洋楽紹介7「Sweet Home Alabama」陽気なアラバマの非公式州歌
皆様こんばんは、今回はアメリカのサザンロックバンド、Lynyrd Skynyrd(リナード・スキナード)の代表曲「Sweet Home Alabama」(スウィートホーム・アラバマ)をご紹介したいと思います。当時のアラバマ州の情勢を風刺しながらもアラバマを「Home」(故郷)と歌ったこの歌は、アラバマ州の非公式な州歌となっており、アラバマ州のみならず全米で今も高い人気を誇ります。
今回の曲も著作権・翻訳権が切れておらず、歌詞を掲載せずに歌の雰囲気や背景のみをご紹介したいと思いますのでご了承ください。それでは、先ず以下のLynyrd Skynyrd公式Youtubeチャンネルより曲を聴きながらお読みいただけたらと思います。
雰囲気
全体的に陽気で気楽な雰囲気を受けます。フランクな感じのエレキギターが続き、ときどき入るピアノは特に明るい印象を与えます。ヴォーカルのロニー・ヴァンザントのなんというかちょっと田舎っぽい歌い方がまたいいなと思います。この曲を聴いて思い浮かべる光景は、晴れた日の田舎道をドライブしている感じですね。温かい感じですが、初夏でしょうか。少し熱くなり始めた道を窓を開けて走っている感じでしょうか。
一方で歌詞は少し違った意味を持ち、曲の雰囲気とは逆でなかなかに辛口です。当時のアラバマ州の情勢とそれを歌にして書いたNeil Young(ニール・ヤング)を痛烈に批判しているものとなっています。
歴史的背景
この曲を語るにあたり、当時のアラバマを含むアメリカの歴史を語らずには始められません。
公民権運動
「Sweet home Alabama」が発表される約20年前の1955年、アラバマ州モンゴメリーにてアフリカ系のRosa Parks(ローザ・パークス)が白人の乗客に席を譲らなかった為逮捕され、町中のアフリカ系の人々がバスの利用をボイコットする「ローザ・パークス逮捕事件」が発生します。この運動の中心となって動いていたキング牧師の活動により、それ以後アラバマ州は公民権運動の最も盛んな地域の一つになります。1963年同州バーミングハムで起こった「バーミングハム運動」と1965年同州セルマで起こった「血の日曜日事件」では同州当局がアフリカ系住民のデモ活動を力でねじ伏せ、その映像が配信されたことで世界中から大きな非難をうけました。
アメリカ公民権運動のドキュメンタリー動画(日本語)を貼ります。ご興味のある方はご覧ください。
George Wallace(ジョージ・ウォレス)知事
また、当時アラバマ州知事であったGeorge Wallace(ジョージ・ウォレス)は1963年にアフリカ系の学生がアラバマ大学に入学する際に自ら道をふさいで抗議するなど、アラバマ州政府側の人種差別主義の最先鋒でした。
また、1968年には、人種差別を禁止した公民権法を廃止すべく大統領選に出馬しましたが、Richard Nixon(リチャード・ニクソン)に敗れます。その後1970年にはアラバマ州知事に復帰し、「Sweet Home Alabama」が完成した1973年にも知事を務めています。
「Sweet home Alabama」の歌詞の中に出てくる「Governer」(知事)は彼のことであり、彼に向って民衆がブーイングしている様を描いています。
余談ですが、彼はのちに人種差別政策が間違っていたことを認めました。血の日曜日事件を起こした自身の判断を深く悔やみ、アフリカ系の指導者たちに謝ったとされています。
ニール・ヤング
「Sweet home Alabama」に登場するもう一人の人名として気になるのが「Neil Young」(ニール・ヤング)だと思います。彼はカナダ出身のフォーク・ロックシンガーで、当時の南部の人種差別を批判する楽曲を多数発表しています。
今回のテーマの「Sweet home Alabama」は彼のそういった楽曲への批判の意図があり、中でも1970年発表の「Southern Man」、そして1972年発表の「Alabama」への返答として制作されたと言われています。
特に「Alabama」については、アラバマ州における人種差別を批判するだけでなく、アラバマそして南部やその人々を見下すような表現が多数現れているため、「Sweet home Alabama」ではアラバマ州知事の対応を非難しながらも「アラバマ州を悪く言うな!!」という強い反論が見られます。
一見仲が悪そうな彼らですが実際はそうではないらしく、リナード・スキナードはニール・ヤングとその楽曲が好きだったようです。反対にニール・ヤングも今回歌に名前が出たことに悪い気はしていないようで、寧ろ「Alabamaの歌の中に好ましくない表現があった」と後に反省しています。
リナード・スキナードというバンド
彼らはロック・ミュージックに影響を受けながらも、あくまで南部のカントリーセンスを頑なに保持し続けた。また彼らのイメージとして南北戦争時に南軍が掲げていた南軍旗「Confederate flag」を背景にコンサートを行うことが多かったようです。
その後2010年代になるにつれ、奴隷制の継続を主張した南軍が掲げていた南軍旗は南部の象徴ではなく人種差別主義の象徴であるとの論争が起こりはじめました。2012年になると、リナード・スキナードはいわば「人種差別主義者のもの」というレッテルが貼られ始めた南軍旗を掲げることを徐々に減らし始めたが、ファンからの抗議がよせられたことによりこれを撤回。これは南部という地方のシンボルであり、州の自治性を重んじる南部の政治信条のシンボルであるという声明を出し南軍期の使用を続けました。
その後2019年、正式に南軍期の使用をしないことが発表されました。
以下は、南軍期を背景に「Sweet Home Alabama」を歌っているリナード・スキナードの映像です。
その後
世間の反応
「Sweet home Alabama」はリナード・スキナードとして初めてアメリカのビルボード入りを果たし、8位に輝いている。現在に至るまでアラバマのみならず全米で愛される曲となっており、2008年にはアラバマ州観光局の正式なキャッチフレーズになったことがあるほか、2009年よりアラバマ州発行の車のナンバープレートには「Sweet home Alabama」と表示されるようになりました。
また、同曲は多数の映画などに使われており、例えば1994年公開の「Forrest Gump」(フォレスト・ガンプ一期一会)などが挙げられます。
飛行機事故
レナード・スキナードがツアーを行っていた1977年、乗っていた飛行機が燃料切れにより墜落する事故が発生。ヴォーカルのロニー・ヴァンザント、スティーヴ・ゲインズ、キャシー・ゲインズの三名が亡くなりました。
まとめ
いかがだったでしょうか。南部の暗い歴史に光をあてながらも、あくまでアラバマを故郷として描き、今でも非公式な州歌として全米で親しまれている「Sweet Home Alabama」。陽気で楽しい曲調の裏には痛烈な風刺と批判が隠れています。後年ジョージ・ウォレス知事が誤りを認めているところを見ると、少しはこの歌の効果もあったのではないか、なんて思ってしまいます。
私はアラバマ州には車で少しかすめた事しかありませんが、いい所みたいなので機会があれば是非訪れてみてください。
ご覧いただきありがとうございました。