「完結した世界」への憧れ
なぜオタク文化に「異世界もの」があふれているのかというのがものすごく不思議でした。
一方の僕にはこういう趣味はないものの、RPGを多少はやったことはありますし、日常的にはしないですがモノポリーとかボードゲームの類はちょっと好きだったりします。なぜこの話を持ち出したのかというと、これらは一見、別のもののようでいて、実は共通点があるからです。
それは、「異世界もの」も「ボードゲーム」もそこだけで完結できる世界であり、そこで人は完全に現実の自分の(辛さに満ちた)人生から断絶されるからです。
「モノポリー」は土地を売買してお金を儲けるゲームですが、「現実の預金残高がゲームスタート時のゲーム内通貨の残高です」なんてことはありません。だれでも同額のゲーム内通貨を持つことになります。「異世界もの」のライトノベルだったりアニメだったりも同様です。「現実世界ではパッとしない人生でも、異世界であれば関係ない」のです。
それを言ってしまえばフィクションはみんなそうだろう、と思いがちですが、やはりフィクションの内容によって、そして人によって「身につまされる」度合いが違うというのはあるでしょう。
たとえば僕のようにお金や社会的地位がほぼない人間は、「お金持ちの子どもたちが日夜、優雅なパーティーや社交を繰り広げながらあちこちで恋人を作る」ような物語(『ゴシップガール』)を観るとざわざわしてしまいます。
彼らの恋愛に関する葛藤より、彼らがランチとして食べている30ドルのパスタを、自分で作った原価50円のサンドイッチと比べてみじめな気分になってしまうのです。
こういう葛藤を生み出さないため有効なのがおそらく「異世界もの」という装置でしょう。「これはまったく君の生きている世界では実現不可能なことなんだから、無理に主人公のようにかっこいいことしなくてもいいんだよ」と、向こうはこちらを安心させてくれるのです。
『スター・ウォーズ』や『ケーム・オブ・スローンズ』は僕もひととおり観ていますが、あれを観て「自分もルークみたいにダークサイドに落ちた人間を救わなければ」とか「自分も『王の手』になりたい、でも、なれない」と悩む人はまれです。
しかし、現実の日本を舞台にした恋愛ドラマでは、「自分はどうあがいても一生、新垣結衣とは付き合えない」「あんなキレイなオフィスでかっこよく仕事をして、社長に気に入られて高給取りのエリート社員なんかにはなれない」という悩みが襲ってくるのです。おそらくリア充ほど「リアルな(=現実世界に近い世界観を描いているとみなされてる)」フィクションを好む傾向にあるのはこのへんのことが関係しているのでしょう。
(オタク的なコンテンツであるかどうかにかかわらず)ビデオゲーム、ボードゲームなどを好むのも、似たような心理によるものはないでしょうか。東京ディズニーリゾートなどはまさしく、それを意図して作られた空間です。あの中からは外の構造物がほぼ見えないようになっています(ディズニー・シーの一角からは「借景」としての東京湾が見えます)。
都心の街なかで遊ぶわれわれは、翌日の仕事のことも頭のどこかで気にしています。だから友達と一緒に通りかかったお店で、仕事で使う文房具を買ったりもするのですが、東京ディズニーリゾートのなかで同じことをすれば無粋な行為とみなされるでしょう。
こういう、「現実世界のことを忘れられる」感覚は「没入感」という言い方で表現されているのと同じものかと思います。東京のただの街なかよりも東京ディズニーリゾートのほうが「没入感の強さ」としては上ですし、そのぶん、現実世界の事情は持ち込みづらいのです。
「転生もの」がライトノベル、アニメ業界で大流行したのも、「現実の自分をリセットして生きやすい世界で生まれ直したい」という人々の欲望が背景にあるのではないでしょうか。「転生もの」は、最初から最後まで異世界が舞台である「異世界もの」とは違い、「スタートとしての現実の人生」が描かれるぶん、「リセット」を強く印象づけることができます。
だからこそ、オタク的な文化は「歴史」という題材をわさわざ「実際の歴史をもとにした異世界」に読み替えようともします。ああいうのはどうも、「これは『現実の過去』じゃないから安心してね、この斬り殺されるみじめな農民の子孫が君っていうわけじゃないから安心してね」というエクスキューズのように思えます。
昔ながらのベタベタの時代劇を観ると、「現実の過去と、それと地続きの現代日本、そこで辛い思いをして生きるわれわれ」をどうやったって意識してしまいます。ブラック企業で実際にパワハラを受けている人は、信長が光秀にパワハラする場面とか見せられるよりも、戦とか「天下布武の理想」とかを見せられるほうがまだ心が安らぐでしょう。
こういう「現実世界とは隔絶され、ひとまずその中では現実の辛さを思い出さなくてよい営み」というものが、悪いわけではもちろんありません。
それどころかストレス解消に役立ちはしますし、単なる楽しみとして消費することはむしろよいことかと思います。
ただ、こちらの世界があちらの世界に干渉できないのと同様、あちらもこちらに干渉できませんし、基本的にしてはいけないのです。
どういうことかといえば、アニメのなかで「悪いやつを殴るのはかっこいいこと」という価値観が描かれていたとしても、それを現実に持ち込んで「ロマンのために暴力を賛美する」ような態度はよろしくない、ということです。