ファンのくせに全曲聴いてないとかw
あるアーティスとを「好きだ」と人前で標榜するには、けっこうな勇気をともなう。
以下のようなやりとりが容易に想定できるからだ。
Aさん 「自分も好き。※※※(曲名)とかとくに」
僕 「それは知らないなぁ。○△✕(曲名)は好きだけど」
Aさん 「(はい、こいつ、にわか確定)えー、じゃあ%%%は?」
僕 「タイトルはみたことあるような……」
Aさん 「けっ、おととい来やがれ」
この、「好きなアーティストの曲なら、全曲聴いてきて当然」とか、「SF好きなのにあの作品 読んでない/観てない なんて信じられない」みたいな空気に対して、僕はFU※Kとか思うわけだ。
どうして「好き=その全てを網羅している」ということになるのか。好きな異性とは結婚しなくてはいけないのか。いや、もっと言えば、チョコレート好きだからといって「全世界のあらゆるチョコレートを試して、カカオの産地ごとの味の細かな違いについて、あるいはお菓子メーカーごとの特徴について、語れる人」がどれほどこの世にいるというのだろう。
上記の会話におけるAさんのような人は、重篤なオタクエリート主義に陥っている。ここでいうオタクエリート主義とは、「あるジャンルのすべての作品を網羅し、所有し、ウンチクを語れる奴ほど偉い」あるいは、「あるジャンルの作品やキャラクターに愛(つまり金と時間)を注いでいる奴ほど偉い」という主義である。
現実世界のヒエラルキーでうまく上昇できないがゆえに、「好き」という、本来客観的には測れないはずの基準、あるいはただ商品を買うだけで安易に数値を上積みできる基準を用いて、そのヒエラルキーの上位に自分がいる、と主張したいだけではないかと思えてしまう。
ある商品を消費し、「より好きである」というだけでどれほど偉いというのだろう。僕はこのような人々に、自分で作った人気投票ランキングで自分に投票して悦に入っているような奇妙さを見出さずにはいられない。