なぜ側室制度の復活を提唱しないのか

「日本の国益と尊厳を護る会」なる団体が自民党へ、旧宮家復活を趣旨とする提言をおこなったが、この提言も含め、皇位継承問題の解決策ははだいたい、
・旧宮家の復活
・女系天皇容認
の2案に集約されると言ってよい。非常に乱暴に述べるならば、右派は前者を唱え、左派は後者を唱える。


どちらの案を採用するにせよ、懸念材料となるのは、それらの案が
1.本当に皇位の安定継承に寄与するのか(効果があるのか)
2.国民の支持を得られるのか
の2点だろう。


2.に関して言えば、旧宮家復活案は国民の支持がそれほどでもなく、女系天皇案はそこそこ多い。もちろん、「だから女系天皇を認めろ」という短絡的な議論をするつもりはない。


この文章で問題にしたいのは、「日本の国益と尊厳を護る会」の提言にみられるような旧宮家復活案が、2.どころか1.の要素も欠いている、にもかかわらず、彼らが非合理的な根拠に基づき、保守を装った単なる戦前回帰願望によって旧宮家復活を提言している、というという点である。



旧宮家復活に意味はあるか

前者については簡単に述べる。

仮に旧宮家の男系男子を3人ほど、皇籍復帰させたとしよう。悠仁親王を含め、4人の男系男子がいることになる。次の世代にもこの人数を維持するために、この4人にはそれぞれ2人の子が生まれなければならない(確率論的に、うち半数が男子であると仮定する)。世代を経るにしたがって、これが難しくなるのは自明だろう。いちどでもその家系に男子が生まれず、男系継承が途絶えてしまえばその家系は永遠に継承資格を失うからだ。


そして、「一度でも男子が生まれない世代が発生する」可能性がけっこう高いことは、現実の天皇家をみれば議論するまでもない。


つまり、いま旧宮家の男系男子に皇籍復帰してもらったところで、その効果は数十年続くかどうか、というその場しのぎの方法なのである。


例の提言のもろもろの問題点

さて、後者の話だ。


「日本の国益と尊厳を護る会」の旧宮家復活案が、その論拠としているのは以下の点だ。
・二千数百年にわたり変わらず受け継がれていた、かけがえのない伝統を、ひとときの時代の価値観や判断で断絶することは許されない。
(筆者解釈:ゆえに、一度も例のない女系天皇は許されない)
・(現在の皇位を継承できる男子皇族の不足の原因は)
GHQが昭和天皇の弟君の宮家以外の11宮家51人の皇族をすべて、強権を持って皇籍離脱させ、皇位を継承できる男系・父系男子の人数を極端に減らしたことによる。それ以外に、現在の危機の原因は見当たらない。
(筆者解釈:側室制度をなくしたことは大した問題ではない)
・父系で皇統に繋がる男子であれば、親等が大きく離れていても問題は無いのか。
 上記6の史実の通り(※継体天皇による傍系からの皇位継承を指す)、いかなる時代においても我が国では、男系・父系による血統で皇位を継承させることを最も重要な原則として貫いてきた実績があり、皇統として問題は生じない。
・継体天皇の即位を考えれば、皇后陛下以外に妃が数多くいらっしゃった時代にも、皇位継承の危機は起きている。
 したがって、側室を置かない限り問題が解決とならないなどという評論は俗説に過ぎない。


以上のことから、この提言は
(A)継体天皇の皇位継承を典型的な例として、傍系皇族の継承を正当化していること
(B)側室制度の復活と、その効果をかたくなに否定していること


ゆえに、旧宮家の復活以外に皇位継承問題を解決する方法はない、という論法をとってることが特徴であるといえる。


継体天皇の例は適切か


(A)から検討してみよう。


そもそも、このエピソードを旧宮家復活の前例のように扱うのは無理がある。例の提言は継体天皇の例を出すことで「父系で天皇家の血統を継いでいれば、親等が離れていても問題ない」と主張しているが、実は大いにある。先程も触れたが、実は日本の歴史上長きにわたって、「最近親の天皇から5世代離れると、皇族ではなくなる」とされたのである。たしかに臣籍降下したのちに皇族に復帰し、天皇になった例が一例(宇多天皇)だけあるが、彼にしたところで父親の光孝天皇は生涯、皇族であった。その時代に天皇家であった系統から、それほど血統が離れていたわけではなかったのである。


