あおり運転擁護派の言う「円滑」の正体

あおり運転がブーム(笑)だが、実はこれを擁護する人々が一定一いるようだ。

彼らの論法はこうである。

「円滑な交通っつうのも大事なワケっしょ。制限速度守ってトロトロ走ってる奴らは、それを妨げてるっつうわけ。そういうのは周囲をイラつかせるからあおられても仕方なくね?」

そう、あおり運転を擁護する人々がおしなべてその理由にしているのがこの「円滑な交通」だ。

しかし彼らが本当に求めているのは「安全と両立する範囲内での円滑な交通」などではない。「自分が気分よく走れるという、自分自身の気持ちの円滑さ」、ただこの一点なのである。周囲の危険とか、円滑な交通によって日本の物流がなんちゃらとかは、おそらく彼らの眼中にない。

その背景には「公道において制限速度を破りながら(すなわち権力に反抗しながら)、速く、上手く走れるかっこいい自分」をアイデンティティとするさながら小学校の体育の授業のごとき幼稚な文化があり、「それを邪魔する奴にはイラ立ちをそのままクラクションやパッシング、その他威嚇等の手段によってぶつけていい」とする究極の自制心の欠如があり、さらに彼らの考える「運転の下手な奴」(えてして単に制限速度を律儀に守っているだけの善良な人)を攻撃することによってマウントをとりたいという、サル山のサル並の短絡的な野生がある。

――一気に書きすぎて息切れしてしまった。

ともかく、これが彼らの言う「円滑」の正体だ。頼む、鈴鹿サーキットでF1に乗ってくれ。公道はあなたたちの中学生レベルの自意識が認定する「野生的なカッコよさ」を競う場ではない。べつに無害ならいいのだが、人命がかかっている。

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