に自身が子供のころに性的虐待を受けていたと YouTube メッセージで告白し、女性への暴力を根絶しようというキャンペーンを展開している。(伝説的シタール奏者、ラヴィ・シャンカールの娘、アヌーシュカ・シャンタールが性的暴行を受けた過去を明 (elle.com))
共演といえば、今年、異母姉のノラ・ジョーンズのPod Cast "Playing Along" に出演、このシングル"Traces Of You" もなかなか聴かせた。
ノラ・ジョーンズのピアノにハスキーな魅力たっぷりの声、そしてアヌーシュカ・シャンカールのシタールが見事にブレンドされていい感じだ。
オリジナルは2013年のアルバムに収録されているタイトル曲だ。このアルバムでは他に 1曲目 ”The Sun Won’t Set" 13曲目 "Unsaid"の計3曲でノラ・ジョーンズが参加している。
ノラ・ジョーンズは1979年生まれ、アヌーシュカ・シャンカールは1981年生まれで2歳とちょっと離れている。
ノラ・ジョーンズは、離婚した母のもとでアメリカのポピュラー音楽を聴いて育ち、ジャズ・シンガーとして2002年にデビューアルバムをブルー・ノートからリリースし大ヒット、グラミー8部門で受賞。2009年までに4枚のアルバムをリリースし、どれもミリオンセールだ。ハスキーで物憂い表情の声が魅力的で私も全て購入してよく聴いた。
アヌーシュカ・シャンカールは父ラヴィ・シャンカールから8歳のころからシタールを習い、父のコンサートに10歳のころから参加し、インドの古典音楽とロックやジャズのショービジネスを吸収していったという。
つい昨日、ラヴィ・シャンカールの75歳誕生記念の公演の写真が Facebookで流れて来た。
1995年、アヌーシュカ・シャンカールはそのとき14歳、バックの左から2人目タンプーラを演奏している。ちなみに左端はタブラのザキール・フセインだ。
1998年に17歳で自身の名を冠した"Anoushka"でデビュー、2001年にはカーネギー・ホールでのコンサート・アルバムをリリース、グラミーにノミネートされた。しばらくブランクを経て2005年の "Rise" でそれまでのインド古典音楽の楽曲から離れ、これも好評でグラミーでノミネートされた。
このアルバムは、今回、この記事を書くのにあたって聴いてみて大変に気に入った。
ミステリアスな雰囲気がただようジャケットのデザインもいいし、それぞれの楽曲が粒ぞろいで音作りもバラエティに富んでいて、しかも曲の配列もいい。全般、伝統的な楽器とともに電子楽器をうまく取り入れて聴きやすい西欧のポップ・ジャズをミックスした音作りで以降のアヌーシュカの音楽の方向性がはっきりと表れているように思う。ゆったりとした1曲目の "Prayer in Passing" に身を委ねていると、2曲目 "Red Sun" 一転して疾走感のあるインドのリズムが楽しい。ボリウッドのシンガーが歌う 6曲目 "Beloved" もインドの笛もフィーチャーされ、西欧風のリズムセクションでゆったりと聴かせる。8曲目 "Voice Of The Moon"はサントゥールも入り、9曲目 "Ancient Love" と合わせてインドの音と旋律もたっぷりと聴かせる。
この間、20歳だったこの姉妹にどのような交流があったのか私はまったく知らない。しかし、2007年の "Breathing Under Water" で二人の共演が実現する。
7曲目 "Easy" だ。
このアルバムはストリングのアンサンブルも入りボーカルが全面的にフィーチャーされて、Riseをさらにポップにした感じだ。スティングと共演した曲 (4曲目 "Sea Dreamer") もある。
以降のアルバムで姉妹の共演の曲が入るようになり、上述のように最近でも続いている。故ラヴィ・シャンカールが2013年の第55回グラミー賞で生涯貢献賞を受賞した際、父親に代わって二人で賞を受け取ったとのことだ。
オランダのオーケストラをバックにした2018年のライブを収録したアルバムが2022年にリリースされたが、これもなかなかいい。
ただ、このライブのようにオーケストラがバックに入ったり、ポップスやジャズに寄ると、西欧の音階システムや曲の構造やリズムが楽曲のトーンや雰囲気を支配しがちとなるので物足りない気がしないでもない。
ときには1時間にもおよぶような古典音楽を好む向きには、一曲数分、長くても10分もいかない、綺麗にまとまっているアヌーシュカ・シャンカールの曲は少々物足りないかもしれない。
しかし、この2-3年の彼女の曲を聴いていると、また違った世界が開けてきそうに思う。
2019年の "Bright Eyes" Alev Lenz のボーカルを迎え、チェロ、パーカッションの演奏。スタジオライブのビデオ・クリップで聴ける。
2020年のアルバム Love Letters のあとのライブ、Alev Lenzに加えてボーカルやピアノ、電子パーカッションが加わり、なかなかワクワクする新しい音を聴かせる。
そして、アルージ・アフタブとのコラボはどのように作用するだろうか。
何重にも響くシタールの豊かな音は十分に魅力的だ。いろいろな人との共演を通じて様々な音楽を自らのものとして、彼女にしか作れない新しい音の世界を作っていくのではないかと思う。
■追記
多くのミュージシャンと共演が多い彼女だが、異色のところでは、2020年にのダライ・ラマのアルバム "Inner World" への参加がある。ダライラマのマントラと言葉を音楽をバックに伝えるという全11曲のアルバムで、その中の一曲にクレジットされている。
ダライ・ラマと故ツツ大主教との対話を以前に本を読んだことがあって、そのことを書いたことがあったと思ったが、少し触れただけだった。
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