継体天皇の継承がここまで取り沙汰されるのは、彼が自らの祖先である天皇から5親等離れた、傍系の皇族だったからだ。いや、むしろ彼の皇位継承をあとから正当化し、「ここまでがボーダーライン」であると主張するため、のちの時代に「天皇から5親等までが皇族扱い」とされた。


(逆に「実は皇族ではなかった継体を、『ギリギリ皇族でした』と主張するために『天皇の5世孫』と主張した」という可能性もあるが、神話の内容にケチをつけはじめるとキリがないので脇に置いておきます)


旧宮家は皇族扱いでさえない。「世襲宮家」のままであれば皇族扱いしてよかったが、いったん民間人になった以上は、「現天皇家と室町時代に分かれた遠縁の家系」に過ぎないのである。つまり、これまでの伝統に照らしてみても、旧宮家復活は無理がある。


さて、継体天皇の例は同提言のなかで「皇統の危機はこれまでにもあり、そのとき、傍系皇族を天皇にすることで乗り切ってきた」ということの論拠として使われている。そして、この例によって「日本の国益と尊厳を護る会」は「側室制度があった時代にも皇統の危機はあったのだから、側室制度の復活は意味がない」とするのである。


彼らが側室制度の復活を提唱しない理由

ここで(B)の問題が絡んでくる。果たして側室制度の復活は効果がないか?


ある。あるに決まっている。「これまでの天皇の多くが側室の子」というのはよく取り沙汰されるが、人間生殖の仕組みを知っていれば、側室を置くことで子孫繁栄がはかれるのは中学生でもわかる理屈だ。


ここで問題にしたいのは、この提言がなぜ「傍系継承による皇統の維持」という伝統は重視するのに、「側室制度」という伝統は無視するのか、という点である。


側室制度は男系継承を採用してきた天皇家・公家・武家にとって、確実な血統の維持をはかるため、日本で有史以来、採用されてきたシステムである。『古事記』ですでにスサノオノミコトが複数の妻をめとっていることからみても、その「伝統」の重みは折り紙付きだ。加えて言えば、継体天皇の時代に皇位継承者がいなくなったのはその少し前の時代に雄略天皇という人物が自身のライバルたちを粛清しまくったため、継承者がいなくなってしまったからだ(例の提言では、このことがおそらく意図的に無視されていた)。


しかし、皇族どうしの皇位継承争いは、継承ルールが不明確であったからこそ起こったことであって、皇室典範の確立した現代では起こりようがない。ゆえに、継体天皇の例はこの件で持ち出すには不適当なのである。そして、このために側室制度の有効性はそこなわれない。結局、生物学的に見れば子孫繁栄に有効である、という点は揺らがないからだ。

にもかかわらず「日本の国益と尊厳を護る会」は旧宮家復活を「伝統」と詐称し、「側室制度」は伝統であるにもかかわらず意図的にその効果を過小評価している。このことは、
●この会のメンバーたち自身の倫理観により、「(数十年前まで皇族扱いだった人びとの子孫である)血縁者から養子を取ることは(いくら親等が遠くても)問題がない」と、「伝統」を無視して勝手に判断した
●側室制度について「伝統ではあるが、いくらなんでも現代では国民の支持を得られない」と、「ひとときの時代の価値観や判断」によって否定した
ことが理由であると考えられる。


本当に歴史と伝統を重視するなら、皇位の安定継承のために側室制度の復活も合わせて提言すべきだ。それをしないのは、ひとえに彼らが彼ら自身のひとときの価値観や判断に従っているからと言って差し支えない。


つまりは、もはやこの提言は保守でもなんでもなく、単なる戦前ノスタルジーに基づく意見に過ぎない、ということである。

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