クリスチャンへのイメージ操作に驚きます
小さい頃にみていたアメリカのテレビドラマで私が真っ先に思い出すのが「大草原の小さな家」です。
主人公ローラの家族は敬虔なクリスチャン。
頼もしい父に優しい母、まさに理想を絵に描いたような家族です。
アメリカの開拓時代を懸命に生きるローラ一家の姿に私は憧れを抱いていました。
日曜礼拝のため家族全員が馬車で教会に向かうシーンや、牧師さんの話を真剣に聞くシーンを見るにつれ、私はキリスト教に対してとても良いイメージを持つようになりました。
しかし、大人になるにつれてクリスチャンに対するイメージは寧ろ悪くなり、やっぱり宗教は怪しいと考えるようになりました。
「街頭宣伝カー(街宣車)」をご存じでしょうか。
皆さんも街中で右翼の宣伝カーを一度は見かけたことがあるかと思います。
もう一つ、代表的なものとして、キリスト教を布教するための宣教カーといものもあるそうです。
しかし普通に考えて、布教のために街宣カーを使って果たして伝道が進むのでしょうか、疑問に思います。
スピーカーで大音響を流せば確かに注目度は高いでしょう。
しかし、聞かされる側としては寧ろキリスト教に対して悪い印象を持ってしまうような気がします。
キリスト教を広めると見せかけて、反対にキリスト教への偏見を助長する効果を狙っている可能性があります。
その他にも、意図的にキリスト教に対して偏見を持たせようという工作がなされているようです。
キリスト教はいつの時代も広まらないように妨害されてきたという歴史があります。
このようなイメージ操作が昔から現在まで滞りなく行われているのは、裏を返せばキリスト教こそが本物の神様を信仰しているからこそなのだと感じます。
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