円周率・その5:圏論の世界
3月14日は、世界的に円周率の日である。
このように書くのは、5度目だ。つまり、孫娘の4歳の誕生日を迎えたことになる。円周率の日に生まれたからには、将来、数学に強くなるはずである。物理学を専攻したじいじが負けるわけにはいかない。また、難しい問題に直面したときにどう対処するか、基本的な態度を身につけてほしい。そのようなことを将来に孫娘にうまく伝えたいと考えるにつけ、少しでも私自身が勉強しておこうと、毎年、この日に数学の本を読んでは note に思うところをまとめて投稿しているのだ。
今年は、円周率とは異なるトピックではあるが、少し圏論にたしなんでみよう、と単行本ではないが、雑誌の「現代思想」の2020年7月号の特集を読んでいる。
人間の認識や意識のことをつらつら考えると基礎論に触れたくなる。圏論とは「数学のための数学」と言える概念で、基礎論であり幅広く適用でき、その射程は長い。
しかし、ちょっと私にはハードルが高かった。使われる専門用語も単語も記号でさえ、あまりに馴染みがないものばかりで、手も足も出ない感じだ。もともと、記号列と言葉、言葉と述語論理、意味、意識、といったところの間の関係は圏論の枠組みで理解されるところがあるだろう、と直観的に思ったのだが、どうやらそういう単純な文学的なイメージは的がはずれていそうだ、ということがわかった。
今年の洋書一冊目で "Godel, Escher, Bach" (Amazon | Godel, Escher, Bach: An Eternal Golden Braid | Hofstadter, Douglas R | Theory of Computing)を読んでいる。圏論については、まったく触れられていないようだが、圏論がGEDの主題に繋がっているかもしれないと直観的に思ったところもあった。しかし、読み進めるにつけ、うっかり「圏論」を持ち出して何かと結びつけて語ろうと邪心するのは、まったくもって恥ずかしい話だとよくわかった。
対象そのもの及び、対象と対象との間の関係を、精密に抽象化して他の対象そのもの及びそれらの対象と対象の間の関係とを結びつけて、困難な問題を解くという考え方は大事だと思う。が、私の理解している地平の外に「圏論」という対象がある。「圏論」の議論で扱われている概念そのものとそれらの概念たちの間の関係と、私が持っている概念そのものとその概念たちの関係との間の関係とを結びつけることがまったくできずにいて、おぼろげに上記引用した万能感だけが印象に残った、そういう感じだ。
18のトピックをそれぞれの専門の先生が書いているが、それぞれ、それなりの長さがあり、力が入っている。しかし私には歯が立たなかったので冒頭の二章「討議圏論がひらく豊穣なる思考のインタラクション」、「圏論の哲学」あたりで万能感あふれる話と圏論の歴史に触れて、専門用語と単語に触ったところで、今回はよしとしておこうと思う。
数学を理解するということは、対象と対象との関係や対象と対象との同一性を抽象化して理解しようということなのではないだろうか。
いずれかわかったと思える日が来るのだろうか。
いや、十数年後には、孫娘が私にわかりやすく解説してくれて「なるほど、そういうことだったのか!」と膝を打つ、そんな日がきっと来るに違いない。
■追補
ところで、毎年のように kikko_yy さんに指摘いただいているが、3月14日は円周率の日でもあれば、ホワイトデーでもある。ホワイトデーにまつわるエピソードが私にはまったくないので、何も気の利いたことは書けないのだが、とりあえず、忘れてはいない、ということをここに記しておくことにしよう。来年は私からも甘いプレゼント、スイーツでも贈ることを考えよう。