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私という“形容詞“

『私は名詞でしょ?』
はい。まさにそれは正論であり、紛うことなき真実です。しかしながら、それでいてそれを言う人は想像力が少し不足していると言いたい。が、やはり私の言葉足らずなのでしょう。
私が言いたい“私という形容詞“とは、これを書く私(大鳳万)と、これを読むあなたが想像する「私」は全くもって違う表現にあるということです。人物そのもの、というより「私というゴール」が違う。
「私」とあなたが口ずさむ時、何を想像していますか?あなた自身を思い浮かべた時、あなたを縁取る言葉は?母親、父親、子供、大人、会社員、夢追い人…社会的な地位やポジションを並べただけでも、同じ屋根に住む人または電車で隣合う人とは全くもって違う「私」であることでしょう。加えて優しいだとか強いだとか、でも明日には意地悪で弱っている「私」かもしれない。でもそれは思った通りの「私」ではない場合、人は悩んだり苦しんだりしている。
つまり私達は「私」という不安定で未完成な形容詞を完成させようと日々踠いているのです。その踠きは時に醜く、誰にも見せられないほどに惨めであったりするでしょう。しかしその苦悩を乗り越えた人の「私」たるや、この世の何処にも二つと存在しない最上級の美や強さを表す形容詞となることでしょう。
私にいたってはまだまだ自己嫌悪の多い、また凡庸なそれです。しかし私は、そんな私がいつかこの世の何処にも変え難い、歪ながらも愛すべき形容詞となるよう、どんなに愚かで不格好な瞬間があろうとも私を殺すことを思い留まり、生かしているのです。
どうか、あなたが口ずさむ「私」が、素敵であなたの愛すべき音色を奏でますように。

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